そして僕はソーセージを毎週のように作るようになった。

会社が傾くと、思考は迷走する

 

「そろそろ本当にヤバいかもしれない」

 

そんな言葉が僕の口からこぼれ落ちたのは、1週間の間に4件の解約通知が届いて「これマジで大丈かな?」と同僚と語り合おうと思って周りを見渡してみたとき(実際には見渡していない。そもそも同僚なんか一人もいないし、会社のパソコンでアダルトサイトを徘徊しながら4件目の解約希望の電話を受け取っただけだ)だった。

 

僕の働いている零細の会社は、傍目からみてすぐに分かるほど(取引先から心配されるくらいに)傾いていた。というか、まだ潰れても辞めてもいないので、傾いている、というほうが正確だろう。しかし家族経営であるが故に、ここから簡単に抜け出せるようなものでもないのも現状である。社長である義父の「俺が死ぬまでもてば別にいい」という極めて合理的かつ利己的な経営判断に従う他ないのである。

 

しかしその合理性とはまた別の問題として、自分の生活というものを守らなければならないのもまた事実である。このまま行けばいつか飢え死にしてしまうことは間違いない。

 

という訳で僕は自分に何か出来ることがないのか少し考えてみたのだけれど、パソコンの画面の向こう側に映し出されている「ねえ、生でいいでしょ、そのほうが気持ちいいんだから」と、生で中に出す事の素晴らしさを延々と説きながら女優を説得するハゲ散らかしたおっさんの薄ら笑いが気になったことや、確かに中で出すのは気持ちがいいことだ、とおっさんに同調する自分の気持ちが邪魔をして余り深く考えられなかったので、とりあえず冷静になる為に使えもしないエクセルを起動させた。

 

セルを選んだり適当に打った数字を無駄にコピペしてみたりしながら少し考えてみたけれど、杏仁豆腐のようにプルプルで皺もなく、際限なく甘い頭脳からはたったの1つの解決策も思いつかなかった。パソコンのスピーカーからはすでに洗脳されてしまったのか「中で出して中で出して」と懇願する女性の声が聞こえてくる。その声を聞きながらセルを選んだり選ばなかったりしていると、なぜか僕の頭の中では画面の中の女性ではなく鳥肌実がこんにちはと顔をのぞかせ、かの名曲「健太と私 其のニ」を歌いだした。

 

「です ます しましょ 敬語でセックス。春 夏 秋 冬 敬語でセックス。」

 

なぜ彼が顔を出したのかは分からないが、出てきてしまったものは仕方がない。鳥肌実と一緒に黒夢のライブに行く想像をしたのち、エクセルを閉じて昼食に向かった。

 

 そんな状態で毎日を過ごしているのだから、会社がこんな傾いた状態になっていることに今まで気がつかず、ただだらだらとパソコンの前に座って無修正を求め、煙草を吸ってコーヒーを飲んでいられたのだ。

 

営業職とは名ばかりで商品知識もろくになく、交渉スキルも下の下。出来る事と言えば誰にでも頭を下げる事と、へらへら笑ってなんとなくその場を乗り越えるだけの似非営業でしかなかった。そんな僕が傾いた会社を建て直す事なんてもちろん出来るはずもなく、なんとかこの状況を改善しようともがいたりわめいたりする予定もいまの所ない。

 

かといって自分を冷静に見る事にだけは長けているので、このような何の役にも立たないどうしようもない人間を救済したいという菩薩の様な人間、蜘蛛の糸の様な企業が現れる事もないことくらいは存分に承知している。

 

しかしそれはそれとして、もしこのまま会社が無くなってしまうと僕自身の生活もままならなくなり、煙草も吸えなくなりお酒も飲めず、精神的に不安定になってしまうと性欲も薄くなってしまうので下半身に付随している愛する我が息子とも精神的別居状態、俗にいうインポテンツに陥ってしまうかも知れない。

 

「見下げれば ただぶら下がる 我が愚息」

 

でもまあこのような箸にも棒にもかからない男を拾ってくれたうえ、営業時間にも関わらずビールを振る舞ってくれるというエサまで振りまいてくれたことにはとても感謝をしている。しかしよくよく考えてみると、僕がどれだけ感謝しようとも会社が傾いている事実は消えないし、僕の感謝によって会社にお金が入る訳ではない。ということは、今思った僕の感謝はいずれ無になる存在に対する感謝であり、その感謝の気持ちは何も生み出さない、言うなれば種も植えていない畑に延々と水をあげるような不毛な行為である。

 

 なので僕は会社に対して別に感謝しないことにした。どうせ潰れる相手なのだから、感謝するということすらもったいないではないか。どうせ水をあげるのであれば、せめて何かが実るという見返りがある場所に注ぎたい。本音を言えば別に今の会社が無くなってしまってもなんの悲しみもないし、執着もないのだ。

 

果たして僕に何ができるか

 

会社に対して感謝しないという決断をしようがしまいが、会社が危ういという事実は消えず、従って近い将来僕の収入もなくなってしまうのは目に見えている。なので僕は自分の手で何かつくれないかもしくは金銭的価値になりそうなものがないかと考えてみたのだけれど、実際僕が持っているもの、出来そうなことでお金になりそうなものは1つもなく、よしんば家にあるエロ本や漫画、小説をメルカリで売ったとしても、一日のビール代にもならないのは明白だ。

 

だれがこのご時世で「天使なんかじゃない」や「ご近所物語」を高額で買ってくれるというのだ。マミリンは僕の心を癒してくれても財布の中身を満たしてはくれないし、みかこがどれだけ綺麗な服のデザインをしていても僕の将来設計まではデザインしてくれない。

 

となればやはり自分で何か出来る事があるのかと考えてみると、僕に趣味と呼べるものが1つだけあった。

 

それは料理である。

 

話は変わるが、僕にはこう見えて妻がいる。上にも書いたように社長は義父、つまりは妻の父である。義父に関してはどうという感情を持ってもいないが、かたや妻は僕にはなんとももったいないほど出来た人である。

とても優しい人で、僕が原因となるとある不祥事があってからも、きちんと話し合ってくれたり受け入れてくれたりとどのような感謝をしてもしてりないくらい、もし僕が女なら顔射だって喜んで受け入れますよというほど、どうしようもない僕に天使が舞い降りていたのだと思うようになった。そんな妻に喜んでもらえるように毎晩の食事を作るのだけれど、僕はその行為がとても好きなのだ。

 

であればそれをお金儲けの手段にするとよかろうと無い頭で考えてみたのであるが、未経験の状態で飲食店を経営するなんていうのはゴムを付けないバンジージャンプもしくはゴムを付けない風俗での本番と同じように極限のリスキーさを孕むもので、控えめに言っても控えめに言わなくても臆病者な僕にはそんな度胸はない。臆病すぎてハムスターすら素手で触れないのだ。

 

しかしこのまま今の状態を継続していても無職の40歳になる未来しかないので何かしらのアクションを起こす必要があるのはどうしようもないけれど悲しい事実である。

 

そして僕はタイトルにもある通り、現状から脱却する為にソーセージを作る事にしたのだ。

 

そう言えば僕は下ネタしか書けない

 

ここから、なぜ僕がソーセージを作るようになったのかを簡単に書いていこうと思う。

 

また話は変わるが、僕はホットドッグが好きだ。

 ケチャップやマスタードとソーセージが絡み合う味わいはもとより、ソーセージの奥から顔をのぞかせる千切りのキャベツやハード系のパンでもそれこそコッペパンであっても美味しく仕上がるその懐の広さもよい。

 

が、何よりその見た目がとてもエロいことが最大の魅力である。

 

ホットドッグのエロさは、なんと言っても棒状のものを柔らかなものが包み込んでいるというその形状である。挿入まではいかない、いわば素股の状態である。これがAVもしくはエロ本なら、その両方にモザイクがかけられてしまうとても猥褻なものだ。それが白昼堂々と、スーパーやコンビニ、果ては路肩で売られているというこの事実。それだけでない。海外の野球場ではうら若き女性がそのような猥雑物をこれでもかと売りさばき、ボールパークドッグという名前で売られている。

 

ボールパークドッグ。

 

ボールのある場所と言えばキンタマ以外に想像出来ないのは世間一般の認知ではあると思うが、それが名前になるとはなんと素敵なのだろう。 

 

更に言えば、そんな猥雑な食べ物を道ばたで食べている人を見るだけで興奮する。その光景を見たとき、僕のボールパークはいつも以上に稼働しているし、その上にある海綿体にさらなる栄養をドッグドッグと送ろうとしている。

 

 路上で食べられているボールパークドッグは、言うなれば「愛を確認する行為における精神的および肉体的結合部分を人前でかぶりつく」という路上で繰り広げられている変則3Pである。

 

ひだの中からは混ざり合った2種類の液体がたれ、ソーセージは比喩としてのソーセージから脱却し、パンは名称としてのパンから擬音語としてのパンへと変貌する。パンパンと猥雑な音を生み出すソーセージ。

 

ちなみにはあるが、某ドーナツ屋さんで販売されているドッグは、パン生地の部分がパイで出来ている。勘の良い方ならすぐに気付いてくれるだろうけれど、パイのパン、すなわち某ドーナツ屋のドックはパイパンなのだ。パイパンが包むソーセージ。

 

そうなるとその横に並んでいるハニーディップも濃厚な唇を想起させるし、ハニーチュロなんていう名称も甘美な口での行為を彷彿とさせる。ドーナッツの皮をかぶった肉食獣が、そこかしこに点在しているのだ。ここまで猥褻なものが駅前やフードコートで売られているのだから、コンビニのエロ本規制なんていうのは本当に些細な問題だと僕は思う。

 

穴があったら入りたいという人もいるように、穴があったら入れたいと思う人もいる。そのように、人間とは視点を変えることで世の中の殆どのものを性癖に繋げる事が出来るのだ。

 

少し脱線してしてしまったが、僕はそれほどまでにホットドッグを愛している。そして、それだけ愛の対象になっているのであれば普通の料理よりもこだわりをもって、今まで食べてきたものよりも美味しいものを作り出す事ができ、それを販売出来るのではないかと考えるに至ったのだ。

 

そしてこの記事のタイトルにあるように、毎週のようにソーセージを作るようになったのだ。

 

このブログは、そんな僕の作ったソーセージを色んな人に食べてもらいたいという気持ちから生まれた、1つの物語である。

 

僕が理想の肉棒に出会えるまで、どうか優しい目で見守ってもらえることを願ってやまない。