僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

僕はおつりを用意しないタイプの飲食店経営者でありたい。

医龍チームメディカルドラゴンというドラマのシーズン4が好きで再放送を録画してたりもしてもう何度目かっていうくらい見てたんですけれど、それを好きな理由っていうのが端々に出てくる自信過信盲信具合がとても面白かったんですけれど、いかんせん登場人物全員が自分に自信を持っていてお互いの力を盲信していて傍目からみると過信に見えてしまうんだけれど結果的に見るとどの患者も救えているから過信ではないんですけど実はあの桜井病院における死亡率は他の病院よりも高くてその理由としては他の病院で匙を投げられてしまう患者でも受け入れるからってバックグラウンドがあってでもそういったその病院で死んでしまった人達は一切出てこないのでまあその各々の盲信が続くっていうのがあのドラマのいいところであり、さらにはイケメン美女たちで形成されていたチームメディカルドラゴンに柄本佑という異物が入り込むんだけれどそれもいつの間にかとりこまれててなんとなく佑もイケメンに見えてしまうねっていう流れも秀逸でしかもあの朝田が一目置く夏木マリ演じる鬼頭がいつも手術の解説ばっかしていっこうに手術しないのもいい。「これは難しい手術よ」だとか「朝田ならいけるわ」だとかいやいやおめえ最初の方で自分のほうが凄い感めっちゃ出してたやんお前の方が緊急対応出来るはずやんそんな自分をどこに忘れてきたん君は、そもそも他人の手術見てる暇があるんやったらまずその忘れっぽい脳みそを見てもらえよみたいな発言を繰り返すのも楽しいし何より匿名係長の高橋克典が実はいい奴ですごい奴でやべえ脳外科医って流れも秀逸で見終わったあとにはただの自信過信盲信のドラマではなくいつもハッピーエンドで終わる極上の精神安心のドラマだったということです。

 

そしてそういったドラマを好んで見ていた僕にも自信盲信過信のクセが多分にあり、それは先日たまたま食べたドレッシングが美味しくてこれはぜひ自分でも作ってみたいというスタート地点がありそこから自分でも原材料さえわかれば出来るんではないかという過信に始まり俺はソーセージだって作れるしレバーパテだって美味しくできるそのように色々料理してきたんだからこれも簡単に感嘆できるドレッシングがバンバン出来るでしょという自信からの盲信につながっていだたんですけど、しかしそのドレッシングの原材料をみたのちこれなら家に材料全部あるしすぐにでも出来るじゃんって思ってトライしたのが昨日の夜中。

 

しかしチームメディカルドラゴンと僕の違いっていうのは何よりも才能努力経験全てが違うし何よりあちらさんはシーズン4までやっているけれど僕のシーズン(人生)はまだ1回目。だからかどうか分からないけれどどれだけ頑張ってもドレッシングの味は再現出来ませんでした。

 

しかしこれはよくよく考えてみれば当たり前の事で、例えばAVを見て「あ、こんなセックス気持ち良さそう。今度妻とやってみたい」と思ったさいに男優女優の動きやそこに至るまでの流れをどれだけ勉強してみたとして、では実際にやってみましょうと妻を誘ってみたものの、普段ならそういった誘いをしてみてもやんわりと断られる事が多いのにも関わらず、今回に限って以外にも妻がすんなりとOKを出してくれた事が嬉しくてその興奮だけで僕のドラゴンのメディカルが暴発、そのまま2度と起たずに気分も盛り上がらずちんぽの調子はおろかメンタルの調子悪くなってしまうように、一度見ただけ一度味わっただけのものを材料をみただけで再現出来るなんていうのはトルコのよく分からないお菓子みたいに甘い考えだと気がつき、それはまさに不可能なことであることにも気がつき、その一応の努力の結果して出来上がったなんだかよく分からないしょっぱいドレッシングの様なものの残骸を舐めながら冷蔵庫にある葉っぱを食べて眠りについた。

 

しかしそんな感じでドレッシングを作ってみたりしたのには理由があって、それは僕には普段鉄板焼き屋をやっている知り合いがいてその知り合いが店を間借りで貸してくれるっていうんで、週末にそこを借りてバーのようなものをするかっていう流れになっており、その開店の日が近づいているからなんだけれど、実際このような下品なブログを書いているような人間の作った物が衛生上どうなのかって疑問もあると思いますがそれはきちんと消毒したり保健所にいったり食品衛生責任者の資格を妻にとってもらったりだとかいろいろ気をつけているので大丈夫です。そして今のところ身内だけで予約がうまるという過保護も過保護な状況になっているのでそれで僕の人生が大丈夫かどうかはわかりません。僕の身内は僕よりも僕の妻に対して愛情を持っているのでそこんとこよろしく。

 

そんな僕は土曜日によく分からない味のドレッシングを良く分からない葉っぱにかけたようなものを提供しようと思います(主に家族に)。色んな意味で美味しいです。値段設定はきちんとシビアに設定しており、おつりの用意はしていません。現金一括で宜しくお願い申し上げます。出来れば一万円札が宜しいです。もう一度アナウンスしますが、おつりは用意していません。もっと僕のことを甘やかしてください。トルコのよくわからないお菓子のように甘く。

 

おわり。 

新元号が決まった時、僕は右手の中指にうんこをつけていた。

タイトルの通りであり、別に誇張することもない。

 

ただたまたまおなかの調子が悪く、またこれもたまたまであるが手の爪が伸びていた為に起こっただけの出来事である。

 

ゆるめのうんこはトイレットペーパーを破れ易くし、伸びた爪はトイレットペーパーを破り易くする。

 

その結果ゆるいうんこによってトイレットペーパーが顔の濡れたアンパンマンのごときに弱って破れ、尻の穴を拭こうとバイキンマンのように肩に力の入っていた中指が弱ったトイレットペーパーを突き破り尻の穴に少し入った。

 

そして、指先にうんこがついた。

 右手の中指がカレーパンマンになった。

それだけのことだ。

 

きちんと手を綺麗に洗った。

茶色のものも取れた。

臭いもしない。

むしろ指はトイレに入る前よりも綺麗になった。

 

トイレから出るとテレビでは官房長官が新元号を発表していた。

僕はトイレではからずもセルフ浣腸をしていた。

 

僕は、浣腸長官になった。

それだけのことだ。

 

素敵なことだ。

 

そのあと買い物に行った。

 

話は変わるが、僕の指先はうんこの有無とは関係なしにいつも乾燥している。

 

なのでスーパーなどで買い物をした際、レジでいただけるビニール袋などをスムーズに開くことができないのでいつもイライラしているのだけれど、最近のスーパーでは僕のような人のために買ったものを袋に詰める場所に必ずといっていいほど濡れたタオルが置かれているのであるが、僕はそういった布類を使うことができないタイプの人間である。

 

その理由の一つというか唯一の理由というかそういった類の濡れた布を使えない理由が一つあるのだけれど、それは単純に誰が使ったか分からない布、しかも濡れている布をなんとなく触ることができないという潔癖な方々と同じような思考があるからである。

 

なので僕はいつもそのような布を使わずに指を湿らすため、例えば生ものや冷凍食品を購入した際にはそれらから出る水分を指に含ませてビニールを開けたりするのだけれど、その類のものを買わなかった場合にはまず爪先で頑張って開けるきっかけを作り出したりするのだけれどそれでも無理な場合がやはり多くあり、そうなると最終手段に出るしかなくなる。

 

その最終手段とは簡単に想像できないかも知れませんがこれは本当に最終的に手段であり誰も思いつかないような行為なので人目に触れないようにしているのだけどもうここでぶっちゃけてしまいますが、指を舐めるのである。

 

この舐めるという行為はいつであってもフェラチオを想起させてしまう懸念があるので例えばとなりに並んだおっさんが指を舐めて袋を開けてたりするとそのおっさんのフェラチオを想像してしまいますよね?僕はこう見えて親から常識を叩き込まれていますので世間様に見られている場所で他人様にフェラチオを想起させてはならぬと教わっているのであり、つまり指を舐めるという行為はあまり外でするのには向いていないので最終手段として書いたのですが、これ以外にからだから出る水分とはおしっこと精子しかなく、では最終手段としてつばではなく精子を使おうとした場合スーパーの荷物をまとめるところで手淫にふけることとなります。そうなると屋外での行為となるのでこれはまさしく興奮する行為でありはからずも射精量が多くなりよそ様に迷惑をかけてしまう懸念もありそうなると外に漏らさないようにしなければならずそのためには手近にあるビニール袋を使って範囲を限定すればいいのですがしかしその時僕の手は乾燥しておりビニールを開くことができません。出しても地獄出さなくても地獄、簡単に言えばつまりは地獄です。

 

もう一つの手段であるおしっこも同じで、いきなりスーパーの荷物をまとめる場所で放尿するとこれもまたおしっこが外に出てしまい(液体なので止められない)他人様に迷惑をかけることになりますしおしっこと車は急には止まらないのは周知の事実であり、なのでこの精子と尿は最終手段ではなくそもそも手段として適当ではないのであるからして、これを読んでどうしてもスーパーで射精や排尿がしたくなったのだとしたらそれは病気なので病院に行ってください。間違っても私の隣でしないでください。私のお墓の前で泣かないでください。

 

さて話を戻して指を舐めてビニールを開けた話である。

 

長々と書いたけれどまあ指を舐めて湿らせるというのは年配の方がよくやる行為であり別に最終手段でもなんでもなくましてやおっさんのフェラを想起するものでもないのは僕も普通に知っているのであるがそれでももったいぶった書き方をしたのは指を舐める行為というのは年配感が増してしまうのでなんとなく気恥ずかしくあるのでそれを隠匿するために文章を増長したのであるが、そのような少しの恥ずかしさを我慢しながらスーパーにて指を舐めてた。

 

そこで思い出したのは(そういえば今舐めたのは先程うんちのついた指だな)という事実である。

 

事実と真実は違う、なんてことをよく言うが、この場合においてはその両方が相違なく、事実真実双方ともに『うんこのついた指を舐めた』ということであり、これはどう考えても人がすべき行動ではないのであるが、してしまったものは仕方がないので僕は素直に受け入れた。

 

そもそもうんちも僕のものであり指も僕のものであるので誰かからとやかく言われる類いの話ではない。ただひとつ、願わくばその双方とまでは言わないがせめて片方だけでもいいので美女のものだったとしたら自慢の一つにでもなったのだけれどそうではない。

 

僕のうんちがついた指を僕が舐めた。それだけのことだ。カートヴォネガットJr.もこう書いている。

 

そういうものだ。

 

と。

 

しかしまあこれは不思議なもので、例えば自分のおしっこを一度入れたコップはどれだけ綺麗にしたとしてもそこにビールを注ぐ気にはならないけれど、例えば妻がコップにおしっこを入れてくれたとしたらそれはそのまま飲みたいと思うしむしろ全身にかけてほしいとも思うしそのコップは後生大事にとっておくであろうけれど、実際問題として汚さという尺度で測るとその汚さはおしっこに汚されたコップ、という意味では同等であるにもかかわらず意識下では同等ではない。

 

ましてや性的なことは大体受け入れられる僕ではあるけれど大概が相手ありきであり、例えばそれは妻や美少女など対外的に限定されており自分の精子を飲んで興奮するという境地には至っていない若輩者であるからして、それ以上の存在であるうんちを自分で舐めるという行為に対しては興奮どころか萎えることしかなく、そういえば興奮の奮の字を糞に変えてもあんまり気がつかれないのかもね、興糞。ほらね?それでいうと興奮の興も脱に替えてもあんまり気がつかないよね?脱糞。ね?なんていたずらっ子っぽさが顔を出したりもするけれどそれとこれとは話は別。

 

しかし実際に先程までうんちがついていた指を舐めた経験を踏まえて言わせていただくと、臭いも味もない指を舐めただけのことなのでそこまでの嫌悪感はなく、強いて言えば先に書いた通り、ああこれが妻の指かうんこならなあ、なんていう羨望だけがあったのみであり、例えばこれは一体どういう心の揺らぎなのかしらんと考えようと思ったのだけれど、それは単に変態の欲望が肛門から出てくるうんこのように顔を出しただけなのでわざわざ追求するようなものではない。

 

さてこれらがなんの話かといえば新元号がどうのこうのの話なのだったはずなんだけれど、発表されたものを見てもなるほどなあとしか思うことがなく、そういえばうんこのついた指を舐めたは地元の関西スーパーなのだけれど、その関西スーパーパートリーダーとおぼしきおばちゃんがこないだ別のスーパー、その名もスーパーオオジというこれも家から近いスーパーなのだけれど、そこで大量に商品を買っていてなんとなく気になりました。

 

これもまたうろ覚えなのだけれど、伊丹十三監督のスーパーの女において「働いている店員が買い物したくないスーパーなんて潰れちゃうわよ」みたいなことを言っていた記憶があり、それが頭をよぎったのかもしれません。

 

そんな感じです。

 

ちなみにですが、アナルは舐めるのも舐められるのも好きです。僕は浣腸長官なので。

 

それでは。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

恋愛について書こうとしても結局おっぱい。

多分僕の前世はナメクジかカタツムリのどっちかじゃねえかなってくらいに女体を舐め濡らしながら這いずり回っているのが一番落ち着くんですがね、なのでそういった類の話であればノロウィルスに当たった時の上下のお口のように垂れ流すことが可能ではあるのだけれど、しかしこれがまあ恋愛に関して何か書けるかっていうともう急に大リーグ養成ギプスでもつけられたのかなって錯覚してしまうくらいに指が動かなくなってパソコンのキーボードも静まり返ったお通夜状態になる。

 

じゃあ別に恋愛に関することなんて書かなければいいじゃんと思うかもしれないが、それは僕が一番よく分かっていて、じゃあ書かなければいいじゃんってお通夜のパソコンの画面に写っている自分に向かって声をかけている今この時。

 

しかしそれでもなお恋愛について書こうと思うのはひとえに向上心からであり、いつものように手癖で下品なことばっかり書いてたんじゃこれ以上人間的な成長が見込めないなと気がついたからでありこのままでは自堕落に生涯を終えてしまう懸念がフツフツと湧いてきたのはなんとなく老いを感じてきたから。

 

であれば僕が一番苦手としている恋愛についての文章を書く事が出来れば僕も人間の階段を1段登る事となり、すると結果として一つ上の男になれるしそうなると東京上野クリニックの人達がいうように大人の階段を登る事ができるそれすなわち包茎ともおさらばって寸法。

 

苦手が克服出来てちんぽの皮も剥けたらこれはもう人間的に二次成長期を超えたといっても過言ではなく、僕は年齢35歳にしてやっと声変わりを迎えられるのでどうかこの文章を無事に書き終わった際にはどうか祝ってやって下さい。

 

さてでは恋愛についてこれから頑張って書いていこうとは思うのだけれど、こう見えて僕は結婚というものをしており、その際には当たり前であるけれど妻、という存在もある。

 

また、僕と妻とはお見合いや政略結婚なんてものではなく友人の友人として出会い、言うなれば石の裏にうじゃうじゃいるダンゴムシと同じくらいありふれた出会いを経たのちに彼氏彼女を満喫してから紆余曲折を経て結婚という、これもまた尻の穴から顔をだすサナダムシと同じくらいありふれた経歴をもっている。

 

ではその中に彼氏彼女期間があったではないか、それはすなわち恋愛をこなしているではないか、と自分でも思ったのであり、であれば僕にだって経験があるのだから何かしらかけるかもしらんと思って今こうやって文章を書いているのだけれど、ではそこで思い出せる妻と僕との青春のやり取りはどうだ何か特筆すべきものがあるかと問われたら、何一つ無い。

 

いやいやそんなことはないだろうと過去の自分を訪問し詰問し拷問してみると何とか一つの思い出がでてきて、それはかつて僕に似合う髪型はモヒカンしかないと思い込む時期があったことだった。

 

そう、思い込んだら一直線の星飛雄馬的な僕はさっそく馴染みの散髪屋に向かいこれも馴染みの少し禿げかけた親父に「できるだけ綺麗なモヒカンにしてくれ」と依頼したところ幅4センチ高さ15センチの注文通り見事なモヒカンが出来上がり、鏡に映った世紀末的な見た目に僕はなるほどやはり僕にはモヒカンが一番似合うなと凄い満足した記憶がある。

 

そしてその髪型を維持したまま妻とのデートに向かっていったのだけれど、その時の僕の頭の中で渦巻いていたのは「ギャップがある男がモテる」という単語であったが、それはあくまでも単語のみでありそこに真っ当な意味を見いだす事ができていなかったため、当時の僕にできた最大限のギャップとはすなわちモヒカンの対極にあるものはサラリーマンの戦闘服であるスーツでないかという短絡的思考であり短絡的奇行でもあるが、しかし普通のスーツではなんとなくつまらないなと考えていたのも事実の一つ、一体全体お前の基準はなんなのだと問いたくもあるのだけれどそれが若さだとも思うのであの頃の僕は何も間違ってはいないのだけれど、取り急ぎギャップを作り出す為にその時自分の中で大ブームだったワインレッドのベロア素材のジャケットに赤い蛇柄のシャツを着て、ジャケットと揃いのこれもワインレッドのベロアのパンツをはき足元は金のドクターマーチンというキチガイじみたサラリーマンの格好で妻との待ち合わせに向かったのである。しかしまあ今更考えてみる間でもないけれど、そんなサラリーマン見た事ない。

 

僕の姿を見つけた妻は最初見知らぬ人の振りをしようとしたらしいのだけれど、なんとも嬉しそうな顔をして近寄ってくる赤ベロアのセットアップ赤蛇柄のシャツ整えられたモヒカンサラリーマンの僕をみてなんとなく笑けてしまったらしく、その場から立ち去ることができなかったらしい。

 

そして対面後に妻が放ったひと言はカッコいいでもキモいでもなく「求婚期のニワトリみたいやね」というなんとも一般的な言葉であったのだけれど、そうなると僕はもう世紀末覇者の世界の住人ではなくジョージオーウェルの動物農園の登場人物みたいな感じ?ビックブラザーがもし僕の事を見ていたとしてもきっと「ああ、あの人はもう別の世界のひとだから僕は気にしないよ」なんて言ってくれるかもしらんし、僕の中のビッグダディはいつまでたってもセックスのことしか考えていないしダディの元妻のヌード写真が今になって見たいなあと思うしビッグブラザーは動物農園には出てこないしなぜビッグブラザーを出したのかっていえば僕が1984年生まれだから。お誕生日おめでとう。ありがとう。ちなみに生まれたのは今日じゃない。ほんとに嘘つき。

 

しかしここで一つ気になるのは求婚期のニワトリが果たしてそんな風に派手な色合いに変質するのかということなのだけれど、調べても調べてもそんな情報は一切ないのはこの世の不思議、この世にはわからないことがたくさんあるなあ、どんな風が吹いても負けない人になろうなあと地獄先生ぬ〜べ〜のオープニングソングを口ずさんだのち妻にかつての言葉の真意を問いただそうとしたところ「そんな事言うてへんで」との返答をいただいた。

 

すなわちそれが何を意味するのかと言えばこれは僕が僕自身の記憶を改竄していると言う事であり、妻はそんなことを言っていない、しかし僕はそんなことを言われたという相違であり、妻がそんな嘘をつくはずないのでこの脳内のやりとりから分かることがあるとすれば、僕は誰かから「求婚期のニワトリみたい」だと言われたいのではないか、という隠れた欲求の発見である。

 

恋愛について語ろうとしたが故に自分の隠れた欲求を発見できたというのはなんとも幸せなことであり、なぜ幸せなのかといえば隠されたものが見つかるのは幸せだからだとしか言いようがない。

 

だからおっぱいとか見えると嬉しいんだよ。そこんとこ分かってる?

 

よって僕にとっての恋愛とは「おっぱいを見ること」だと結論づけていいと思うので、今日は引っ越したばかりの家のお風呂についている鏡で自分の胸についている突起物を見ながら手淫にふけろうと思います。

 

そして結局恋愛について書かなかったというか書けなかったので成長もしていませんしお祝いもいりませんし包茎も治っていません。

 

それでもしっかりと生きています。

 

ご静聴ありがとうございました。