サンリオのキャラを部門別に紹介したい。
サンリオ男子という深夜アニメを見始めてから、サンリオに対する興味が沸いてきている。
しかしサンリオ男子のよさをここでいくら書いてみても僕が面白いと思っているところをきちんと説明するのはとても難しいし、逆にファンの方々からは批判や顰蹙を買いそうなのでやめておく。
なので今回は趣向を変えて、サンリオのオリジナルキャラで僕が個人的に気になっているキャラをここで紹介したい。
ただ本当に無意味なランキングであることを先に書いておく。マジで無駄だし、キティちゃんやポムポムプリンは出てこないし、気分を害する人もいるかもしれない。
でも僕はこれをみてサンリオの奥深さを感じて欲しいとも思っている。サンリオは、マジで頭がおかしい(褒め言葉)。
では。
「お前、名前もっと頑張れよ」部門
まず「お前、名前もっと頑張れよ」部門から。ここでは3人(匹?)が選出された。
木馬であり、木馬以外ではありえないからなのか。その名も木馬。
君の名は?と問われても、「木馬」としか答えられない悲しさ。
もっと頑張って名前付けてやれと思った。
木馬に木馬と付けるセンス。尖ってる。
「わたし、お鍋にも名前付けてるの。えへ、メルヘンでしょ。え?お鍋の名前?お鍋ちゃんって言うの」
殺したくなる。
ただし木馬自体の可愛さはずば抜けている。木馬可愛い。
他にもまだいる。
ゾウ自転車。
彼は自転車から降りることも許されない可哀想な存在でもある。
なぜなら、自転車から降りてしまうとただのゾウだから。
自転車に乗っていることでしか得られない、彼のアイデンティティ。
悲しき動物、ゾウ自転車。名前、適当すぎる。
この部門の最後は、カモメ。
カモメである。
カモメ以外ではない。
以上。
「お前、ワードで作られたの?」部門
続いては「お前、ワードで作られたの?」部門にただ1人の選出。
ハウストレイン。
その名の通り、家と汽車が合体したキャラクター。これをキャラクターと言っていいかどうか僕には分かりかねるのだけれど、サンリオが「サンリオのキャラクター」として紹介しているので、キャラクターなのだろう。ここまでくると、キャラクターとは何なのかを考えさせられる。彼の存在はある種哲学的な問いかけでもある。
絶対ワードの図形で出来てる。
以上。
「名前負け」部門
次に紹介するのは「名前負け」部門。ここは3グループが選出された。
メインストリーム、主流という名前がついているにも関わらず、低知名度を誇るグループ。名前負けとはこういうことだ、と慣用句にもしたいくらいの存在感を持っている。グループの構成はドリカムスタイルである。多分内輪で恋愛のもめ事が良く起こるんではないだろうか。まあ、余計なお世話だ。
「お前、その位の成績しか残してないのに課長名乗ってるって、ザ・メインストリームみたいだな」
これも悲しき動物たちである。服装はとてもオシャレ。
サンリオから、シティボーイの登場である。
しかし彼からはコーネリアスの香りも小沢健二のニュアンスもサチモスの格好良さも感じられない。
だって彼はゴリラだから。
ゴリラが都会で生きる為は、野生の本能を殺してシティボーイにしかなるしかないのか。しかし野生を忘れたゴリラに、ゴリラとしての存在意義はあるのだろうか。
シティボーイだけど、ヘッドホンもしてるけれど、鼻がハートみたいだけど、でもゴリラだからオシャレにはなれない。
まったく関係ないのだけれど、僕はボゴを見ていて「僕はクマのままでいたかったのに」という絵本を思い出し、なんだか無性に悲しい気分になった。
この部門の最後を締めるのは、ギミーファイブだ。ご覧の通り、2人しかいないのにファイブ。
名前負けもいい所だ。
ギミーファイブの上位互換として、関ジャニ∞が上げられる。7人なのに、エイト。
しかしこの話を拡げるとエイターから恐ろしい報復があるかもしれないので、やめておこう。
以上。
「ほぼコピペ」部門
さて、次の部門紹介である。「ほぼコピペ」部門は1グループのみ。
見ればわかるだろう、この3匹、ほぼコピペだ。
キャラクターというより間違い探しの領域。
いつかこいつらをサイゼリアで見たいと思う。
以上。
これから紹介する部門で最後になるのだけれど、本当のことを言えば僕はこのキャラクターを紹介する為にこの記事を書いたといっても過言ではない。
その素朴な可愛さ、手抜きとも言えそうな図案の簡潔さ、キャッチーな配色、名前の語呂の良さ、その全てが別次元にあると言ってもおかしくないキャラクターである。
僕は今日から、サンリオファンだと公言する。そして僕の推しキャラこそが、こいつである。
それではご覧頂きたい。
「とにかく可愛い」部門
一目見たその時から、僕はこいつのファンになると決めた。
公式のコメントには「元気なヘリコプター君。毎日、楽しい事を探して飛び回っているよ。」とだけ書かれている。
そのコメントから分かる様にオスである。生まれは1988年。今年で30歳になる。
彼の行動はハイパーメディアクリエイターの高城剛と同じである。楽しい事を探して世界を飛び回る。つまり彼は沢尻エリカと結婚出来る可能性も持っている。恐ろしい潜在能力である。
しかも京本政樹や荒木飛呂彦のようにまったく老けない。もしかしたら可愛さを維持する為に整形しているのかもしれない。皺とり。リフトアップ。その他。しかし働いている様子がうかがえないので、パトロンがいる可能性がある。
「ねえ、僕のティルトローターでまたプルプルしたいの?僕のティルトローターはirohaとはちがうんだけどな。そんなに我慢ができないの?まだ触ってないのにビチョビチョじゃないか。しかたないなあ。じゃあ、またお小遣いくれる?」
彼がどれだけ下品なやり取りをしていてもかまわない。彼の可愛さにかかってしまえば、そんなことは些細な出来事でしかない。
色情魔の女性のお金を使って、今日もこの世界のどこかで楽しい事を探してホプティコプティが飛び回っているのか、と想像するだけで一日が明るくなるではないか。
彼が楽しい事を見つけられるように、僕は今日も祈りを捧げている。
以上。
さて、これを読んで頂いた皆様も、サンリオのホームページでお気に入りのキャラを探してみてはいかがでしょうか。
と、ここまで書いたのだけれど、実際のところ僕はキャラクターものが好きではない。
妻と一緒に暮らす時に定めた唯一の決まり事が「タオルであれ食器であれ、キャラクターが描かれた物は一切おかない」というものであり、今のその定めは忠実に守られている。
いくら僕がホプティのファンになったからといって、妻がホプティのグッズを買ってきたとしても、きっとすぐに捨ててしまうだろう。
ではなぜこんな記事を書いたのかといえば、サンリオの狂気に当てられたとしか言いようがない。
それほどまでにサンリオは狂っていて、またサンリオ男子も狂っているのだ(間違えないで欲しいが、これらは全て褒め言葉だ)。ぜひ1度でいいので、機会があればサンリオ男子を見てもらえれば、こんなに嬉しいことはない。
「陰毛がサラサラやとモテるんやで」と浮浪者は言った。
婚活のパーティーなどにおいて、男は自己紹介プレートに年収をかく欄があって女性にはない、という話を聞いたことがある。そして最近また別の場所から、男は年収、女は得意料理を書くこともある、というのを聞いた。
だからといって、僕は別にそれが男女差別だとか不条理だとかとわめきたい訳ではない。むしろ僕がこの話を聞いて思ったのは、参加する人達はもっと自分勝手に書き足せばいいのに、という一点のみである。
僕が中学生のとき、校内では上履きを履く、というルールがあった。その上履きは学校指定のものであり学年毎に色は違っていたのだけれど、それ以外に違いはなくみんな同じ物を履いていた。
もちろん名前を書くことも定められているのだけれど、この時期の子供たちは自分の持ち物に名前を書くことに抵抗がある年代でもある。
その抵抗の元は大体が中学に入る直前にある小学校最後の思い出、修学旅行における風呂場での下着忘れである。
翌日の全体朝礼での「◯◯!風呂場に下着があったので取りにきなさい!」という、優しさという名の公開処刑は、誰もが通過する儀礼であろう。
そして中学生であれば殆どの人間がその優しさの犠牲者もしくは閲覧者になっているからして「自分の持ち物には名前を書かない」という誓いを立てているのである。優しさは時に人の心をも殺すのだ。
しかし持ち物に名前を書かないとなると、必然的に学年集会やクラス単位での移動になった際、どれが自分の上履きなのか分からなくなることが多発する。
なので各々上履きに名前を書くのではなく自分にしか分からない目印をつけたりするようになるのだ。
☆や♡マーク、それに類する分かりやすい可愛い物から米印という無骨な物。また仲の良いグループは共通のマークを上履きに書くことで、その集団の一員であることを提示していたりもした。
ただこういったものは、過剰へ過剰へと流れていくのが必然である。シンナーでは満足出来ずに合法ドラッグに、もっと快楽を求めようとコカインへと至ってしまうように、上履きに対する落書きの上書きは精神的快楽をもたらすのだろう。
マークだけでは満足出来なくなった人達が、段々と文章を書く様になっていった。
彼ら、彼女らの上履きには記号ではあきたらず「俺の上履き」や「誰の物でもない」「布施明Love」といったような自分の名前を出さずに自分の所有をアピールする言葉が散りばめられた。
さらにそれが加速し「一生守る」「純愛」と言ったいきなりの誓いがあったと思えば、「3代目暴走天使」「初代パタリロ」や「喧嘩上等」「君は薔薇より美しい」といったようなヤンキー・暴走族文化に憧れたような文字が並び、また別の集団の上履きには「人生はかけ算だ。君がゼロなら意味がない」といったような326の詩をパクったような文章が書かれていたりもしたし、なんなら上履きに「326」と書いている人もいた。
今だから言うけれど、お前の名前は森岡だ。
ただ僕はと言えばそれらを見ていただけであり、まったく落書きという物をしなかった。というか、上履きに何かを書くこと自体に意味を見いだせなかった。
それだけ皆が落書きをしていたので無地の方が少なかったのと、一度も洗わなかったので汚れの度合いが他の上履きよりも酷く、その黒ずみと匂いだけで自分のものが分かったからというのも、落書きをしなかった理由である。彼らからすればきっとゼロ以下、かける価値すらない存在だったのだろう。パクった所でマジで臭かったし。人生をかけるより漂白剤をかけたいくらいのものだった。
かといって学校がその過剰な落書きを制限しなかったわけではない。先生方は「余計なことは書くな、名前だけをかけ」と口を酸っぱくして言っていたのだけれど、いつの時代にも法の穴をかいくぐろうとする奴はいて、1人の人間が極太ゴシックで上履き全体に自分の名字を書き「名前を大きく書いただけです」と言ったあたりからその制限も緩くなりだした。
落書きは加速度的に増えていき、ある決定が下されるまでに学生たちの上履きは森の貴婦人と呼ばれるオカピの模様のように複雑な柄になっていた。
その決定とは上履きそのものの撤廃である。
撤廃となった理由は、上履きに履き替えたあとにロッカーに置かれていた自前の靴の盗難被害が増加したからである。
奇しくもスニーカー狩りが流行った時代であり、我が中学校でもスニーカーが取られる人が多数いた。その犯罪行為が上履きの過剰装飾を駆逐したのはなんとも皮肉なものだ。というか、ナイキであれば盗まれる、というのも異常だった気がする。
話を戻すがそのように婚活に置けるネームプレートも、個性を全面に出してみてもいいのではないか、と思う次第である。
男性が名前と年収、年齢しか書けないのであれば、名前を極小さく書き、空白部分に個性を光らせる。
「森岡 29歳 年収:250万 ※胸の真ん中にホクロがあって遠くから見ると乳首が3つに見える」
「早乙女 33歳 年収:330万 ※耳の後ろから老婆の匂いがする」
「木村 45歳 年収:1,000万 ※犬と暮らしているが何もしていないのに犬が股間に顔を埋める」
みたいなことを書いておけば自ずと会話が広がり、またお金目当てではない人と繋がれるのではないか。
森岡さんなら「え、乳首が3つに見えるって素敵ですね。今度、私の友達と一緒にないとプールに行きませんか?」みたいに思わぬ誘いがくるかもしれないし、その友達にも笑いを提供出来るかもしれない。その友達が火のついた煙草を押し付けてきて「これでケンシロウになれましたね」なんて笑顔で言ってくればもうそれは世紀末。世も末。広末。
早乙女さんなら「あー、ワタシおばあちゃん子だったんです。1回嗅がせてもらっていいですか?あ、ホントにおばあちゃんの匂いだ!」と言われ、そのままベッドイン出来るかもしれない。きんたまの袋を触られながら「おばあちゃんのほっぺたもこれくらいしわしわで柔らかかった」なんて笑顔で言われたら即昇天。
木村さんはもう「犬が嗅ぎたくなる股間ってどんなのですか」と女性たちが前に行列を作って股間を嗅ぎにくるのは間違いないしむしろ年収をみてそのまま舐めるかもしれないし、そのお返しに女性方の股間の匂いを嗅ぐことだってできるだろう。紳士たるもの、返礼を忘れてはいけないのはどの業界でも一緒である。無臭、チーズ、ザリガニ、たくあん。貴方の前には珍味の香りが並ぶだろう。年収も高いし。
では逆に女性側の個性の光らせ方は、と問われるだろうから、ここに記しておきたい。
以前までの僕であれば、もうエロいことを書くだけだ、と答えただろうけれど、このご時世ではそれはあまりにリスクが大きく、また僕自身も成長していることをアピールするために別のベクトルで返答したいと思う。
そもそも最近の男性が女性に対して何を求めているのか。
最初に書いたように、婚活サイトで得意料理を書かされる、というものからして、今の男性が求めるているものをサイト側がきちんと把握出来ていないことが手に取る様にわかる。
こういう人達は、未だに「毎朝僕にみそ汁を作ってくれないか」が最良のプロポーズだと信じているのだろう。
しかし、今のトレンドは「料理」ではなく「許容度」だと思われる。
許容度、と簡単にかいたが、これは「どれだけ自分の行動を受け入れてもらえるか」というものである。
基本的に男とというものは自分勝手である。
お金が入ったらまず自分が欲しい物を躊躇なく買いながら、デートの際に「お金がない」とのたまう。「食べたいもの何?」と聞いておきながら相手が幸せのパンケーキやスープデリと言おうものなら一気に機嫌が悪くなる。
なぜ機嫌が悪くなるのかと言えば、パンケーキよりもパンクラス、スープデリよりもソープとデリをこよなく愛するのが男というものだからだ。
パンケーキを食べにいく約束をなしにしてパンクラスを見に行くことを許してくれる女性や、一緒にスープを飲みにいくよりデリバリーで届くラブジュースを飲みたいと求めるのが男性なのだ。
一言で言えば、馬鹿なのである。
なので、女性はネームプレートに自分がどれだけの馬鹿を受容出来るかをかけばよいと思う。
「広末:どれだけキャンドルを家に持ち込んでも怒りません」
「 松井:掃除は私がしますが、尾行されるのは怖いので嫌です。」
「八角:どんな行動でも許すと思いますが、報告だけはきちんとして欲しい」
キャンドルをどれだけ持ち込んでも怒らない女子であれば、コレクター趣味のある男性が声をかけるはずだし、尾行が怖いけど掃除を綺麗にしてくれる人であれば一日に5回くらい電話してあげたり居場所を教える為にGPS付きの携帯を持ったりすれば相手も安心してくれて家も綺麗になるのでもう男性は夢中になるはずで、報告だけすればいいのであればもうどんなことも気にしないでいい。何をしても可愛がってくれる人、というのは、全男性の憧れの的になるだろう。かわいがり最高。
このように、ネームプレートには自分の紹介だけではなく、素敵な未来も描きたいものである。
しかし上記の様に自分のことをきちんと理解出来ている人は結構少ない。
自分には何もない、ホクロもないしおばあちゃんの匂いもしない、犬も飼っていないしキャンドルも持っていない。ユーチューバーでもなければ理事長でもないという方もいるかもしれない。
そんな悩みを解消できるように、最後に僕が昔仲の良かった浮浪者に教えてもらった、男女に共通する「モテの極意」を伝えたいと思う。
「あんな、陰毛にリンスしたらな、風俗嬢がめっちゃ喜ぶねんで。あれでワシ、めっちゃモテてん」
ということである。
「ゲロ:35歳。年収240万円。陰毛がリンスでサラサラです」
これで僕もモテモテ。
僕は今日も真矢に会いにいく。
誰だってLUNA SEAの真矢にレジを打ってもらったら嬉しいはずだ。間違いなく僕はそうだし、妻に聞いても「うん、まあ」と言っていたのできっと間違いない。
太っていた方がいい音が出ると容姿へのこだわりを捨てダイエットを諦めた真矢。
元モーニング娘の石黒彩と結婚してゴルフのショット姿を年賀状にする真矢。
スキンケアやアンチエイジングに造詣が深く美容系のPR記事に登場する真矢。
たとえそれがどんな真矢であっても、彼がレジに立っているだけで、彼がカップラーメンのバーコードをスキャンしてくれるだけで、彼が手のひらに小銭をおもりにしてレシートを手渡してくれるだけで、なぜか強くなれた気がする。
例えば君がいるだけで心が強くなれる。
何よりも大切な物を、真矢が気付かせてくれた。
今日は、そんな真矢に関する話だ。
僕は普段3つのスーパーを使い分けているのだけれど、それぞれに用途が異なっている。
1つは会社からの帰り道にあるスーパーだ。
ここを使う理由は一つだけしかなく、それは利便性のみである。駅から家まで遠回りせずに行く事ができ、遅い時間まで開いている。
しかしここは品揃えもそんなに良くなく、他の2つに比べると価格も高い。特に生鮮関係は高い上にあまり商品の質もよくないので、ほとんど買わない。ここで買うメインの商品はソーセージである。これは僕の好きなえびの高原ロングウィンナーがここでしか買えないから仕方ない。そのついでに夜ご飯に不足している具材や次の日の朝に食べるパン等を少し買う程度だ。
質が良くない、と書いたのは僕が個人的に感じているだけなのだけれど、一応裏付けとなるような出来事があるのでひとつ上げさせてもらいたい。
ここのスーパーには、パートリーダーとおぼしき人がいる。
仕事中は他のパートやアルバイトを見張り、操り、店のトップの店長ですらも店内放送で呼び出しているような、最古参であろうおばちゃんだ。そのきびきびとした動きは軍隊の鬼軍曹を想起させ、私の歩いた跡には草木の1本も残らないわよ、埃の1つも見逃さないわよ、というほどシビアな目線で店内を見渡し、適切な指示と処理をしているスーパーのキーマン的女性だ。
その彼女が、別のスーパーで生鮮食品を買っている光景をよく見かけるのだ。
カゴには野菜や肉、魚がたっぷりと入り、勤務している店の中では見せない様な朗らかな笑顔で買物をしている。あれほどのプライドを持って仕事をしているのだから、自分のスーパーを盛り上げる為に自分の店で買物をすべきなのでは、という僕の考えは本当に素人のそれで、 「仕事は仕事、家計は家計。やはりいいものをお安く」というのが彼女の本心なのだろう。
彼女はオンオフを見事に切り替えるシティガールなのである。
そこから上に書いた様な、彼女の働くスーパーにおける生鮮の質の低さと価格の高さが導きだされる。
そしてその彼女が生鮮を買うスーパーこそ、僕がよく行く3つのスーパーのうちの1つでもある。
このスーパーは家から近いけれど、仕事の帰り道からは少しはずれた場所にある。なのでここを使うのは主に休日などの自宅で大半を過ごす日である。
そしてここは我が家の近所のおばちゃん達、いわばジモティも御用達のスーパーだ。焚火に集まる蛾のように、周囲の住人たちが吸い込まれていく。
今の家に引っ越した当初、ななめ向かいのおばちゃんにどのスーパーがいいのかを聞いたとき、真っ先に名前を挙げたのがこのスーパーだった。
「ああ、魚とかはやっぱりあそこがええわ。鮮度がちゃう」
そう笑いながら言うおばちゃんは下の前歯が1本ないけれど、それが逆にとてもチャーミングでもある。
月に一度回覧板を持ってくるときには、ピンクの寝間着でやってくる。月初めに雨でよれたバインダーを持って我が家を訪問する、ピンクのババア。
髪はいつでもベリーショート。猫が嫌いだといつも愚痴をこぼすけれど、着ている服に猫のイラストがプリントされている事がままある。我が家の猫が窓の外を眺めているときにニヤニヤ見つめていたり、その猫に話しかけたりすることもあるから、猫好きである事は間違いない。
しかしそれを言うと決まって「猫なんか嫌いや。実家に猫が追った時なんか、蹴飛ばしてやってたで」と言うが、以前彼女の身内が「野良猫にもご飯あげとったんやで」と言っていたので、中高年によく見受けられる何かの照れ隠しなのだろう。もしかしたら、猫と呼んでいるM属性の男がいたのかもしれないけれど、真実はいつも闇の中だ。
ピンクのババアは近所に住んでいる妹達ととても仲が良い。週末になると家の前には自転車が並び、夕食を共に過ごすのだという。もともとピンクババアの家族が3人で暮らしていて、自転車の台数からすると最低でもそこに4人が加わっているはずなので、最低でも7人はあの家にいることになる。
我が家と殆ど間取りは違わないはずなのに、どうやってあれほどたくさんの人が入るのだろうといつも余計な心配をしている。もしかしたら秘密の地下室かなにかがあるのかもしれない。ピンク・ババアと秘密の地下室。ハリー・ポッターシリーズには見受けられない様な無駄なやらしさを感じる。
そんなピンク・ババアとパートリーダーのおすすめのスーパーは、価格は比較的安価であり扱っている品の質はよい。
しかしこのスーパーのネックは店舗自体の小ささである。最初に上げたスーパーと比べると、敷地面積はおよそ半分程度である。なので、明確に「これが欲しい!」と思っていくと、ない場合もある。例えばソーセージ作りに使うハーブ類や大容量の肉類はここでは手に入らない。
そう言ったとき、3つ目のスーパーへと向かうことになる。
このスーパーは自宅から自転車で15分ほどの場所にある複合商業施設に組み込まれている。地味に遠い距離なのだけれど、敷地面積は最初に書いたスーパーの倍以上もあり、またその施設には様々な専門店もあるので、週末の買い出しは主にここにくることになる。
品質はといえば、うちの近所のスーパーのちょうど間くらいだろう。
価格は普通、品質も普通。しかし扱う商品の数は抜群に多い。なので色んな物が必要になる場合にはこのスーパーに向かう。
そしてこのスーパーに、真矢がいる。
もちろん本物の真矢ではない。しかし真矢以上に真矢に似ている。なので僕は彼の事を「真の真矢」と呼んでいる。
顔だけではない。体型、身長、たまに見せる笑顔。それら全てがまさに真矢であり、真矢以上に真矢を感じさせるのだ。
だから彼こそが真の真矢であるといえるだろう。
違いがあるとすれば年齢と服装くらいである。実際の真矢は50手前だけれど、スーパーの真矢は20台の前半だ。しかしその落ち着き様は実際の真矢とほぼ同じだ。彼に弟子がいても僕は驚かないし、むしろ当たり前だと思う。というか弟子入りしたいくらいだ。彼に操ってもらえるなら、僕のドラムスティックはスネアを突き破るほどにカチカチになるだろう。
また実際の真矢はゴルフウェアかジャケットを羽織る系のスタイリッシュな出で立ちだけれど、スーパーの真矢は規定のキャップをかぶり、エプロンを付けている。
しかしその着こなしは実際の真矢よりもこなれている。
例えばキャップ。若い人間ならすぐに鍔を曲げたがるようなものだが、彼のキャップの鍔は彼の愚直さを体現するようにいつでもまっすぐだ。しかしたった1つだけ残念なことがある。
キャップが彼の頭のサイズとあっていないことだ。
かぶる、というより、のせている、という方が正確であり、なんというか、トトロのお腹の上にのっかっているメイちゃん、と言えば分かってもらえるだろう。チョコン、という擬音が本当にしっくりとくる。
しかし彼はそんな些細な事は気にしていない。頭にサイズの合わないキャップをのせながら、淡々と商品をレジに通していく。
そしてその所作すら、真矢である。
正確に刻まれるピッピッピというリズムはまるでメトロノームのように正確に8ビートを刻み彼の音楽の素養を感じさせるし、隙間なくカゴに詰め込まれていく商品は重厚に音を重ねる初期のツーバスドラムを喚起させる。
彼が詰めたカゴの中に広がるのは、デザイア。
極めつけは、清算後に放たれる「袋はどういたしますか」という抑圧されたシャウトである。
抑圧されすぎていて、だいたい聞き返してしまう。
この間に至っては抑圧されすぎて本当に何を言っているのか聞き取れず、いつも通り袋だと思って「お願いします」と言うと、なぜかドライアイスを大量にくれた。
その優しさこそ、まさに真矢。
今日は平日だけれど、足を伸ばして真矢の待つスーパーに向かう。その時、僕はもうお客ではない。LUNA SEAのファンであるスレイブである。
真矢に会う事を週末まで待てない僕は、いつまでたってもルーザー。
そして叩かれるのを覚悟で言うが、僕はそもそもLUNA SEAのファンではない。