僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

缶コーヒー遊戯。

昨夜。

 

仕事帰りで後は家に帰るだけという状況にも関わらず、余りの寒さにビックリして妻と缶コーヒーを買おうという結論に辿り着いた。会社を出てものの3分程度でこのような結論に辿り着いたのだから、一言で言えばとても寒かったのだ。

 

しかしそもそも僕という男は、寒くなるというのを事前にニュース等で情報を得ていたので押し入れの奥からいまだ樟脳の匂いにする冬用の服をすでに取り出していたような、一言で言えば出来る男である。

 

なので寝間着からお出かけ用の服に着替える際にも、胸に大きく「Z」と書かれた冬の気候にもってこいな厚手の黒いセーターを着込んだ。さらに家を出る前に、これも胸に「Z」と書かれたワッペンのついた、寒い時期にうってつけな真紫のダウンベストを着こんだ。それでもまあ一言で言えば寒かった。

 

「ああ僕は今2つのZいわばダブルゼータに包まれている。この組み合わせの服を着る事は高性能モビルスーツの中で過ごす事と同義語なのだ、だからこれで寒くないのだ」となんとか自分を励ましていたけれど、その応援を持ってしても、帰宅時までは僕を温めてくれなかった。子どもはみんなニュータイプだと思ったし、一言で言ってとても寒かった。

 

かたや妻は派手な黄色のダウンベストを着ており、遠目から見れば熱心なレイカーズファンのカップル、近くで見ればただの色相環補色カップルという様相だった。そんな2人が寄り添いながら最寄りのセブンイレブンに入って暖かい缶コーヒーを買おうと思ったら、棚にはホッとレモンとお茶しか残っていなかった。妻もとても寒そうだったけれど、それ以上に棚の中身が寒そうだった。

 

しかし僕の舌はすでに缶コーヒーを求めており「ホッとレモンは甘すぎる。お茶は甘く無さ過ぎる」というtoo fast to live,too young to die.のような標語で頭が埋め尽くされていたので、補色同士また寄り添ってコンビニを出た。僕も妻も極めて寒かった。

 

僕は個人的にジョージアエメラルドマウンテンサントリーのボスレインボーマウンテンが好みであり、殆どの場合この2つのうちどちらかを選ぶことが多いのだけれど、コンビニを出て歩いて30秒ほどの場所にちょうどサントリー自動販売機を見かけた。

 

寒い中、自動販売機は英国の近衛兵のように、ただまっすぐと立っていた。その神々しさは泥沼の中に咲く一輪の蓮の花のようだった。一言で言えば釈迦のようだった。

 

近寄ってみると予想した通りレインボーマウンテンが置いてあった。しかも110円という破格である。最寄りのコンビニではエメラルドマウンテンが税込みで114円、レインボーマウンテンだと124円という価格なのだが、この自販機ではエメラルドマウンテンよりも安い値段でレインボーマウンテンが買えるのだ。それもこれも全ては寒空の下でけなげに頑張ってくれている自動販売機(釈迦)の営業努力のおかげである。僕よりも出来るすばらしい男だった。一言で言えば救われた。

 

僕は迷う事無く110円を投入し、レインボーマウンテンのボタンを押した。

 

と書きたいところなのだけれど、実はそのボタンを押さなかった。否、押せなかった。なぜならば、その横の商品ボタンを押してしまったからだ。別に間違った訳ではない。

 

自分の意志で、そうしたのだ。

 

その横にあったのは、同じくサントリーの「ボス とろけるカフェオレ ダブルの生クリーム(関西限定)250ml」である。

 

ちなみにではあるが、僕は生クリームがどちらかと言えば苦手である。牛乳もあまり好きではない。だからケーキを食べる時は大体チョコを選ぶし、喫茶店でコーヒーを飲む時にも入れるのはシロップのみである。カフェオレなんて、殆ど頼まない。

 

そんな僕がなぜ「ボス とろけるカフェオレ ダブルの生クリーム(関西限定)250ml」を買ってしまったのか。

 

限定という言葉に弱いからか、それとも250mlという大きさからか。

 

そうではない。ではなぜか。

 

この商品パッケージが並んでいる横のポップに「これ、めっちゃうまいやん」と書かれていたからだ。

  

関西弁には、人を無理矢理動かす力がある。

「ほんま頼むわ!」と言われたら嫌な仕事でも断れないし、「めっちゃ好きやねん」と言われたら条件反射で「僕も!」と答える自信がある。「しばくぞ!」と言われたらしばかれる前でも血が出るし、「舐めとんのか」と言われる前にもう既に靴を舐めている。

 

だからこそ僕は「これ、めっちゃうまいやん」と書かれたこの「ボス とろけるカフェオレ ダブルの生クリーム(関西限定) 250ml」を反射的に買ってしまったのだ。

 

関西弁には人を動かす力があり、そのため僕はことあるごとに血まみれで人の靴を舐めているのだけど、そんな敏感な僕だからこそ「これ、めっちゃうまいやん」と書かれているだけで飲まずとも美味いと感じてしまうのは間違いなく真実で、どれだけ苦手な生クリーム入りのコーヒーでも飲む前から僕の舌はもうこの缶コーヒーを求めてしまっていて、だからこそ買ってしまったのだ。だからもうこの缶コーヒーを手に持っているだけで存分に美味しいということになる。

 

手に持っているだけで美味いというのは、例えて言えば手をつないだだけでキスをしたことと同等である。そして手をつないだ事がキスになるのならば、キスをしたということすなわちそれはセックスをしたということでもあり、キスをした事がセックスしたことになるのならば、それはもはやセックスと結婚は等価である。なので、缶コーヒーを手に持ったということは、缶コーヒーと結婚した事になるのは明白な、しかも敢然たる事実であり、指輪交換はプルタブである。

 

なので僕は「ボス とろけるカフェオレ ダブルの生クリーム(関西限定) 250ml」と幸運にも結婚する事ができ、文字通り暖かい家庭を作る事になった。

 

暖かい家庭があると仕事も頑張れるし、道中がいくら寒くてもそれを我慢してまっすぐ家に帰る気力が生まれる。道中の数ある自動販売機の誘惑に迷わされることなく、温かい缶コーヒーと温かいご飯が待っている暖かい家にまっすぐ帰るのだ。

 

しかも先に書いたように、その缶コーヒーは僕の手に握られている。すなわち家庭がすでに僕の手の中に入っているということであり、ということはそもそも僕は別に家に帰る必要がなく、いうなれば会社に居ながらにして暖かい家庭をもつことになり、すなわち会社から出る必要がないのだ。これは極めて便利な事象である。

 

しかし。

 

僕の働く周囲では、未だ時代錯誤な言葉が蔓延している。

 

それは「仕事に家庭を持ち込むな」という、格言めいたものだ。「家庭に仕事」の間違いではない。文字通り、仕事には別に家族の事は関係ないよね、というような悪魔の思想だ。

 

これが未だに我が社会にも浸透しているから、結局僕は家庭を仕事に持ち込む事が出来ず、缶コーヒーは家で一人、寂しく過ごす事になった。

 

友人もおらず、頼れる親族もいない。彼女にとっては僕との繋がりだけが、唯一外界との触れ合いの機会だった。僕と一緒に職場に行けなくなってから、彼女は熱源を失った。段々と寡黙になり、冷めていった。一度、先に布団で寝ていた彼女の手をそっと触った事がある。

 

冷た〜い感じがした。

 

僕と離ればなれになってしまった缶コーヒーは温もりを求めるあまり、近衛兵のような安心感と包容力のある自動販売機のもとに出戻り駆け落ちしてしまっていた。少し前から、その兆候はあった。家の前に見知らぬトラックが止まっていたことが何度もあったからだ。

 

しかし、安心感があると思われていた自動販売機は実はとても酷い男だった。女を騙しては普通より20円安く、俗にいう「TWO DOWN」で売り飛ばすような、やくざな男だった。最初の近衛兵の様な、釈迦の様な態度は偽りの姿だったのだ。その一見明るい見た目とは裏腹に、包容力があるように見せかけながら自分の配下にある女を安い金で売り飛ばす。人によってはギャンブルを奨めてくるやつだっている。永遠に当たる事のないルーレットで、あこぎに稼ぐのだ。

 

家に帰っても温もりもなにもない僕は、仕事帰りにどうしようもない寒さを味わっていた。惨めさと言い換えてもいい。その惨めさから逃げるように、一時の寂しさを紛らわす為に、僕は女を買った。安い金で寂しさがうまるなら、いくらでも買ってやる。そんな自暴自棄に陥った瞬間、どこからか現れた悪い男が、僕の耳元でこう囁いた。

 

「これ、めっちゃうまいやん」

 

関西弁には、人を動かす力がある。僕はその声に促されるように、とあるボタンを押す。

 

受け取り口から出てきたのは、少し凹んだ缶コーヒーだった。なんだか見覚えがあった。かじかんだ手でそのへこみをよく見ると、こう書いてあった。

 

「ボス とろけるカフェオレ ダブルの生クリーム(関西限定)」

 

その凹んだ缶コーヒーは、とても温かかった。とても手に馴染んだ。 とても懐かしかった。

 

僕はその缶の口をあけてから、そっと目をつぶった。初めてキスしたあの日のように。そして唇と唇が触れ合ったとき、心の底からこう思った。

 

 

 

 

 

「あ、これ嫌いな味」

 

 

 

 

隣で妻が飲んでいたボスのレインボーマウンテンが、とても煌めいて見えた。

 

もう、冬の気候ですね。