僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

僕も自分に対して素直でありたいなあ、なんて。

僕が僕らしくあるために

「好きなものは好き!」と

いえる気持ち抱きしめてたい

 

とマッキーは歌っていたけれど、これを簡単に解釈すると「好きなものを好きということは、自分が自分らしくある為に重要なのだ」ということなのだろう。

 

他人に伝わりやすいものであり、かつ平坦な言葉で綴られているはずの歌詞をあえて簡単に解釈するというのはなんとも妙な気がするけれど、歌詞というのはいまいち分かりにくいものでもあるので致し方ない。

 

ただマッキーはこういうけれど、僕自身は好きなものを好きと素直にいえないタイプの人間である。

 

 ではなぜ好きなものを好きといえないのかと自分の気持ちに問い合わせてみたところ、

 

・そもそも僕の好きなものに誰が興味を持つのだ

・生まれながらの飽き症なので好きが継続しない可能性がある

・そのため、もし興味をもってもらったとしても先方様から「私も好きです!」と言われた際にすでに飽きているかもしれず「私はもう好きではありません」みたいな倦怠期の夫婦的返答をすることが心苦しくなる

 

といったような返答が返って来た。

 

なるほど、我がことながら何とも簡潔な返答である。

 

ここまで簡潔な答えを出せるというのはもう知識とか知性があふれでている証拠だし、そうなると素敵が素敵という服を来て素敵なダンスを踊っているようなものでもある。ヤバい。可愛い。惚れちゃう。

 

素敵が素敵をきて素敵なダンスを踊るという曖昧な言葉で伝わりにくいかもしれないので別の例えをだすと、杉本彩がセクシーかつ大胆なランジェリーを身につけているにもかかわらず顔は少し恥ずかしがっているんだけどやっぱり体と心が僕のことを求めていて、ねえわたしやっぱり我慢できないの、だから貴方が襲いたくなるような下着を着けたんだからきちんとした言葉で誘うのは貴方からねってあの優しい目でいやらしく訴えてくる感じを想像してもらえれば僕の股間は雲を突き抜けファーラウェイで顔を蹴られた地球も怒ることを忘れて彩姉さんに向かって火山を爆発させちゃうだろう。

 

真っ白な溶岩が彩姉さんを覆ってしまい「もう、こんなに出されたら困るやんか」ってはんなりした笑顔で言われたいのは全人類の夢であり39度のとろけそうな日に炎天下の夢プレイボール(金玉)!プレイゲーム(セックス)!

 

とまあ適当な戯れ言はここまでにしておくけれど、先に書いたマッキーの歌詞をさらに平坦にかつ端的に言い表すと、「自分に対して素直であることの重要性」を説いているとも言える。

 

では自分に対して素直であることを最重要事項に置いたとき世間は一体どのような状態になるのかを考えていたのであるが、その流れで先日とてもショッキングな出来事があったことを思い出した。

 

先日、出先で尿意に襲われて駅のトイレでお花を摘んでいた時のことである。

 

一重にこれはビールの飲み過ぎが及ぼした弊害であるが、夏になるといたしかたないことでもある。そのあたりの地理には詳しく、どこにどれだけお花畑があるか熟知している僕は尿意を開放すべく最寄りのトイレに到着し、世間様に迷惑をかけることなく、すなわち漏らすことなく便器に向かって水やりをしていたのだけれど、そこで自分に対して素直であることを最重要事項にしているおっさんに出会ったのだ。

 

そのおっさんは三人組の一人で、三人ともしたたかに酔っており各々があやふやな足取りでトイレの中へと入り込んで来た。そのトイレは食堂街の中に併設されておりその中で排泄する人々の大半が酔っているのであくまでも日常的な風景の1つである。

 

3人は揃って空いた便器に向かい、各々が自分のタイミングで放尿しようとしていたのだが、そのうちの1人が急に叫びだした。

 

「おお!てんとう虫いてる!」

  

彼はズボンのチャックをおろした状態でトイレ内で見つけたてんとう虫にいたく興奮し、他の2人にまで声をかけだしたのだ。

 

が、彼が注視しているてんとう虫は本物のてんとう虫ではなく、便器に貼付けられたただのシールである。

 

「なあ、これてんとう虫や!ちょっと、ほれ!星七つある!お前んとこは?」

 

そういいながらそのおっさんは、すでに隣で排尿を開始しているおっさんの便器を覗き込もうとした。その隣人の排尿も酔った状態であることから狙いを定めることもおぼつかない状態である。

 

「なあ、お前んとこの虫なんや!」

 

「あかんて、かかるて」

 

「ええやないか。こっち七つ星やぞ!」

 

そういいながらはしゃぐおっさんたちを横目に、僕は(虫より気にせなあかんことあるやろ)と思っていたのだけれど、彼らはそんな杞憂をものともせず、更に隣で排尿をしているおっさんも自分の便器を覗き込み「これなんや、虫か、よう見えへん。ハエか?」などとキャッキャと虫について語り合っていた。

 

明らかにあの状態だと覗き込んでいたおっさんに尿のしぶきがかかっていたはずであるが、しかし彼らは嫌なそぶり一つみせず、お互いを受容し合っていた。

 

平和な世界がそこにあった。

 

排尿行為が終わり、3人はまた連れ添って外へと向かっていったのであるが、他人の便器を覗き込んでいたおっさん、つまりてんとう虫に興奮していたおっさんは明らかにシャツが濡れていた。他人の尿で。

 

さっきまで僕が想像していた彩姉さんは白い溶岩に対して「もう、こんなに出されたら困るやんか」と笑って言ってくれたけれど、これはすでに別の次元の話である。性の対象でもない、知人の尿がかかっても怒らない温厚さには頭の下がる思いである。

 

僕がもし同じ立場にいたならばすこぶる機嫌が悪くなるだろうし、例えそれが十年来の友人の尿でもいやだ。

 

しかしよくよく考えてみると、僕は常々奥さんの尿を欲しているという現実もある。出来ればそっせんしてかけていただきたいし、飲ませていただきたい。でもおっさんのものは断固として嫌だ。これはもしかして無意識での男女間のジェンダー差別なのだろうか、なんてところにまで思考が及びそうになるが、それは堪えて話を続けよう。

 

そのような感じで3人組を観察していた僕は、既に排尿を終えていたにもかかわらず便器から立ち去れずにいた。

 

なぜなら、平和について考えていたからだ。

 

そもそも争いは、何かしらの出来事について反発することで起こり、その反発もいわばほんのかすかなすれ違いであり、ささいなボタンの掛け違いが世界を滅ぼすことになりうるのだ。

 

ちなみにではあるが、もし僕がてんとう虫を発見したおっさんの立場であれば、自分に尿がかかった時点でキレる。また 当人がキレなかったとしても、例えば「星七つある!」と叫んだ瞬間に、となりの人が「うるさいなあ」と言っていたらどうなるだろう。

 

「うるさいってなんや!七つ星てんとうって珍しいやろが!」

「たかがシールやないか。そんなことで排尿の邪魔すな!」

「なんじゃそのものの言い方は!ほんならてんとう虫のかわりにお前の胸に七つの穴あけたろか!」

「おお、やってみいや。そのかわりアレやぞ、お前の奥さん奪い取ってまうど!」

「なんやとコラ!俺の奥さんいうたら南斗六聖拳を統べる慈母星のもとに生まれた女やぞ!それがお前みたいな男に扱えるんか!しかもそうなったらお前が俺の胸に七つの穴をあける感じになるやんけ!」

 

みたいなやり取りと延々と繰り広げ、それを聞いていたもう1人の男が

 

「貴様たちをこの場で倒して俺が最強の男となろう!」

 

と言い放ち、トイレの中は世紀末の様相になるしそうなると便器を流れるのは尿ではなく大量の血であるし、便器が血の流れる場所になるのであれば尿の狙いを定める為のてんとう虫は無用の長物であり、それらを横目で見ている僕の生涯には悔いしか残らない。

 

なので平和とはすなわち受容のひと言なのだろうな、なんて極めて安易な答えを胸に秘めながら便器から離脱し手を洗い、ああ、自分に対して素直であり、他人に対して寛容であるのはなんとも素敵なことだなあ。彩姉さんの花と蛇がみたいなあ、彩姉さんのおしっこなら妻のものと同じ様に興奮出来るなあ、なんてことを考えながらトイレから出ようとすると、先ほどてんとう虫に興奮していたおっさんがまたトイレに入ってきた。

 

なんとなく耳をすませていると、トイレの奥から

 

「ア〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

という低音の声と

 

「ジョボジョボ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」

 

という排尿音がウーハーのように聞こえてきた。

 

そうだよね。やっぱりお前、てんとう虫に熱中しすぎておしっこしてなかったよね。

 

そう思いながら おっさんの排尿音と喘ぎ声に耳を傾けていると、

 

「なんかくっさいのお〜〜」

 

 

と聞こえてきた。

 

もちろんその臭いのもとは、おっさんの服だろう。しかしそのことを伝える様な義理もないので、僕は耳をすますのをやめた。この土地では耳をすませてもろくなことがない。

 

トイレから出ると驚くほどに暑く、僕は「ああ、もう夏だな」と呟いて高層ビルの間から少しだけのぞいている空を見上げた。いつの間にか、蝉の声が聞こえる時期になっていた。なんとなく、これまで以上に自分に素直に、そして、ひとりぼっちをおそれずに生きよう。そう思った。