僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

本日、会社を退勤いたしました。【退勤エントリ】

えー、突然の報告になりすいません。

 

すごい私事ではありますが、今日の朝から、つまりは今朝から勤めていた会社を退勤することと相成りました!退勤予定は17時、それまでのあいだは有休消化、といったところでしょうか。その有給の間に、この文章を書いています。

 

退勤に先立って、まず僕がなぜ通勤しようと思ったのかを書いておきたいと思います。

 

そもそも僕がこの会社に通勤しようと思ったのは、いつもと同じことをしよう、という気持ちがあったコトに他なりません。

 

我が社は9時が出勤時間となっているので、僕もそれに間に合うように会社に向かいたいと思った次第で、結局だらだら、いつもと同じ様な感じで会社に向かったんです。

 

違う道を使ってみたり、朝のコーヒーを止めて紅茶にしたりとか、毎日のルーティンを崩すのもありかなって思ったんですけど、そういうことで獲得出来る成長や経験値、そういうのを得たいっていう気持ちはもちろんあるんですけど、逆にそういう惰性こそが自分を動かすっていうのもやっぱり真理だなって思って、いつも通り通勤してきました。(「そういう」「そういう」ばっかりうるせえなって思った方、突っ込みの才能がありますよ!)。

 

でも常日頃から思考停止させずに考えていると、朝って本当に毎回同じ様なことをしているんだなって気がつくんです!砂粒のような小さな発見から、世界って180度変わるんですよ!

 

朝起きて、歯を磨いて、猫のご飯を用意してからこれも猫のトイレ掃除をして(彼ら彼女らのために働いてるっていっても過言ではないですよね!とっても可愛い僕の子供たちです!)、コーヒーを飲んで電車に向かって会社への道のりを進んでいく。いつもいつも同じ一日を送っているって、よく考えると本当に不思議ですよね。こういう発見て、本当に大事だと思います。

 

でもね、それを発見した時に思ったんです。それって何となく不自然じゃないか?人生に刺激がないんじゃないか?って。

 

で、会社についたらパソコンに向かってメールチェックして、あとは定時まで何して時間をつぶすか考えてるんですけど、そんな絶妙なタイミングで、退勤エントリを書くことを思いついたんです。つまりは心が刺激を求めてたんです。

 

my heart needs spices.(僕の心がスパイスを欲する)

 

 

こういうのってなんだろう、天啓っていうのが、近いのかな。どうやら僕は現代に舞い降りたジャンヌ・ダルクみたいだなとか自分で思っちゃったりしてwww

 

でもまあ実際、僕っていうのは思い立ったことをスグに実行しないと、すごいモヤモヤしてしまうタイプの人間で、今このエントリを書いてる。

 

なので通勤後すぐにこの文章を書き始めてるのでこれはもう退勤エントリじゃなくって通勤エントリじゃないか、なんて思ってますwww

 

そう言えば他の退職エントリを書かれている方って、どんなことを書いてるのかな。まあ、僕には僕の道があるっていうか、人と同じ様なことをしていても自分自身の為にならないし、人が歩んだ道をなぞってもその人を超えることは出来ないんだっていうのが僕の中での人生の指針であり座右の銘なので、他の人とは違うことを書きたいと思います。

 

えー、そもそも僕がこの会社でしたかったことは、窓際に座る、ってことなんですよね。

 

普通の会社って、自分から窓際に向かう人っていないじゃないですか。でも僕はあえて、そう、あえて、自分から窓際に向かっていたんです。

 

そうすることで自分を見つめなおすっていうんですか。パソコンの画面にうっすらと映る自分の顔を見ながら「そういえば今日はエクセルを開いたり閉じたりしかしてないな、明日はワードを閉じたり開いたりしよう」とか、クリエイティブかつ誰かの指示ではない自分の感性を生かす仕事ができる?そういった毎日を過ごす為には窓際こそに一番アドバンテージがあるっていう見解で。

 

で、結局することがなくなって(これが窓際の醍醐味!!)このエントリを書いているんだけど、本当に仕事してないから何も書くことがないな。

 

なので今日の朝に食べたセブンイレブンのメンチカツバーガーについて書きたいと思います。

 

これは柔らかいパンメンチカツが挟まれていて、ソースがかかってて本当に美味しかったです!!!!

 

あ、こんなこと書いてたら、セブンイレブンさんから「外部ライターになってくださいませんか」みたいなこと言われるかもしれないなー。なんちゃって。

 

 

でも、美味しいのは、ホントです!!!!

 

 

チンすると、さらに美味しくなります!!!

 

 

皆さんもぜひ、食べてみてくださいね!(セブンイレブンさん、お声がけお待ちしております!なんちゃって)

 

 

あー、長々と書いてきましたが、そろそろお昼の時間になったので気の合う同僚にアポとってランチに向かおうと思ったのですが、窓際の辛いところって実は同僚がいないってことなんですよね。

 

聞こえるのはラジオの音と時計の音のみ。でもこういった日常の風景や音に耳を澄ませる行為も、自分の感性を磨く為には必要だったりするんです。

 

あ、そういえば、ネットでは必要な情報はすぐ手に入るし趣味の会う人をSNSで見つけることも出来るんですけど、気の合う同僚はどうやって検索しても見つからないんですよ。これってやっぱり、ゆとり教育の弊害だと思うんです!!

 

でもできれば折角の退職エントリ、いや退勤エントリということもあって、この開かれた場を愚痴を呟く場所にしたくないので、この話はここでおしまいにして、ここからはこの会社の良かったところと悪かったところを書いて、まとめにしたいと思います

 

あ、一応今働いてる人達に迷惑がかからないように、ちょっとだけぼかして書かせてもらいますね。

 

 

えー、僕がこの会社で得たものっていうのは、とりま長時間謝れば、だいたいのことは許してもらえるっていうのを教えてくれたってことです。

 

よく「新人は失敗するのが仕事だ」って言われるんですけど、これは僕みたいな中堅になっても同じだと思うんですよ。新人でも中堅でも、失敗することが仕事っていう部分があると思うんです。

 

ここで、これを読んでる人に伝えたい。

 

人間だから、失敗する。

 

逆にいうと、失敗することは人間であることの証だと僕は思うんですよね。だから僕はこの会社で、自分が人間であることを学べたといっても、過言ではないんです。

 

そういう意味では、本当にいい会社だったと思います。

 

で、これは少し書きにくいところなんですが、この会社の悪いところをあげたい。

 

でもこれは誰かが書かなければダメなことだと思うので、あえて僕が泥をかぶることで、会社が少しでも良くなってくれたらいいという気持ちで書かせていただきます。

 

なんてったって、退職エントリなんだから。あ、退職はしてないんで、退勤の間違いでした!ヤバいヤバい。こういう細かいミスが重なると、本当に取り返しのつかないミスに繋がるって若い子たちにも知ってて欲しいですね。

 

さて、この会社の悪いところは、人の失敗に対して少し厳し過ぎるんじゃないか、ということです。

 

僕の様な中堅社員であればある程度怒られ慣れているから結構な叱られ耐性が芽生えていてだいたい大丈夫なのですが、どうにも最近その僕のキャパシティを超えて怒られることが増えてきてる気がするんですよね。

 

あ、少し話がずれますが、これも最近の若い子たちにありがちなんですけれど「何もしていないのに怒られた」って愚痴をよく聞くんです。

 

 

でもね、これに対して中堅である僕は声を大にしていいたい。

 

 

「何もしていないから、怒られたんだよ!!」

 

 

って。

 

あのね、社会ではそういう甘いこと、ゆるされないんです。何もしない人に、なぜお金を払わなければならないのでしょうか。

 

会社で働くってことは、お金をもらうってことです。つまり慈善事業ではありません。だからこそ自発的に動くことで経済が周り、それが貴方の収入に繋がる。だから自分から動けない人はいらないんです。

 

経営者の目線を持つこと、これが大切なんだっていうことをツイッターでも良く見かけます。

 

僕には、その経営者目線があります。だからこそ自発的に動いたりしてるんですが、なぜ自発的に動いている僕が叱られて何もしない新人が怒られないのでしょうか。僕は自発的にエクセルやワードを習得しようと頑張っていますし、新人が受動的ではなく能動的に育つ様にとあえて電話をとったりしていません。

 

いいですか、あえて、あえて「動かない」という「動き」をしているんです。これは誰にでも出来ることではありません。

 

こういった視点を持った社員が存在していることに目がいっていない。

 

これが、僕が今いる会社に対して思うダメなところです。いいですか、人材は、人財なんです!!!!!それに気がつけない経営者は、天才ではなく天災ですよ!!!!

 

 

でも、コレ以外は本当に素晴らしい会社なんです。

 

だからこそ、このように退勤するのが少し悲しくもありますが、でも自分で決めたことに対して後悔はしたくありません。

 

だから僕は、胸を張って退勤したいと思います。

 

 

今日まで、本当にありがとうございました。

 

 

そして、

 

 

明日から、またヨロシクお願いします。

 

 

 

以上。

 

 

 

 

 

 

朝からこんなことを書いているだけで、マジで一日が終わりました。

窓際最高。

 

 

それで、あの、すんごい初歩的な質問で申し訳ないんですけど、退職エントリって、なんで皆さん書いているんですか?

 

 

 

 

納得のいく町紹介がないので、僕が文章だけで尼崎を紹介する。(約1万文字と長い割に内容は無に等しい)

貴方は尼崎を知っているか。

 

アメリカで生まれた。

オレはアメリカで生まれた。

オレはアメリカの時代遅れのおっさん。

 

 

こう歌ったのはブルース・スプリングティーンだけれど、これに倣っていうのであれば、

 

尼崎で生まれた。 

僕は尼崎で生まれた。

僕は尼崎の時代遅れのおっさんだ。

 

そう、我こそが「Born in the A.M.A」。

 

尼崎生まれの尼崎育ち、悪そうな奴はだいたい僕からかつあげしたお金でゲームに興じていた。教科書は高校に置いてきたどころか教科書が必要な授業もほとんどなかったし、制服すらきちんと着ていなかったけれど別に怒られもせず高校は卒業できたし、エアマックス95人気が全盛期の時代には校内でスニーカー盗難が横行し、少しでも人気のあるスニーカーを学校に履いていこうものならいつの間にか消えてしまうため上履き制度が廃止になったような学校で青春を過ごしていた。

 

そんな僕が、我が愛すべき町である尼崎を写真を使うことなく文章のみで紹介していきたいと思う。

 

写真の使わないのは別に自分の文章に自信があるだとかそういうものではなく、尼崎にはあまり写真に写りたくない人達が多くいることと、単に写真を撮ることがめんどくさいというのが主な理由だ。

 

写真には、たとえ無作為であったとしても写って欲しくないものがよく写るのだ。歳を重ねた今せつに思うのは、幽霊よりも何よりも、言葉の通じない大人の方が怖いということだ。そういう人達は、自分のなかの正義に沿っていれば平気で人を殺すから。本当に怖いのだ。浮浪者に包丁を突きつけられたことがあるだろうか。僕はある。

 

さて尼崎と聞いて思い出されるのは、何においてもダウンタウンだろう。僕も自分の出身地を伝えると、まず最初に言われるのが「ああ、ダウンタウンの」である。尼崎という地名が全国区になったのは、確かにダウンタウンの功績が大きいのは間違いない。

 

そして彼らのイメージから、尼崎は柄が悪いという印象も彼らの知名度度ともに全国に広がっていった。

 

しかし、しかしだ。

 

その尼崎のイメージは、あくまでも過去の尼崎のイメージであることを理解してもらいたい。現に今の彼らはチンピラとはほど遠く、大分まるくなってきているではないか。また、そんな彼らは今では東京の方に住居を移し(菜摘がいたからかな……)、もう尼崎在住の人間ではないのである。そしてダウンタウンがまるくなったのと時を同じくして、尼崎もだんだんとまるくなってきているのだ(シンクロシニティ)。

 

阪神尼崎の駅前からは浮浪者が姿を消し、庄下川からメタンガスが出なくなって数十年がたった。杭瀬や大物の南側の工場地帯の空気もきれいだ。頑張れば深呼吸だって、できる。

 

さて、では今の尼崎をイメージを象徴する、これもまたテレビでよく見かけるタレント及び芸人といえば、なにはともあれやはりこの方、尼神インターの渚である。彼女はまあ、そうね、あれ、あの、ああ、まあその、うん。チンピラやないか。

 

なので他に今の尼崎を象徴するような人間をだそうと思うんだけれど、ほら、あのーいたよね、うん、は?あれ?他に、あれ?

 

いや、ここで諦めてはいけない。他にもまだまだ有名人はいるんだ尼崎には。

 

ほら、あの、全国を恐怖に陥れた、角……子とか?

 

あかん、これも怖い奴や。チンピラどころではない。

 

あの、他にも、あれ、あの、そう!中島らも!!!中島らもがいた。彼こそが尼崎のホコリである。作家の中島らもは、立花の生まれであり、尼崎市市制70周年記念のコピーも書いている。

 

「ぼくがすきな まちをすきな きみがすき」

 

とこれを書いたけれど、これ以上彼及び彼の言葉を拡げられるような技量が僕にはないのでここまでにしておこう。なんせこれ以上中島らもについて書いたところで、飲酒ドラックセックス舞台小説と多岐に渡ってしまい、尼崎について書くことができなくなってしまうからだ。中島らもをまとめて語るなんて、誰にだってできやしない。

 

あと、きちんと書いておくと尼崎出身のスポーツ選手も多い。かつてサッカーの日本代表として活躍した奥大介、最近であればこれも日本代表で活躍している堂安律も尼崎出身で、彼らの出身中学である小田南中学校(調べてみたら廃校になっていた)はかの有名人、角……子の息子が卒業した、あ、これもあかんやつか。あかん。有名人くくりやとなんも書かれへん。なんでや。

 

という訳で、知名度で言っても尼崎の名は全国的なものだと思うのだけれど、どうにもイメージがよくない。その理由は僕にはまったくもって分からない。まったくほんとうに全然なぜこんなにイメージが悪いのかは全然分からないのだけれど、今回この記事でどうにかして尼崎のイメージアップを為しとげたい。

 

という訳で、ここからはきちんと尼崎の魅力を語っていきたい。

 

尼崎の人口は45万人、これは簡単に言えば尼崎には45万人が暮らしているということだけれど、それでも分からない人がいるかも知れないので(わざわざ尼崎の紹介を読むような人達にマトモな人がいないはずだという極私的偏見)、さらに簡単に言うと45万人が尼崎に住んでいて、その総数はなんと45万人になるということであり、45万というのは尼崎に住む人口である。

 

尼崎の交通事情とそれに付随する不文律

 

さてまず最初にあがるであろう尼崎の魅力はその交通の便の良さである。

尼崎には、なんと3つの電車が通っているのだ。皆大好き丹波篠山なんていうのは、JR福知山線しか通ってないからね。

 

それに引き換え尼崎は、北側から順番に、阪急電車JR阪神電車という、関西を代表する路線が市を横断しているのだ。

 

さらにそれぞれに分岐があり、阪急電車塚口駅から伊丹に向かって伸びており、JRは尼崎がハブとなって東西線福知山線東海道本線を繋いでいるし、阪神線は大物駅を境にして阪神本線阪神なんば線とに分岐する(この路線表示がくせ者で、初見だと大物駅が2つある様に見えるのだけれど大物はいつも1つ)。

 

それだけ交通に便利な路線があるので、もう大阪の北南どちらで働こうとも京都で働こうとも神戸で働こうとも福知山で働こうとも何も怖くない。どこにだっていける。

 

そしてどこにだっていけるということは、どこにも行かなくても別に問題がないということでもあるので、問題がないということは動かなくてもいいということでもあり、すなわち働いていない人も多い(当社比)。これは僕の元親父を統計の基準(n1)にしているのであるが、彼はいつまでたっても働いていなかったから実質100%無職の町。である。それが尼崎だ。

 

しかしこれだけ交通の便がいいという反面、いざ住んでみるとその3路線の接続の悪さに辟易するのが現実である。

 

まず、同じ「尼崎」という駅名がついているにも関わらず、阪神尼崎とJR尼崎には大きな隔たりが存在する。その隔たりは物質的や精神的なものではなく、主に距離である。

 

阪神尼崎は市の南部に位置しており、駅の近くには大きな商店街があって今でもまあまあにぎわっている。かたやJR尼崎は、市の中心から東に寄った場所にある。駅の北側にはいつの間にかキューズモールができ、その中に百貨店やシネコンが入っているので最近の高校生はデートに困らなくていいなあ、なんて思っている。

 

ちなみに僕が高校生のころ、デートと言えば「つかしん」か「さんさんタウン」であり、それ以外にはもう武庫川や藻川、庄下川の川辺で遊ぶだとか亀を数えるだとか小田南公園で遊ぶとか小田南公園の浮浪者に包丁をもって追いかけ回されるとかそういうデートしか選択肢がなかった。あと、三和商店街の北側の風俗街とか、三和商店街の西側のかんなみ新地を見学するとか。

 

少し話が脱線したけれど、この2つの駅は距離にして2.5km離れている。

 

一見すると近く思うかもしれないがそういうひとは三宮を一旦思い出して欲しい。あそこは阪急も阪神ポートライナーも地下鉄もJRもまとまっているから素敵だ。それに引き換え、尼崎の2.5km。近くはない。これを近いと考えるのは現代人特有の距離感覚の麻痺であるので、ここできちんとその麻痺を矯正するため、資本主義の代名詞である一万円札を使って計ってみる。

 

そのため、ここからは高度な計算式がでてくるので覚悟してもらいたい。

 

まず2.5kmを㎝になおすのだけれど、そのために必要な計算は2.5×1,000(kmからm×100mからcm)という本当に高度な計算式になり、それは僕の頭で計算するのはまったくもって無理なのでなぜかといえば僕の頭の中には消しゴムがあるからだけれど、それを補うために電卓(文明の利器でありそろばんすら使えない僕にはとても有り難い代物)を駆使したところ、250000cmなのだという。

 

そして1万円札は1枚で0.1mmらしく、10枚で1mm100枚で1㎝となり、それをいくつ積み重ねると2.5kmに到達するかというと、250000cm100をかけると出るらしく、それを計算した結果25,000,000枚の一万円が必要で、その総額はどうやら250,000,000,000円になるという。

 

電卓で打っただけなので僕は本当に数字が読めないので分かりやすく漢字にというか漢数字に直すと「二千五百億円」になるというのだ。

 

これで理解してもらえただろう。阪神尼崎とJR尼崎の間には、二千五百億円分の距離が存在しているのだ。

 

これは凄い遠いよね。体感でいうと、北海道と沖縄くらいの距離がある。なんてったって、二千五百億円だから。それでもよくわからないって人もいるかもしれないから一応書いておくけれど、プライベートジェットがだいたい70億円で買えるらしく、それを数字に強い僕があえて筆算で計算してみたところ2500÷7035と余りみたいな数字がでたので両方の尼崎駅はプライベートジェット35台分だから。これは凄い距離が離れているといっても過言ではないよね。

 

ちなみに歩くと30分くらいです。

 

それだけでは尼崎の不便さは語れない。そう、尼崎には2つ尼崎と名乗る駅がある路線以外にも阪急電車が存在するのだ。

 

かつて作家の有川浩が同タイトルの小説を書いたのでその存在を知っていたり、宝塚ファンの方々には馴染みのある路線でもあるので全国的な知名度が一番あるかもしれないが、阪急電車には尼崎という駅は存在しない。尼崎市内にある阪急の駅は、西側から「武庫之荘」「塚口」「園田」となる。塚口から派生する伊丹線の「稲野」は位置的にはどう見ても尼崎なのだけれど、所在は伊丹市である(ちなみに同じ様な場所にあるJR猪名寺尼崎市)。

 

そして、有川浩阪急電車には尼崎の駅は出てこない。あれは阪急今津線といって、阪神の今津から西宮北口を経由して宝塚までを繋ぐ線路であり、もう宝塚だとか宝塚南口だとか逆瀬川だとかなんとなく高級感がある路線だし、この路線によってなんとか阪神と阪急の乗換ができるのだから感謝してもしきれない。

 

例えば何かしらの理由で阪神なんば線を使わざるを得なくなり、しかし我が家の最寄りの駅は阪急だという場合(局地的過ぎるので多分ほとんどの人は気にもしないが)、この路線があることでとても救われるのだ。逆にいうと、尼崎において、電車のみで阪急と阪神での接続を考えた場合、梅田まで出るのかこの今津線を使うかしか、選択肢はない。

 

ちなみに阪神電車はあまり小説の舞台になったりもしないのだけれど、僕の知っている唯一の阪神電車の駅が舞台となったものは車谷長吉の「赤目四十八滝心中未遂」という小説である。出屋敷が舞台であるけれど、最後には三重の方にいっちゃうからなんとなく出屋敷が舞台って胸張って言えないのが悲しいし、作者の車谷長吉は姫路の出身なのも悲しい。でも、面白い小説である。開高健の「日本三文オペラ」が好きな人は読んでみてはいかがか。いかがって、偉そうに。

 

さて、この阪急電車は尼崎の中でも特異な路線である。何が特異かというと、端的に言えば威張っているのである。これは別に阪急電車が威張っているのではなく、阪急電車に乗っている人たちが威張っているのである。

 

尼崎には京都と同じように不文律が存在していることは余り知られていない。京都では御所に近ければ近いほどエライだとか洛外は京都ではないだとかいう目に見えない掟があるのだけれど、尼崎にもそれに類似する不文律が存在するのだ。

 

ということは、もう尼崎は京都と同じようなものであるとも言え、すなわち尼崎は偉いってことになるので、これでなんとかひとつ尼崎のイメージがアップしたことだろう。東京の人間はもっと尼崎を敬ってもいいんだぜ。だぜ?

 

で、その尼崎の不文律とは、先にあげた阪急電車の威張りに通じるものなのだが、もうこれが京都人と同じくらい意味が分からない。

 

阪急電車の沿線に住んでいること、それだけが彼ら彼女らのステータスなのだ。

 

しかし、僕は声を大にして言いたいのだけれど、実際そのステータスは今の時代、尼崎内では通用しない。

 

というかそもそも阪急沿線がお上品だというのは、芦屋や夙川、西宮の北側が高級住宅街であり、その最寄りが阪急であることに付随している(個人的見解)からだ。なので尼崎のなかでそれに付随する地域があるかというと、しいて、しいて言うなら武庫之荘ぐらいがそれに当てはまるだろう。今現在阪急沿線の地価を調べてみると武庫之荘1丁目の坪単価が約132万円、塚口の駅前で約109万円、少し北に抜けたあたりで146万円、園田では坪単価が約89万円となっている。

 

よしここで、比較対象としての芦屋である。

 

芦屋の中でも高級は高級な高級の代名詞、六麓荘の坪単価を調べてみると、約68万円となっており、その高級具合が引き立つだろう。

 

ん?

 

いや園田未満じゃん、坪単価。芦屋そうでもないじゃん。ぼくらの園田未満都市じゃん。愛されるより愛したいじゃん。

 

なんて思ったんだけれど、やっぱり全域で見ないとわかんないよね、という訳で、平均坪単価で見ると、芦屋市は約114万円、西宮市が約86万円となり、それに引き換え尼崎市は約67万となっており、そうやってみるとやっぱり尼崎は低いんだよね、って言う結果に繋がる。

 

しかしさっき見ていた尼崎内の阪急沿線の単価に比べると市の平均が低い印象がどうしても拭えないので、取り急ぎ阪神沿線の地価をみてみたのだけれど、

 

阪神尼崎の坪単価が約87万円で平均以上というか西宮クラスであり、そうなると阪神だって頑張ってる、馬鹿にされるようなことがないと思われるだろうけれど、その1つ西隣の駅である出屋敷が際立ってヤバい。

 

尼崎の地価最安値、約46万円。

 

一駅しか違わないのに値段は倍ぐらい違う。次に低いのは出屋敷のさらに隣にある尼崎センタープール前でこれも同じく約46万円。で、3番目に低いのが尼崎の東隣の大物で、47万円。

 

という訳で阪神尼崎はなんとか頑張っているけれど、その周囲の駅がまるでドンキホーテ並みに地価大安売り状態であり、尼崎全体の地価をさげている状態になっているのは間違いないし、ちなみにJRはと言うと約85万円くらいでここも結構頑張ってる。まあ大半はキューズモールのおかげだろうけれど。

 

そんな風に地価を見てみると、やはり阪神沿線は見下されて当然だなあなんて感想が出てくるので、僕たちのような阪急沿線利用者からすると、阪神はやっぱりなんだかねえ、と言わざるをえない。

 

本当に、阪急があるから尼崎の品位が保たれているんですよ。ね?やっぱり阪急以外の鉄道つこてる人達は、ちょっと、ねえ?なんだかねえ?いや、別に悪いって言うてんのとちゃいますえ?ほやけど、ねえ、まあ、口には出されへんけども……。

 

 まあ話を戻すと3線の接続がそんな状態なので、尼崎内でこの3本の路線に乗ろうとすると、JR尼崎からプライベートジェット35台分飛ばして阪神尼崎にいき、そこからわざわざ西宮市にお邪魔してオシャンティな今津線に乗り換えて西宮北口に向かい、そこで阪急に乗り換えて武庫之荘なり塚口なり園田なりにいかねばならんということです。

 

これを断絶と言わず、なんといおう。

 

3本の矢、という故事があるが、尼崎の鉄道における交通事情はその故事をまるで無視している。3線が、誰も協力し合わないのだ。人口減少が叫ばれる昨今において、こんな体たらくではいけない。果たしてそんなことで、尼崎が盛り上がっていくのだろうか。

 

そう思った僕はとりあえずこれも駅の利用者数を調べてみたら阪神JRは少し増えてて、阪急は横ばいなんだと(平成29年度の尼崎市統計書から出典)いうことが分かり、別に協力する必要ないじゃん、と思い直しました。

 

まあ、そんな感じで尼崎の紹介を書いてきたのだけれど、交通に関することだけで約6,800文字を消費してしまったのであるが、ここから気分を変えて尼崎の観光についてかいていきたい。

 

尼崎に観光来る奴、

どっか頭おかしいんじゃねえの

 

先に書いておくけれど、尼崎に観光すべき場所なんていうのは、ない。

三和商店街は大きいといっても大阪の天神橋筋商店街の方が格段ににぎわっていて飲食店も多い。男の為の歓楽街、かんなみ新地も飛田や松島に比べると規模は幾分か小さい。それ以外に何があるのか考えたけれど、田能遺跡は豊中市だし大阪空港は伊丹と池田、動物園や植物園もないし家族で遊べる大きな公園があるわけでも、古からの歴史ある風情などもほとんどない。古い建築が好きならユニチカ記念館はみたほうがいいけれど、水曜日しか見れないし、フランクロイドライトの弟子、遠藤新が設計した甲子園会館は西宮の敷地だ。羨ましい。

 

しかしこれをいってしまうと尼崎のイメージアップには繋がらずこの記事の意味がなくなってしまうので、なんとか頑張って観光案内に恥ずかしくないものをピックアップしたい。

 

さてまず1つ目。

 

尼崎には大物という駅があり、その駅から徒歩3分くらいに大物公園という公園がある。その公園には森(というには小さ過ぎるが)があり、その森は上空から眺めると日本地図の形になっているのだ。しかしこれは実際に行っても確認出来ないし、Googleマップで見てみても日本地図には見えず、いびつな馬にしか感じられない。

 

さて、2つ目であるが、

 

 

尼崎の観光案内しようとしてるやつ、

頭おかしいんじゃねえの

 

という訳で、2つ目すら出すことができなくなったので、ここからは尼崎独自の食文化に重点をおいて紹介していきたい。

 

尼崎が世界に誇る商店街、三和商店街はいくつもの人気店が並び、商店街衰退のご時世に対してなんとか抗っている。

 

尼崎のグルメには、まだまだ可能性が潜んでいるのだ。

 

なので個人的に美味しい店をピックアップしたい。

 

いや、本心から紹介したいのだけれど、そもそも僕は大阪で働いているので飲むなら大阪で飲んでしまうし、三和商店街に行くのは月に1度もないのが現実だ。

 

またこういったブログなどでお店の紹介等があった場合、僕はそのブログの管理人と紹介された店の裏の繋がり(お金や暴力の有無、性的な関係)などを勘繰ってしまうので、どんないい店であったとしてもそこを気軽に紹介したくないのだ。

 

ちなみに尼崎とはまったく関係ないのだけれど、北海道のカレーに関してはこの人のブログが面白いし家でカレーを作りたくなった時の参考にもなるので、一度見てみてはいかがでしょうか(このブログで紹介するということは、このブログの管理者である男性と肉体および金銭、暴力関係があるということに他ならない)。

 

curry-map-hokkaido.blogspot.com

 

さてでは話を戻して他に尼崎のグルメで思い出すことと言えば、かつて尼崎の駅前に自転車を止めていたところ、カゴの中に一枚のチラシが入っていたことがある。そこには「尼崎の新名物!串カツ!」と大々的に書かれていたのであるが、それ以前もそれ以降も、僕は尼崎で串カツなんぞを食べたことがないし、串カツを食べるなら新世界に行く。

 

ではこれがマジの尼崎のグルメだ!と胸をはって呼べるものがないのか、と問われた時に「無い。ここには何も無いんだ」と答えるのは個人的に癪に触るので、ここでひとつとっておきグルメを紹介したい。

 

しかもそのグルメは極めて手軽であり、また今回のこの記事で尼崎で知見を得た後には、おのおのが地元に帰っても再現が可能なグルメであるので、ぜひとも今回はこの文章で尼崎の絶品グルメを堪能していただきたい。

 

では。

 

阪神尼崎駅を降りると改札があるので、右手にまがる。すると目の前に噴水があるので、その横を通って国道2号線まで出る。途中にポリボックスがあるけれど、警察官は尼崎以外の人には優しいのであまり注意しなくても大丈夫。ちなみに俺は以前、1日で4回職務質問されたことがあるが、それは俺が尼崎生まれ尼崎そだちだからだ。悪そうなやつはだいたい警官。

 

2号線についたら、西、つまり西宮方面に歩いていくと、関西では大阪以外にここでしか見ることができない一大レジャー建築である、スーパー玉出が見えてくるので、迷わずそこに入るが吉。元の社長は捕まってしまったけれど、尼崎の玉出はまだまだ健在だ。

 

入り口には老若男女が集い、部外者である貴方をつまはじきにするかもしれないが、そこでひるんではならない。「なんじゃ、ワイが浪花のジャックニコルソンじゃ!」という気持ちを胸に秘めてズンズン奥に入っていく。

 

お酒コーナーに行くとワインやビール缶酎ハイが「おにいさん、こっち、こっち」「いやいやうちの方がええ子おるで」と貴方を呼ぶだろうが、一切無視して欲しい。

 

俺たちが求めているのは、紙パックの「鬼ごろし」、それだけだ。

 

鬼ごろしを手に取ったら、つぎは総菜コーナーに向う。揚げ物、お寿司、弁当など「目に刺激 お腹に刺激 細川茂樹」といったような感銘を与える食材たちに目移りしてしまうだろうが、ここでも目指すものはただ1つだ。

 

 

俺たちが求めているのは「ゆで卵」、それだけだ。

 

レジに向かい、会計をする。200円もあればおつりがもらえる。そして出来れば、一円玉多めで勘定を済ませたほうがいい。尼崎感が出るし、レジの店員からよそ者だと認知されにくい。まちがっても一万円札なんかは使ってはいけない。尼崎では命取りだ。

 

無事に買物が出来たら少し道を戻って商店街の入り口に向かうといいだろう。りそな銀行尼崎信用金庫に挟まれた場所、それが「三和本通商店街」の入り口だ。どうだ、まるで現実世界に舞い降りたバーチャルリアリティ、ファイナル(人生の最後)ファンタジー(幻覚)みたいだろう?

 

ではそこで、少し周りを見回してほしい。何が見えるだろうか?

 

え?何も見えない?

 

もっときちんと見てください。

 

尼崎信用金庫の前に、垣根が見えないか?

 

そう、それが目的地だ。それが尼崎のセーブポイントだ。尼崎グルメを堪能したら、きっと動けなくなるはずだ。だからこそ、セーブすることが重要なのだ。その垣根に腰をかけてみろ。一息つけ。そして顔を上げるんだ。さあ何が見える?目の前に広がるのは2号線を行き来する大量の車と排気ガスだ。さらには、その先にある「平日サービスタイム カット690円」の文字だ。

 

尼崎では、690円でジェントルマンになれるのだ。いわばそこが尼崎のビック・ベン。

 

どこで食べるか、というのは満たされた食事に必須といっても過言ではない。シチュエーションが食事の善し悪しを左右するのだから。シチュエーションが整えば、あとは空腹を満たすのみだ。

 

腰を落ち着けたら、鬼ごろしにストローを指し、出来る限り長く吸いながら飲みこむ。そうすることで、極めて早く酔えるのだ。これこそが尼崎の先人賢人たちが発見し、長年に渡って受け継いできた文化なのだ。

 

喉が潤えばあとは食事だ。ゆで卵の出番だ。

 

別に殻が下に落ちても気にしなくてもいい。既に煙草の吸い殻等で足下はいっぱいなはずだ。白身、黄身、鬼ごろし、黄身、煙草、鬼ごろしと、思うままにむさぼってくれ。そ

 

れが、その三すくみのマリアージュこそが、「尼崎の味」なのだ。

 

 

ただし1つだけ注意がある。

ストロングゼロだけは飲まないでほしい。あれは尼崎の文化ではない。若者だけにゆるされた、しかも都会の疲れた若者だけが追求できる文化なのだ。

 

どうしても日本酒が苦手だ、というのであれば、かつてのアル中御用達ドリンクである、タカラ缶チューハイを手に取って欲しい。余計な甘さのないドライな飲み口を、ゆで卵とともに堪能してほしい。

 

 

まとめ 

 

さて、尼崎を足早に紹介したけれど、どうだっただろうか。自分で書いていてなんだけれど、なかなかしっかりと尼崎のことを描けた様な気がする。上っ面だけではない、本質に迫った尼崎の姿を。

 

けれどここまで書いていて痛感するのは、尼崎の面白さは名物になる場所やイベントの有無、美味しい店や歴史的建造物等ではなく、やはり人だ、ということだ。

 

 

尼崎に住む人達は、いつも楽しそうに思える。駅前で笑い、商店街で笑い、公園で酒を飲んで笑う。これほど幸せそうに人が暮らす町を、僕は知らない。きっと小さな悩みなんかを吹っ飛ばしてしまうくらいの良さが尼崎にはあるのだろう。余計なストレスに悩まされることなく、奔放に生きている。ストレスがないのは、長生きにもいい。

 

そう思い僕はあえて尼崎の自殺率と平均寿命を調べてみたのだけれど、自殺率は全国の平均より高かったし平均寿命も短かったから、皆が笑って暮らしているというのはどうやら僕の気のせいだったらしい。

 

とまあ長々と書いてきたけれど、僕は今尼崎に住んでいないので、実のところあんまり深い関係はない。

 

けれど、青春を過ごした町であることは間違いないので、どうぞこれからも尼崎を宜しくお願いします。マジでいい町だから。

 

尼崎にどんな人がいるのか知りたかったら、適当な立ち飲み屋にでも入ってみればいいだろう。いつの間にか自分自身が尼崎の人間になったような気になってくるはずだ。まるで千と千尋の神隠しに出てくるお父さんとお母さんが豚になったように。

 

アーケードのむこうは、不思議の町でしたつってね。

 

ちなみに僕がよくやる尼崎の楽しみ方は、ほとんど営業を辞めてしまったシャッター商店街を見て回ることです。たまに湯婆婆みたいなババアに出くわします。

 

 

以上、お疲れ様でした。

そもそも「丁寧な暮らし」ってなんだっけ。

少し前、いろんな場所で見た記憶がある「丁寧な暮らし」という言葉をめっきりみなくなった。

 

コンビニの本棚に並んだどの雑誌を見ても「弁当箱はワッパ」「週末には常備菜作り」「ジャムだって手作り」「器やテーブルコーディネートにこだわる」「ハーブを育てる」なんてものが書かれ、そんだけ他の雑誌と同じ様な特集組んでること自体けっこう雑な仕事じゃねえか、そもそもそんな適当なことばっかり並べてるお前ら自体が丁寧じゃねえよ、なんて悪態をコンビニで立ち読みしながら呟いたのち、缶ビールとウィスキーのポケット瓶と柿の種をかって家でゲームをしながら飲酒後昏倒、なんてことをしていたのだけれど、丁寧な暮らしとそれにかかるような言葉達を見なくなったのは皆がその丁寧な暮らしに辟易したからであろう。

 

そもそもこの「丁寧な暮らし」というものの根底にあったのは、そんなにお金を使わなくても気持ちの持ち様や考え方、行動においてきちんとしていれば生活が豊かで潤いますよ、みたいな思想が存在していたように思う。特に丁寧な暮らしが芽生えてきた初期においては。

 

しかしよくインスタグラムで見かける丁寧な暮らしタグでは、丁寧な暮らしの為に新しい食器を買い、オシャレに見えない山崎春のパン祭りでもらった白い皿やローソンでもらえるリラックマのマグカップなんかは嫌な思い出とともにゴミ箱に放り込んで、その新しい器に見合うように山奥にある自然派レストランまで排気ガスを撒き散らしながら車を飛ばして手作りのジャムを買ってきたら、ホームベーカリーで初めてパンを焼いてみましたつってキンタローの顔みたいな四角いパンと一緒にパシャり、「んーーー!オイシ———!」つって頭ゆらしてるような状態で脳内麻薬ドバドバ自撮りを決めてたかと思えば、満面の笑みとよく分からない柄のストールを頭に巻いてまた写真をパシャりととって「ナチュラリストなワタシ素敵でしょ」という自慢とともに「私の渾身の丁寧な暮らしぶりを見てください!どうも自己顕示欲の塊です!」なんていうのをアピールしているように見受けられる。

 

そういった行動を続けていると確かに一時的には生活が潤うかもしれないが、よくよく考えればそれは生活が潤っているんじゃなくて単純に自己顕示欲が満たされるだけであって、しかもその一時の快楽の為にかかる手間が尋常ではないしその丁寧な暮らしは結局丁寧でもなんでもないし言うなればただの無駄遣いなんじゃねえかって思いますよね私としては。

 

またそのように普段から丁寧な暮らしに慣れていないひとは基本的に飽き症でありめんどくさがりでもあるので結果的に写真を撮る為に1度しか使わなかった木のボウルや竹で編んだカゴや無駄に重い鋳物の鍋やホームベーカリーや枯れた観葉植物やカビの生えた常備菜が生活スペースを埋め尽くすことになるし、そんな感じで家の中が乱れに乱れていたとき、食器棚の奥の方にたまたま残っていたままになっていた山崎春のパン祭りでもらった真っ白な深手のボウル皿を見つけ、その横にあった賞味期限のキレたケロッグコーンフレークを入れてスコーンをつくる為に買ったはいいけれど強力粉がなかったから作れなくて余ってしまった牛乳で流し込んでみるとこれがまた何ともいえずウメエなあ心が満たされるなあなんつってホッと一息つくようになるのは目に見えている(そしてこれは極めて個人的な偏見なのだけれど、こういうやつらはヤストモのドコイコ!とかを見て、そこでヤストモがお勧めした食器や調理器具を際限なく買ってそう。なんというか、まずあの2人の台所がどうなっているのか見てみたい。本当に料理してるのかってくらい、いや、まず料理出来るスペースがあるのかってくらいの勢いで調理器具とか食器買ってるし、一度買ったもの使ったっていう話もほとんど聞かない)。

 

さすればおのずと、ああ、やっぱりこの乱れた生活が自分にとっての丁寧な暮らしなんだなつってセブンイレブンに向かいつつ、棚に並んだ弁当も丁寧な暮らしに感化されたのかは知らんが「半日分の野菜がとれる!」と大々的に書かれていながらその重量は半食分にも満たない様な大きさになっていることを知り涙を流すし、こうなると丁寧な暮らしなんていうのは実際のところこの社会においては悪い存在なんじゃねえのか、なんてことを考えてしまうのは火を見るより明らかであり、それはもう自分で火をつけた後の燃え殻を見たあとなのだからあながち間違いないではないし火はもう確実に燃え盛っている。

 

なので現状出しうることの出来る最適解は、「丁寧な暮らしとは放火魔である」というものであろう。

 

しかし世の中にはそんな放火魔ばかりではなく、実際今現在に至っても丁寧な暮らしをを実践し続けている人がいるはずなのだけれど僕の周囲においては見ることがない。

 

一時期は丁寧な暮らしという単語を見かけるたびに、妻と話をしながら「ではこの柿の種を袋からザザザと口の中に流し込むのは丁寧な暮らしとは相反するのか」「丁寧な暮らしの人は、どこぞの作家さんが作った青や赤色の平べったい皿などに盛るのではないか」「いやいや、丁寧な暮らしの人はそもそも柿の種を食べないのではないか」「では何を食べるのか」「……ひまわりの種?」なんていう、答えのまったく出ないやり取りに興じたりもしていたのだけれど、最近はその単語すら見かけないのでそう言ったやり取りもなくなってしまった。

 

というか、多分僕の性格上、そんな丁寧な暮らしを送っている人達にシンパシーを抱くことすらそもそもなく、むしろどちらかといえばなんとなく好きになれない。

 

なんせ、本当に丁寧に暮らしている人というのはわざわざインスタやツイッターで外に向かって発信しないだろうし、よしんば発信していたとしても【♯丁寧な暮らし】なんてタグはつけないはずだ。これも少し考えれば分かるだろう。

 

人は皆排泄をするしまたその排泄が済んだ際にお尻をふく。しかしそれは当たり前の行動であり、SNS上ではだれも【♯お尻を拭く生活】なんてタグをくっつけないし、おやすみーと呟いた投稿に【♯まぶたを閉じる】なんてタグもつけない。それはもちろん、当たり前だからだ。普通にしていることを誰も口に出したりはしないのだ。

 

そういった、本当に丁寧な暮らしをしている人は意識せずできていることを、あえて意識して生活しようとしているが故に無理が生じていくのだし、そういうわざとらしい丁寧な暮らしの風景を見ていてもなんとなく取ってつけた様な印象を受けてしまうのだ。

 

 

さて話は変わるが、最近めっきり寒くなってきたのだけれど、空気が冷えれば冷えるほど僕の中でソーセージ作り欲が増大していく。

 

これは肉のエマルジョン化や燻製における安全性に繋がるもので、まず気温が高いと肉の液状化が難しくなるので室温が低くなればなるほどソーセージ作りは楽になり、また気温が低いと長時間の燻製でも菌の増殖を気にしなくてすむからだ。

 

という訳で先日、羊腸4m分のソーセージを作ったのであるが、これは量でいうと肉の分量が1.3kg、玉ねぎ半個分、白ワイン200ccにハーブ類や調味料が入るので総重量としては1.5kgくらいとなり、短めに作るとおよそ30〜40本とそれなりの分量のソーセージとができる。

 

僕と妻はあまり大食漢ではないので、できたてを楽しんだ後は冷凍をして少しずつ楽しむのだけれど、料理というものにハマった人には分かってもらえると思うのだが美味しく出来た時は誰かに評価してもらいたくなるのも人の常である。

 

そのため、僕にはその欲求を満たしてくれるソーセージの味見役をしてくれている人達がいるのである。

 

その人達とは妻の長年の友人とその夫、及びその子供なのだけど、今回ももれなくその御三方に味見をしてもらうべく冷凍したソーセージを手みやげにして御宅に向かったのである。

 

その御宅で鍋を借りて冷凍ソーセージをボイルすること数分、箸でつまみながら柔らかさを確認し、中まで温まっているのチェックしてから取り出してキッチンペーパーで水分をふく。その後これも調理の為に持参したのだけれどカセットボンベに繋げることができるガスバーナーを用いて表面を炙ったものを御三方にご賞味いただいた(これが僕の思う一番美味しいソーセージの調理法だ。あと、ボイルの温度は70℃を超えないようにしなければならない。ぼそぼそになってしまう)。

 

また、以前もこの記事で書いたのだけれど、

 

itamimati.hatenablog.com

 

手作りのソーセージにこの自作マスタードをつけると結構マジで本当に美味しいのだけれどその美味しさをあえて野暮だというのを理解したうえで説明してみると、

 

「丁寧な火入れ及び加熱でジューシーかつパリッと仕上がったソーセージとあえて酸味を強く残したマスタードを一緒に噛んでいると肉の脂とマスタードのツブツブが合わさってなんだか徐々に脳みそからも同じようなどろっとした汁が出てきてしまうんだけれどその汁を体外に放出することすらもったいねえなんて思ってしまうくらいで、でもそのまま放っておくと鼻の穴から汁が流れでそうになるので何とか啜りながら体内に留めとこうと我慢した結果その汁が副鼻腔内に溜まってしまって蓄膿症になってしまった」

 

というような美味しさである(例えが汚いのはもうしかたがない)。

 

しかしまあそれほどに美味しく出来上がったのだ。

 

そのソーセージの味見をしてくれたお三方から頂いたご褒美の言葉もそれに類するような喜ばしいコメントばかりだったのでなんとも嬉しい訪問であり、また彼女とその夫の間に生まれ育っている子供に関しても薄汚いおっさんと仲良く遊んでくれたこともあり、大満足のうちに大団円すなわちお開きの時間とななった。

 

その家を後にしようと玄関に向かったのだけれど、妻の友人が最後にいったひと言に僕はビックリしてしまった。

 

「でもあれやね、無添加でソーセージ作ってマスタードまで自作するなんて、ほんまに丁寧に暮らしてるって感じするよね。なんかうらやましいわ」

 

なんと彼女は僕に対し、「丁寧に暮らしている」と言ったのだ。

 

なんのことはない。最近見かけないと思った「丁寧な暮らし」をしていたのは、どうやら僕自身らしいではないか。

 

そしてそのような日常的な出来事をブログをしたためているということは、僕自身が丁寧な暮らしの発信者である、ということでもある。

 

たしかによくよく思い返してみると、僕は自家製のソーセージと自家製のマスタードを食べながら「んーーー!オイシ———!」つって頭ゆらしてるような状態で脳内麻薬ドバドバ決めてたわ。

 

さて、そうなると話は変わってきますが、丁寧な暮らしをすると本当に心が豊かになり、精神的にも満たされ、私の半径5mの世界は何とも平穏で過ごしやすい世界だなあ、なんて思いますね。

 

なので本当はもう少し我が家でこだわっていること、特に常備菜や自家製ジャム、庭に植えているハーブや普段お弁当をつめているワッパ、テーブルコーディネートその他諸々について書きたいと思うのですが、そろそろヨガの時間が迫っているのでこのあたりで失礼します。

 

 

 

という訳で、今からレオタードに着替えて家を燃やしておきたいと思います。

なんてったて、我、丁寧な暮らし放火魔ぞ。