僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

馴染みの店、というのに憧れている。

馴染みの店、と聞くと、山口瞳における祇園サンボアや中島らもの通った尼崎の大貫ラーメン、織田作之助の愛した自由軒などが思い出されるが、こういったいきつけを持っているというのは何となく大人の風格が感じられてよいものである。

 この文章は、一年ほど前にこのブログの下書きに残されていたものだ。

 

その流れから推測するに過去の僕は自分自身の馴染みの店について書こうとしたのだろうけれど、いったいその頃の僕はどのような思考回路をしていたのだろうか。

 

そのような疑問を持ったのは、どれだけ思い返してみても、過去を辿り今の今に至るまでの自分の人生を詳細に振り返ってみても馴染みの店なんていうものが一軒もないからであり、むしろ馴染みの店の話題をよく書こうと思ったな、と今の自分が考えたからである。

 

強いて、強いて言うのであれば、よく煙草を買いにいくセブンイレブンが馴染みの店といえるのではないかっていうのがギリギリの線で、しかしこれはもう馴染みの店とかでくくってはいけない店(コンビニだから)であるし、もしかしたら嘘か?嘘をつこうとしていたのか?とも深読みしてしまう。

 

なんのために??

 

そもそも我が家は基本的に食事は自炊であり、例えばなんとなく外食に偏りそうな昼食に関しても自炊派、ほぼ家族経営の職場なのでそこでご飯を作る事ができるようになっている。

 

なので昼をまたいで外に出る様な時であっても店では食べず、職場に戻って3時でも4時でもいいから妻の手料理を食べるというようなスタイルをとっている。

 

そんな状態ではあるが、たまに気分転換をかねて外食をすることがある。

 

そう、外食をすることはあるのだけれど、その際にいく店はほぼほぼ決まっており、男らしい気分の時には王将へ、女の子ぶりたい時にはサイゼリアへと向かうのが我が家の定番である。

 

ちょっとまてよ。

 

ということは、もしかして、本当にもしかしてだけれど、昨年の僕はサイゼリアや王将を自分の馴染みの店として紹介しようとしていたのか?

 

山口瞳中島らも織田作之助を引き合いに出して?

 

もしそれが真実ならば、ヤバい。

これはもう人としてヤバいではないか。

そんな見栄を張る意味がわからないし、そもそもそれが見栄にすらなっていないのに気がついていないのがヤバい。

 

虎の威を借る狐、という諺があるが、それは力を持たない狐ちゃんがとっても強い虎ちゃんの力をさも自分の力であるがごとく見せつけていばっちゃうみたいな意味だったと理解しており、しかもそれを覚えた頃、小学校低学年の僕は「へ、狐ちゃんって、だちぇえなあ」なんてことを思ったことを覚えている(神童)のだけれど、しかし今現在30歳を大幅に越えすでに40歳に近づこうかしている、もう人生の半ばを過ぎたかもしれない大の大人が自分の虚栄心を満たす為に文豪の名前を借りるというのは虎の威を借る狐どころか和田アキ子哀川翔の名前を出していればなんとかなると思っている勝俣州和と同じようなものであり、それはそれでまあ面白いしたまにギバちゃんの面白い話とかもたまに聞けるから彼にはこれからも短パンで頑張って欲しいけれど、過去の僕よ、お前はダメだ。

 

しかしながら過去の僕が嘘をつきたくなる気持ちも少しはわかり(だって自分のことだから)、確かにいい歳をした人間が馴染みの店とまでは言わないが、チェーン店ではないいい感じの店やなにかしら自慢できる特徴がある店を知らないというのは少し悲しくもある。

 

が、そもそもそういった店を持っている人というのは、友人知人が多くそのために外に出る機会も多いだろうから同じ場所が続くと飽きる、だからこそ楽しい店を調べたり足を伸ばしたりする中で行きつけの店が見つかったりするのであろうけれど、かたや僕は友人がおらず、また妻とは同じ職場で同じ家、出勤退勤も同じタイミングでこなすので、わざわざよそに出かけることをしなくなっているし、どうせ2人のことなのでそれならば家で気楽に過ごそうではないかという意見の一致のすえ、外食よりも内食を楽しむ為に豚の肉と羊の腸でソーセージを作ったり豚足を煮たり豚の耳を茹でて炙ったり豚の内臓を炒めたりしているのだけれど、よくよく考えるとこれは豚を食い過ぎな気がするが、やっぱり豚は美味しいから仕方ない。

 

そういえば我が家には低温調理機があるので調子に乗って塊肉も料理するのだけれど、先日あまり行かないスーパーに行くといわゆるブランド豚がセールになっており、普段よく食べているカナダ産の豚と同じような値段になっていたので即購入、低温調理を試してみたところマジで美味かったのでおもわず妻に「アレだね、豚の柔さと脂の美味さがちがうよね」と伝えたところ、「豚が偉そうなことを言うな。ブヒブヒとだけ鳴いておけ」ということは言われず、これはただ僕の心が求めている声であり、僕は妻にとっての雌豚になりたいのであり、これはもう同物同治の精神で豚肉を食べているのである。

 

急に同物同治と言われてもピンとこないかもしれないので一応解説しておくと、中国の医学、中医学において、身体に悪い箇所がある場合には同じ部位を食べると良いと言われており、つまり肝臓が疲れていれば肝臓を食べ、胃の調子が悪ければ胃を喰らえという教えなのだけれど、僕はそれを深く信奉しているので豚になりたいから豚を食べているし、そういえばニワトリもよく食べているので記憶力がニワトリ並み。

 

おうふぉ、わわひあ、えううあえう(どうも、私が、雌豚です)。

 

とまあ猿ぐつわをされた状態で自己紹介してみたのは、これは別に猿を食べていたわけではなく僕の性欲が猿並みでありまたそれに伴い普段から猿のように狂ってオナニーにふけっているからであり、猿はなにも悪くないしそもそも猿を食べようと思ったこともないけれど、次の誕生日にはやっぱり猿ぐつわが欲しいしその理由としては雌豚には猿ぐつわがよく似合うから。

 

さて、このような話になると、この後の流れ的には普段食べないような肉類、珍しい肉やジビエに話を持っていくのがスタンダードな、流暢な文章の流れとなるのだろうが、ではこのブログにおいてだれがジビエの美味礼賛を求めるだろうか。

 

少なくても、僕は求めない。

 

猪肉や鹿肉、うさぎやうずら、雉や野鳩が美味しいのは知っている。知ってはいるけれど、ではここにおいてそんなことを書いたとして誰が喜ぶのだろう。

 

ホリエモンが満を持してヌード写真を出しても誰も喜ばないように、このブログで僕がグルメを語っても誰も喜びやしないのだ。

 

なのであえてここは文章の潮流に反発し、川の流れのようではない方に流れを持っていきたい。美空ひばりになんて、誰もなれやしないのだ。

 

さて、そんなこんなで話をすすめるが、先ほどあげた同物同治という概念は果たして肉体的以外にも成立するのだろうか。

 

例えば本を読む時には、落ち込んでいれば明るい本を読むより暗い本を読む方が意外に心が救われたりもする。それは音楽においても同じで精神が病んでいる時に限ってシロップ16gやcoccoを聴いてしまうように、マイナスの状態の時にはマイナスを、まちがってもしんどい時に陽の塊である遊助なんかは聴いてはいけない。

 

そのポジティブさは毒となり余計に死にたくなってしまうこともあるのだ。(もうやべえなこの世界に俺必要ねえな)とか漠然と考えてる時に『ブーンブンシャカブブンブーン!!!』とか耳元で言われたらやっぱり腹がたつし、あの笑顔って暴力的だろう?

 

ちょっと話がズレるけれど、一応ブの数が合っているか遊助のミツバチの歌詞を検索してみたら「ミツバチ(三万人の村人ver.)」というのがあった。本当に遊助のことはよく知らないのだけれどそんな僕にも一つだけわかることがある。

 

これ、3万人も村人がいたらそれはもう村じゃないだろう。

 

町だ、町。

 

と、そこでまあ本当に無駄に気になってしまったのでウィキペディアで調べてみると、「市町村の合併の特例に関する法律平成16年法律第59号の新法では第7条)の規定が適用されれば3万人以上は、市になれる」とのことでした。

 

町以上でした。市ですよ、市。

 

っていうか、そんなことよりもそれだけ村民がいたらミツバチなんかとっくに駆除されてるはず。

 

 

まあ、そんな感じで肝臓が疲れたら肝臓を食べるのと同じ様に、精神的にしんどい時にはしんどくなる音楽を聴くとマジでマシになるっていうのが僕個人的にあるのだけれど、これでもう同物同治は精神でも成立するのではないかって思ってしまうのは間違いない。

 

そういえば最近『ボヘミアン・ラプソディ』という、クイーンを題材にした映画が世間を賑わしているが、僕自身は恥ずかしながら未だ見ておらず、というか昨日妻と映画に向かったのだけれどそこでも『ボへ』は観ず、そこで見たのは『リンダ・リンダ・リンダ』という山下敦弘監督が2005年に撮った映画であった。

 

近所の映画館でたまたま山下敦弘特集をしていたのであるが、『リンダ・リンダ・リンダ』はその昔それこそ妻とまだ結婚する前に山下監督の出身母校である大学での試写を一緒に見て以来であり思い出の映画でもあり大好きな映画の一つでもあり、上映予告を見かけてから昔のことを思い出して本当にドキドキ、でもまあDVDも出ているので別にレンタルでも良いかな?みたいな話をしていたのだけれど、その劇場のサイトを確認すると上映時間は17時45分開始とあり家の用事を済ませてみるとまだ15時頃、あれ、時間に余裕があるんじゃねえかとなり、そうだよやっぱり劇場でみたいよねと意気投合。

 

で、映画館で久しぶりに『リンダ・リンダ・リンダ』を観たのだけれど、この時のぺ・ドゥナがまじで半端なく可愛い。僕の中で映画の2大可愛いはこの時のぺ・ドゥナと『レオン』の時のナタリー・ポートマンであり、これはもう異論は認めない。

 

ちなみに一番好きな映画は『天使にラブソングを2』です。ウェンディ・マッケナ最高。ウーピー・ゴールドバーグこそアメリカの国宝。さらにちなみにですが、好きな海外の男性俳優はスティーブ・ブシェミです。

 

まあそんな感じで映画は一応観に行ったりするタイプではあるのだけれど、これだけ世間を賑わしたボへ及びフレディには未だ触れていない。

 

しかしこれだけフレディが世間を賑わせているということは、これはそもそも世間からフレディが足りていなかったという証左でもある。

 

そして今現在、日本ではフレディ過多となっている気がしないでもない。正月番組の間にもボヘのCMが流れていたし、色んなワイドショーでもボへの熱狂ぶりやフレディの生涯に触れでぃしたりしているし、そうなるとこれだけ僕が注意してフレディを避けていても、いつフレディのほうから僕に触れでぃしてくるかわからず、しかし僕は元来のひねくれ者なのでこれほど賑わっていてはこちらからは意地でもアクションしてやんないかんね!と反抗期の女子校生みたいな心持ちでいるのだけれど、ここまで賑わってしまっていては、もしかしたら満を持して向こうの方からこちらに向かってくるという可能性もないとは言い切れない。

 

そう、それはまるで、学校の怪談のように。

 

始まりは、突然なった電話。

 

 

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。今ね、イングランドのネブワーズ公園にいるの。」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。今ね、ヒースロー空港の近くにいるの。」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。今ね、やっと羽田。疲れた」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。今ね、関空。麻薬犬に嗅がれた」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。関空から梅田って直通のバスか電車どっちがはやかったっけ?」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。南海は混むやろからバスにしたわ。」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。やっと梅田。なんかここもめっちゃ混んでる。」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。コンビニやねんけど、ビールいる?」

 

プルルルルル。

フレディ「もしもし、私フレディ。今あなたの家の前にいるの。」

 

 

そんな、海外からわざわざ来てビールまで用意してくれるフレディに対して、僕は冷たくあしらうような極悪非道な事が出来るだろうか、いや、できない(反語)。出来るはずがない(反復)。

 

そう、フレディが海外から僕の為に来てくれたのだ。

 

そこは受け入れるのみならず、おもてなしをしてこそ日本男児というものだろう。ここまでしてもらっているのに彼に冷淡な態度をとってしまうと、八百万の神が許してたとしても、滝川クリステルが許さない。

 

まあ僕個人的には滝川クリステルに叱責されたいのだけれどこれで失礼こいてしまうと僕個人ではなく日本国の恥となり僕一人のせいでジャパンの評判がジャポンと沈むかもしれず、そんな責任はこの貧弱な背中では背負えない。

 

であれば海外からわざわざ来てくれたフレディの為になにかしら良い店でもてなしたい、とない頭で考えたのであるが、先に書いたように、僕にはおすすめの店や馴染みの店というものがないので、そもそも誰かをおもてなしをすることが出来ないのである。

  

なのでしかたなしに、僕に何かできる事がないか、もし彼の趣味に沿うのであれば、自分にできる限りの料理でもてなそう、そう考えた。

 

例えばブランド豚をつかったローストポークミミガーの中華煮込みや豚足の酢みそなど、豚肉関連ならなんとかすぐに用意出来るし、もし冷凍で良ければ先日作ったソーセージも冷凍庫に残っているよ、それ以外にも近所のスーパーで新鮮な野菜が手に入るから蒸し焼きでもサラダでも煮物でも用意できるし、ちょっと時間がかかってもいいなら燻製料理だってできるよ、みたいなことを考えたけれど結局何を用意していいのかわからず、とりあえずフレディに何か食べたいものがないか聞いてみると、

 

「まあ、きゅうり?」

 

みたいなことを言ってた。

 

 

だから2人できゅうりを食べたよ。

 

 

おしまい。

 

 

 

 

はなはだ主観的な意見ではございますが、6,000文字くらいのダラダラと長い文章の〆がくだらない駄洒落、というのも、たまには乙なものではないでしょうか。

 

さて、ではそろそろ僕は馴染みの店(セブンイレブン)にでもいって、煙草を買ってきます。

 

あと、途中で少し気になっていたんだけれども、めんどくさくて訂正もしないけれども、誰も『ボヘミアン・ラプソティ』のこと『ボへ』とは略さねえよなあ。馬鹿みてえだもんなあ。

 

しかし何はともあれ、誰かに紹介出来るような馴染みの店があるって本当に幸せなことですなあ、とグルメブログを見て痛感する次第です。

 

なので、誰か関西で美味しくて安くて面白い店があれば教えて貰えると嬉しいです。

 

フレディと一緒に行くので。

 

 

 

 

 

ブログのタイトルには、「陰毛」や「ペニス」などの下品な単語を入れない方がいい。

今週のお題「ブログ初心者に贈る言葉

 

ブログをするにあたって、皆様が口を揃えていうのは「数を書く」ことの重要性である。

 

確かに文章というものは書けば書くほどスピードも精度もあがり、自分の感情を素直に映し出せる様にもなってくる。そうなると、ブログはその書いている人の品格を映す鏡の様なものになってくる、ともいえる。

 

自己顕示欲が強い人は自分をアピールするような記事が多くなるし、優しい人のブログからはほんわかとした雰囲気がにじみ出ている。

 

なので、どのようなブログにしたいか、というよりも自分はどのような人間なのかを深く見つめ直すと、書くべき事が見つかりやすくなり、ブログのネタに困ったりすることも少なくなってくるのだ。

 

さて、そのように、書き方を享受してくれるブログはよく見かけるけれど、逆に書いてはいけないものを教えているブログはあまり見かけないので、僕が気づいた「書いてはいけないこと」をブログ初心者に贈る言葉として書いておきたい。

 

偉そうな事を書いたけれど、書いてはいけないことはたった1つしかない。

 

そのたった1つとは、「下品なこと」である。

 

ブログを書くという行為には、自分の書いた文章を不特定多数の人々に読んでもらう、という面がなによりも大きいし、先に書いた様にブログには書いている人間の人となりがにじみ出てしまう。

 

特にタイトルというのはとても重要であり、ブログを読む人達の読みたいという気持ちを喚起させるためには最も気をつけるべきものである。

 

なので、まかり間違ってもタイトルに「ペニス」や「陰毛」「ハメ撮り」みたいな単語をつけてはならないのだ。

 

そのようなブログを見かけても、読まない事をおすすめします。

だって読むだけ時間の無駄だから。

 

そもそも、うんこやちんこで喜ぶのは小学生までであるし、ことはてなブログにおいてよく読まれる記事というのはライフハック系の記事や仕事術、専門性に特化したものであったりするのは、はてなブログのトップを見るとすぐに分かるだろう。つまり下品な言葉はその対極に存在しているの、結果的に下品なブログは陽の目をみることがないのだ。

 

また、取り上げられやすさでいえば、個人的な趣味の考察なども取り上げられることが多い。なので自分の好きなものや、好きなことを深堀りすることも大切である。

 

それをアウトプットすることで自分自身の考え方を整理する事ができたり、またそれに反応した他の方の考察により新たな発見をえることだってできるのだ。

 

しかしもしまかり間違ってシモネタを発信してしまった場合、これはいけない。シモネタに係る深堀りというのは、とどのつまりお尻を掘られるというアナル開発のことしかなく、それ以外になにかあるとしたら、読み返したのちに恥ずかしさによって入りたくなる穴の深さがより深くなるのみである。

 

また、対読者にたいしてもシモネタはよろしくない。

 

なぜならば、はてなブログにおける「読みましたよ」「気に入りましたよ」を意味する☆は、誰がつけたのかすぐに確認出来てしまうからだ。これは他人に冷蔵庫の中身や本棚、たんすを探られるような恥ずかしさと同じ様なものであり、

 

「あ、この人全うなブログを書いているのに、こんな陰毛の話ばっかりしてる記事にイイネしてる」

 

なんてことを思われてしまう懸念がある。

 

なのでシモネタの記事には☆がつきにくくなり、また世の中の殆どの人達が別に他人の陰毛に興味がないのでコメントすらする気にならず「はてなブックマーク」がつくこともないし、これはもうシモネタのブログというのは書いている本人も読んでいる人も不幸にしてしまう、諸刃の剣なのである。

 

ましてや、誰が他人の陰毛にブックマークしたいと思うのだ。

 

しかし断っておくけれど、僕は挿入することを「ブックマークする」と読んでいるからな。そして一番直近のブックマークがいつだったのか、思い出せないくらい昔のことだからな。

 

さて、簡潔にする、といったので、とりあえずこのあたりでまとめに入りたいのだけれど、だれか僕にブックマークされたい人いますか?

 

みたいに、最後にいたちの最後っ屁でもっとも下品な意見を書く事は最悪の手段であり、読者が寄りつかなくなる可能性しかないので気をつけましょう。

 

では、たのしいブログライフを。

 

 

 

「ペニスに埋め込んだ真珠がまるで涙の様に輝いていた.com」というサイトはありません。

ふと見かけた、

 

 

『◯◯に寄稿しました。』

 

 

という一文が、

 

輝かしく見えた。

 

私もどこかに寄稿したい。

 

そんな気持ちが、

 

浮かび上がった。

 

 

その気持ちは、

 

まるでひょっこりひょうたん島のように、

 

ぷかぷかと、

 

私の心の海を彷徨っていた。

 

 

でも。

 

誰もこんなブログを書いている人間に、

 

寄稿してもらいたいとは思わないよね。

 

 

だって、

 

私も思わないから。

 

 

バカみたいだね、

 

私1人でドタバタしちゃって。

 

 

そう、

 

恋もブログも、

 

 

始まりはいつも、

 

突然で、 

 

どこかエモーショナル。

 

 

そして、

 

 

終わりだって、

 

 

いつも突然で、

 

 

なんだかセンチメンタル。

 

 

じゃあね。

 

 

バイバイ。

 

 

私の愛した、

 

 

愛しい金玉。

 

 

 

 

アホみたいな書き始めになってしまったのは、朝寒すぎて布団から出れずに寝坊してしまい慌てて会社に向かってしまったがゆえ普段のテンションを忘れてしまったからですが、僕の金玉は今日も元気です。

 

さて、寄稿という言葉には何物にも代え難い魅力があり、文章を書いている身からするといつかは誰かからお願いされたいものであるなあ、とため息をつきつつちんこをさわりつつ金玉を愛でつつ乳首をいじりつつその連絡を待っているのだけれど、待てど暮らせどそのような知らせは一向にこない。

 

それは本当に当たり前のことで、例えば僕が何かしらのサイト、まあ趣味や遊び、例えば映画や漫画に特化したようなサイトを運営していたとして、「よし、今度こそ、いつもちんこと金玉と乳首を弄っているあの人に今オススメの映画に関する文章を書いてもらおう」なんてことは確実に思わず、文章を書いてもらうのであればそのサイトの趣旨に沿った人を選ぶはずであり、またよしんば僕に依頼したいというような奇特な人間がいたとして、先の話に合わせるならばその人のサイトは僕の書く文章が沿うようなサイトであるはずで、しかしそんなサイトはきっとろくなものでもない。

 

多分だけれど特集として、

 

「実録!わたし、金玉の皺とお尻の穴の皺を合わせてみたら幸せになれました!」 

「やっと判明!!!!都道府県別、金玉の皺の数の平均値!!!!」

「オナニーで学ぶ!オナニーの方法とオナニーの結果!!!」

「読者参加型企画!!『い・ん・き・ん・た・む・し』であいうえお作文!!」

 

みたいなものばっかりであろうしそんなクソみたいなサイトに需要があると思えないし、というかそんなサイトを運営しているような人間がマトモな人間であるとは思えないのでもちろん僕はそんな依頼なんて断ります。

 

普通に怖いですから。

 

しかもいんきんたむしには「ん」が二つもあるし、バカが考えたとしか思えない。

 

しかしこういう企画を考えたりする人に限ってマナーがしっかりしていたりして、

 

「突然のDM失礼いたします。

 

私、◯◯というサイトを運営しております、裏筋舐められたい太郎ともうします。

ゲロ様のブログを拝見し、私の運営しているサイトにとても親和性があると感じました。

 

読みながら、まるでカブト合わせをしているときのような多幸感を覚え、メールを送らせて頂いた所存でございます。

 

つきましては、以下のサイトをご覧頂いた上、文章のトンマナを意識していただき、「チンカス」と「マンカス」という単語がそれぞれ4回以上使われた5000文字程度の記事を書いて頂きたいと思っております。

 

http://penisuniumekondashinjuga/marudenamidanoyouni/kagayaiteita.com

 

ご了承いただけますこと、心より願っておりますので、

ご確認、ご検討いただけますこと、何卒宜しくお願いいたします。」

 

みたいなメールを送ってくるのだろう。

 

丁寧な分余計に怖いし、タチが悪い。

 

ちなみにですが、僕は起ちがいいほうです。毎朝元気です。

 

しかしそうはいってもやはり男に生まれたからには寄稿の1本や2本は書いてみたい、その流れで全裸で情熱大陸に取材されて始めから終わりまで全面モザイクで放送されたい、その後TEDに出演してジーンズとシャツを着て講演しているにも関わらず局部にはモザイクを当てて欲しい、みたいな願望を持っているのだけれど、その願望を叶えるためには色々と下準備が必要になってくる。

 

その下準備とはもちろん取材されるからには取材したいと思わせるような人間になることであり、その為には自分をもっと上の段階に持ち上げるために色々と頑張らなければならず、しかしこちとら底辺の高校を教師の恩赦で卒業したような男であるゆえ何をしたらいいのか皆目見当がつかない。

 

そんな悶々とした日常に1本の光が差し込んだのであるが、その光の正体は『引き寄せの法則』というものである。

 

引き寄せの法則

 

少し調べて頂くとわかるのだけれど、どうやら「こうなりたい自分」というのを想像するのではなく「こうなったあとの自分」を想像することでそのような未来が訪れる、というものらしい。

 

僕がこの法則を知ったのは、社長のデスクを社長が留守の間に勝手に漁っていた時にそういった類いの本を発見したのであり、しかしてその社長が引き寄せたのが僕みたいな人間だっていうの、本当にウケてしまいますね。何を引き寄せているんだか。

 

ちなみに僕が社長のデスクを漁る様になった理由は、転送が必要な報告書を転送せずになくしてしまうからであり、別にキャバクラの名刺や隠してるウィスキーのポケット瓶などを探そうとしていた訳ではないことを保身のために記しておく。

 

そんな幸せの法則に則って言えば、僕がコレからなりたいものを想像するのではなく、そうなった後のことを思い浮かべるのがよいとのことだったので、取り急ぎ先ほど考えていた夢を思い浮かべてみたんですけど、なんかどの夢を思い浮かべてみてもモザイクがかかってるんでよく分からなくて断念。

 

であればやはり頑張って文章を書いて寄稿できるようになれればいいなと思うのですが、しかし先ほども書いた通りそれは絶望的な願望であるからして、寄稿は諦めて奇行種にでもなって大草原を真っ裸で走ろうかなと思います。

 

そういえば日本には便利な言葉があり、それは困った時の神頼みというんですが、なにかしらの希望要望欲望願望がある場合に、神様にお願いをすればなんとかなり、しかもそれでもまだまだ足りないなぁなんて気がした時には裸足で100回参れば願いは叶うなんていうんですが、そういう時にはやっぱり神様のところに参るだけではなく拝殿の前で手を合わせたりもする。

 

これはもうDNAに刻まれた性のようなもので、そういえば右手でのオナニーに飽きた時、または格別な刺激を求めている時なんぞは両手で陰部をこすったりもするんですけどその時の手の様相ははたから見れば祈りと同じ姿勢でもあり、もう日本人の肉体にはそのようにプログラムされているのであるが、それを端的に言い表した言葉がすなわち、

 

「おてての皺と皺をあわせたら幸せ」である。

 

でもそれだけでは満足出来ない、さらなる幸せが欲しいんだ僕はと思った場合にはやはり手の皺よりも深い皺を合わせる必要が出てくるのだけれど、その皺があるのは男性ならば金玉で女性ならば大陰唇であり、僕は男性であるからして金玉の皺と皺を合わせたら大幸福なわけであり、金玉をこすり合わせるというのはなんだかもうカブト合わせをしているときのような多幸感を覚え、そうなるともう自分の中は押しとどめられないほどに気持ちが高ぶってくるので、とりあえず適当なブロガーに丁寧な案内でも送ってみちゃいましょうかしら、なんて気持ちが浮かび上がるのももう当然である。

 

というわけで、だれかこのブログに寄稿してみませんかつって。

 

 

□突然の告知、失礼いたします□

 

私「僕のソーセージを食べてくれないか」というブログを運営しております、ゲロ・サリバンショウと申します。

 

 

いつものように適当な文章をでっちあげていましたところ、オチというものに困り果て、このような形態を取らせていただく所存です。

 

 

つきましては、以下のサイトをご覧頂いた上、文章のトンマナを意識していただき、

 

http://penisuniumekondashinjuga/marudenamidanoyouni/kagayaiteita.com

 

 

いくつかの文章を寄稿して頂きたく思い筆をとった次第でございます。

 

 寄稿して頂きたい内容は、

 

「実録!わたし、金玉の皺とお尻の穴の皺を合わせたら幸せになれました!」

※要写真(5〜10枚程度で)

 

「やっと判明!!!!都道府県別、金玉の皺の数の平均値!!!!」

※要写真(47枚程度で)

 

「オナニーで学ぶ!オナニーの方法とオナニーの結果!!!」

※要写真(10〜20枚程度で)

 

「私のアナルこそがパワースポット!このお尻を舐めて幸せになった人達!!」

※要顔写真(5〜10人程度)

 

「読者参加型企画!!『い・ん・き・ん・た・む・し』であいうえお作文!!」

 ※「いん」「きん」まとめての文章はお断りしております

 

以上になっております。

 

ちなみに僕は、「マンカス」「チンカス」がそれぞれ4回以上入った5000文字の記事を書き上げる予定です。

 

ご了承いただけますこと、心より願っておりますので、

ご確認、ご検討いただけますこと、何卒宜しくお願いいたします。

 

 

ちなみにですが、謝礼は出ません。

 

ほら、よくあるじゃないですか。メディアに露出が増えると長期的に考えてあなたのためにはお得なのでお金なんかいりませんよね?だってあなたの広告になるんですから。他だったら載せる為にお金取られたりするんですよ?だからうちはお金は払わないけど実は他よりは良心的なんですよ?みたいな話。

 

あれを目指します、というか、もう僕は寄稿がすんだ状態である事を想像しています。なんてったって、僕には引き寄せの法則が僕にはついていますから。ちなみに僕ならこんな依頼なんてすぐ断ります。

 

だって怖いですから。