僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

耳の遠い祖父の家におつかいに行った話。

週末。

 

耳が遠いと評判の祖父の家に向かい、母から頼まれていた用事を済ました。

 

用事と言っても母の買ってきたお土産を祖父に渡すという、幼稚園児でも出来るような簡単な用事だ。

 

しかし、出来るというのと、したいというのは違う。できる事ならば、僕は祖父の家に行きたくないというのが率直な気持ちだ。

 

行きたくない理由はいくつかあるけれどその中でも一番の理由が、肥大化した自己顕示顕示欲からくる長話を聞かされること、言い換えれば主演、脚本、監督、提供の全てが祖父で行われるワンマン・ショーを見せられる事が苦痛だからだ。

 

最初に書いた通り、祖父は耳が遠いと評判である。なので基本的に自分の話しかせず、しかも殆どが同じ話であり、かつ話が徐々にアップデートされていく。耳が遠いが故にこちらからのアクションは届かず、感情のベクトルはいつも一方通行。

 

今までのアップデートをまとめると、祖父の父(つまり僕のひいじいちゃん)と共に満州の田舎に移り住み、幼少期から少年期はそこで育ち、戦争の関係でそこにいられなくなり、野犬と生死をかけたやり取りをして命からがら街へと辿り着き、家系図を腹巻きに縫い込んで日本に戻ってきた後、長崎から神戸へと移り変わりながら音楽家を志すがいつの間にやらその実力が認められ非常勤ではあるものの大学の非常勤講師を経験したのち高校の指導員になり、そこに通っていたやくざの息子と言い合いになったがその父親であるやくざが懇意にしている実力者が実は自分の音楽のファンであり、後日その息子が謝りにきたけれどそれをおおらかに許したらもう他の教員から拍手喝采、また紆余曲折をへてそういえばこないだ縁があってET-KINGと話したけれどあいつらはほんまにええやつやっただのとなり、今はデイケアに通いながらナンクロ脳トレに精を出している。ごく最近のアップデートでは、自分は赤穂浪士のメンバーの末裔だとのこと。

 

ただ彼が命がけで持って帰って来た家系図を以前見たのだけれど祖父の名前はもちろん祖父の父親の名前もその父親の名前もないから、本当に我が家の家系図なのかどうかは怪しい。赤穂浪士の名前もなかった。

 

最初は満州での生活の辛さだけが彼の語るすべてだったのだけれど、いつの間にか若者文化をも吸収し、千と千尋の神隠しに出てくる河の神がオクサレ様になったのように虚実紛れた情報で、80歳というハードルを軽々と飛び越え今なお確実に成長してきている。 

 

そんな濁流にわざわざ飛び込みにいかねばならぬのは、身内の中で僕が一番祖父の家の近くに住んでいるからだ。

 

祖父とマンツーマンで会話をするのは、無理矢理やらされる風来のシレンみたいな苦痛がある。まじで。終わりがないのに自分の意志では辞められない。恐怖しかない。

 

なのでそうなる前に早々に切り上げようと、家で牛すじ肉の土手煮込みを作ってから、その煮込み作業だけを残した状態で祖父の家へと向かった。

 

「スジを煮込んでる途中やから、すぐに帰るわ」

「そうか、気をつけてな。ありがとう」

 

となるように、事前に算段した訳だ。 

 

 

祖父の家のインターホンを押し、中に入ってお土産を渡す。

 

練習した通り、

 

 「これ、おかんからのお土産な。ほんで今、家でスジ煮込んでるから、早く帰らなあかんねん、ごめんな」と言って家を出ようとしたのだけれど、急に「なんでや!あんな仲良くしとったやないか!」と言ってキレだした。

 

僕は意味が分からなかった。仲良くしとった?誰と誰の話をしているのだ。

 

牛スジだろうか。

 

僕と牛スジのことなのだろうか。

 

彼の中では、僕と牛スジは恋愛関係にあったのだろうか。

 

「そう言えば最近彼女が出来てさ、うん。全体的にプルプルしてて、怒っちゃうと固くなるところも可愛くて。でも仲直りの気持ちを込めて煮込んだら、少しずつ柔らかくなるんだ。アクの強い所もあるけど、僕も素直じゃないところがあるから気にならないよ。味噌で化粧すると抜群に映えるんだよ。唐辛子みたいに真っ赤なルージュも似合うし、ネギみたいな緑のアイシャドウを引いたときには、ドキッとしちゃうくらい魅力的なんだ。自分でいうのもなんだけど、相性がいいと思うんだよね、僕たち。だからこれから先も、ずっと守ってあげたいって思うんだ、牛スジのこと」

 

なんていう会話を彼の前でした事はないし、というかそんな牛スジを褒め讃える話なんて、彼の前以外でもしたことはない。

 

 「とりあえず入って、話きかせえ」

 

祖父はそう言うと、家の奥に引っ込んだ。別にそのまま帰ってもよかったのだけれど、何と何を勘違いしているのかがわからず、またこう言った事を放置しておくとよく分からない方向に話が広がって後々後悔する事になることが多いので、すごすごとその後についていった。

 

椅子に座った祖父は僕の顔を見て「なんで別れるんや」と神妙な顔で聞いてきた。しかし相変わらず、僕には彼が何を言っているのかがよく分からなかった。

 

ついにボケたのかとも思ったが、目はしっかりしているし別に部屋がおかしくなっている訳でもなかったので少し突き詰めて話すと、どうやら「煮込んでる」という言葉を「離婚する」と聞き間違えたらしい。どうやら僕と牛スジは、恋愛関係になかったようだ。よかったよかった。

 

「なんや、急に来て離婚するていうからビックリしたがな」

 

そう言う祖父に「ごめんごめん、だからそろそろ帰らなあかんねん」というと、祖父はあからさまに聞こえない振りをした。こういうところが、耳が遠いと評判になる由縁だ。

 

しばらく俯いたままで無言になり、ナンクロの雑誌をパラパラとめくったかとおもうと、おもむろに引き出しを漁り始め、写真を何枚か取り出してきて机の上においたと思ったら、好きな人の事を素直に見れない女子高生のようにこちらをちらちらと伺ってきた。

 

明らかに、その写真について聞かれたがっている。

 

しかし僕は祖父を甘やかしたりしない。

 

相手が女子高生でくるならこちらも女子高生で対抗するしかないと思い、スマホを取り出してその画面を注視し無言を貫いた。相手が初恋に悩む女子高生なら、こちらは電車で目の前に誰が立とうが頑に気にしないギャル系女子高生である。

 

祖父は写真を見つめ、僕はスマホを見つめる。

 

お互いに意識しながら目を合わせない。そんな甘酸っぱい恋愛のような状態がどれほど続いただろう。

 

そろそろ諦めただろうか、と祖父を携帯越しに上目遣いでみると、彼はいつの間にか寝ていた。好きな人を思う女子高生から授業中の女子高生への見事な転身。

 

よし気付かれないうちに帰ろうかと思ったのだけれど、このまま放置してしまうと大変なことになるかもしれない、と考え直した。

 

椅子から滑りおちて打撲もしくは骨折などを起こそうものなら結果的に介護が必要になるし、もちろんその責任は怪我の切っ掛けになった僕にあり、祖父の介護という身体的な負担が増えてしまう可能性がある。

 

なので僕はやさしく祖父の肩をゆらし、「じいちゃん、眠いんやったらベッドいき、僕ももう帰るから」と声をかけた。

 

しかしその優しさが間違いだった。

 

貴方のその優しさが怖かったというのは神田川の一節だけれど、

あなたのその変わり身が怖かったと思ったのが先日の僕だ。 

 

「ああ、ちょっと寝てた。ありがとうな。そう言えばな、パソコンの調子が悪いんやけど、少し見てくれへんか」と、妙にはっきりした声で祖父は僕に願い事をしてきた。

 

騙された。

 

祖父は寝ていたのではない。寝たふりをしていたのだ。

他人の優しさにつけ込むとは、こういう事を言うのではないか。

 

祖父そう言ったのち身体を起こし、僕の顔を見る事はおろか返答を聞く事すらもなくパソコンに向かって起動スイッチを押した。懐かしいWindowsXPの立ち上げ画面が現れた。

 

「あのな、あそこに写真あるんやけどな、あの写真をフェイスブックプロフィール画像にして欲しいんや」

 

パソコンの悩みと言っておきながら、さっきもじもじして見せようとしていた写真へと繋げる。

 

その華麗な流れはレアル・マドリードのゴール前のパスワークを思わせた。このままだとずるずる引っ張り込まれ、我が家のベンゼマである祖父(CR7は言わずもがな、数年前に亡くなった祖母だ。これまで数々の伝説を作り上げてきた)が着実に得点を重ねていくだろう。

 

これ以上アディショナルタイムが伸びないよう、この作業だけを集中して終わらせて早々に退散する事にした。ちなみにではあるがフェイスブックの更新とDSの脳トレが祖父のライフワーク(命綱)である。

 

「これ、写真のデータはあるんか」

 

僕がそう聞くと「これな、デイケアの◯◯さんが撮ってくれたんや。よう撮れてるやろ。わしは別に撮って欲しいとかはいわんかったんやで。でもな、せっかくやから言うて、ほんなら断られへんやろ。」と写真が撮られたときの情景および自分がいかに他人から好かれているかのアピールを織り交ぜて報告してきたが、画像データに関しては何も教えてくれなかった。

 

「ギター弾けるとな、みんなが教えてくれ教えてくてっていうんや。もう教えるんなんかこりごりやけど、どうしてもっていうから仕方なくな」

 

迷惑に感じているというそぶりをしていたが、その写真には満面の笑みでギターを抱えている祖父がいた。

 

データのありかを聞く事を諦め「スキャナーがないと写真取り込まれへんけど」と言うと「スキャナーっていうのがいるんか。それどんな機械や」とさっきまでと変わらぬ声量であるはずの僕の言葉を捉え、返答してきた。耳が遠い、というのは、なんとも便利な物だ。

 

簡単にスキャナーの説明をすると便利そうだと思ったのか、いかにも買ってきて欲しそうな空気を出してきた。こういうところも地味に腹が立つ。出すのはお金と加齢臭くらいにしておいて欲しい。

 

「スキャナー買おうと思ったら大きい電気屋までいかなあかん。車いるわ」

 

僕がそう言うと、買ってきて欲しい空気は出さなくなったが、そのかわり盛大に屁をこいた。

 

「ほんまになんなん」

 

僕が小声でそう言うと、祖父も僕と同じ様な大きさの声で

 

「ああ、屁が出てしもてるなあ」

 

とすこし笑いながら言ってきた。

 

お前の尻から出てたのだろう、なぜそんなにも他人事なのだ。出すのはお金と加齢臭だけにしておいて欲しい。

 

ほとほと嫌気がさしてきたので早急に解決を計るべく、僕は自分のスマホでその写真を撮影し、そのデータを祖父のパソコンに送るという解決策を試みた。

 

「このパソコンのアドレス教えて。そっちにこの写真の画像送るから」

 

祖父は携帯を取り出して自分のパソコンのメールアドレスを確認し、自分の名前をメインにしたアドレスを提示してきたので、その文字を打ち込んで送付した。

 

しかしどれだけまってもパソコンのメールアドレスに届かなかったので自分のスマホを確認すると、メーラーデーモンさんからのお返事があった。

 

目の前に送りたい相手がいるのにどうにも届かないこのもどかしさはまるで恋のようだ。なんて思いながら(本当は思っていない。これは嘘だ)、

 

「なあ、このアドレス使われてないんとちゃう」

 

そう聞くと祖父は嬉しそうに「わし、メールアドレス2つ持ってるねん」と、そこはかとないドヤ顔をかましてきた。

 

そろそろ鼻のあたりを骨折させてもいいんじゃないか、という思いがよぎったのだけれど、やはり介護の二文字がちらついて冷静さを取り戻し、もう1つのアドレスを聞き出した。

 

そのアドレスの由来を僕の耳元で大声で自慢していたけれど、僕は覚えていない。自分が何々家の何代目でそれをアドレスにしたのだとかいっていたけれど、それも僕の代でなくなるだろうから気にしない。

 

二度目に聞いたアドレスにメールを送ると、無事に画像データが届いた。それをパソコン内に保存し、フェイスブックのプロフィール画面に差し替え、祖父に確認をとる。写真の写真を撮った訳だから多少画像は荒くなっていたけれど、どうせ見分けはつかないだろう。

 

「あああ、これでええ。ありがとうな」

 

祖父はそう言うと、屁の臭いと共に台所に向かい、おもむろに冷蔵庫を開けて何かをとりだした。

 

「せっかく手伝ってくれてんけど、なんもないからこれでも持って帰り」

 

そう言って祖父が取り出したのは、半分にカットされた梨だった。ラップにくるまれて変色した梨。いつから冷蔵庫に入っていたのか分からない梨。

 

僕はそれを丁重に断り、やっとのことで祖父の家を後にした。

 

駐輪場で自転車に乗る前に煙草を吸おうと思い、鞄から煙草を取り出して火をつけた。

口の中に広がる煙とともに、祖父の屁の匂いを感じた気がした。祖父の尻から、屁以外のものが漏れていないといいが。

 

そんな事を考えながら、家で待っている牛スジに思いを馳せる。

 

はやく家に帰って、牛スジを煮込みなおそう。

トロトロに煮込まれたスジをあてに、ビールでも飲もう。

プルプルと震える身体をねぶりまわし、愛を育もう。 

 

僕はすでに暗くなってしまった空を見つめ、せめてもう年内はここには来たくないな、そう思った。

 

終わり。