僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

誕生日のプレゼントが喜べない。

今日は僕の誕生日である。

 

通算35回目を迎えるこのイベントの最大の目玉はなんといってもプレゼント大会なのであるけれど、これが最近地味にストレスとなり、既に気が重くなってきている。

 

僕にプレゼントをくれる人間が2人いるのだけれど、内1人はもちろん妻で、彼女から頂くプレゼントはとても喜ばしいものばかりで気が重くなる要素は一つもない。

 

強いて言うなら、今年の分の誕生日プレゼントは去年の末に前払いで貰っているのでもう貰えない、という悲しさが幾分あるくらいだ。

 

その時にもらった鞄は一緒に選んだ物で、もちろん自分好みのとても使いやすい鞄である。もう1つサプライズで貰ったのはスーパーファミコンミニであり、これも毎晩の様に僕の指を筋肉痛に陥れ、毎日のように指をつらせている。

 

なぜスーパーメトロイドはあんなにも指をつる様な仕様になっているのか。

 

特にボス戦ではミサイルを連発する為に親指のみが鍛えられてしまう。このままいけば近いうちに指弾を打てる様になるのではないか、浦飯幽助に勝てるのも遠い未来の話でなないのではないかと思わせるほどに、親指を酷使する。

 

しかしこれは本当に無駄に親指を鍛えていることになり、 例えばこれが中指もしくは人差し指を鍛えられるなら夜の営みの為のトレーニングにもなり、妻に対して感謝のしるしとして、快楽の利益還元祭りができるはずなのに。

 

かの有名な「妻の股間をジャパネット」ができるはずなのに。

 

付け替え用の下着や下シーツもついてきます!分割手数料もジャパネットが持ちます!

 

そんなくだらない明るい話題だけで終わるとなんとも気分がいいのだけれど、それで終われないのが誕生日である。 

 

さて、僕にプレゼントをくれるもう1人の人間、というか、僕の気分を下げる人の話をする。

 

それは妻の父、言い換えれば社長である。

 

彼も毎年律儀にプレゼントをくれるのだけれど、これが何とも気が重たいのだ。

 

その理由は、好みの違いである。

 

彼がくれるプレゼントは、ことごとく僕が好まない物ばかりなのだ。

にもかかわらず、彼は僕の趣味に合わせた風を装って商品を購入している。

 

まず僕がどうしたものか、と思ったのは今の事務所で働きはじめた年にもらった「ぱちんこ CR銀河鉄道の夜999」と書かれたジッポライターだった。

 

僕は漫画を読む事が趣味であり、毎週月曜日には会社のセンターポジションに居座ってジャンプを読みふけっている。その時間が終わるのがあまりにおしく3度ほど読み返すこともあり、そのタイミングで電話がかかってきても取らないくらいに神聖な時間でもあり、その時間を邪魔しようとする人がいたら、精神と時の部屋に押し込めて10倍界王拳を食らわせてその力みの際に出たうんこを投げつけてやりたいくらい、大切にしている時間である。

 

社長はその様子をどこからか見て、僕が漫画が好きだと思い漫画やアニメの何かを与えていれば喜ぶのだろうと考えたのだろう。

 

そしてその結果が「ぱちんこ CR銀河鉄道の夜999」と書かれた、メーテルがメインビジュアルになっているジッポだったのだ。

 

しかし。

 

残念なことに僕はあまり銀河鉄道999が好きではなく(話が悲しいから)、さらに言うとパチンコそのものが嫌いである。しかしそのジッポには明確に「CR」「ぱちんこ」と書かれており、一体そんなものをどこで見つけてきたのだというような代物なのだけれど、きっとどこぞのショップで「ああ、彼はアニメが好きだからこれでいいだろう。喜ぶだろう」と僕がメーテルの顔が刻印されたジッポを手にとって浮かれ踊り狂喜乱舞する姿を勝手に想像し購入に至ったのだろう。

 

僕は言いたい。

 

ズレすぎてはいないか、と。

 

僕の趣味を尊重してくれたのは分かる。わざわざプレゼントを選んでくれた気持ちも嬉しい。

 

しかし、しかしだ。

 

その一つのプレゼントの中に、 なぜ僕の苦手なものが2つも入っているのだ。

 

でも彼にそこまで求めるのはとてもわがままであることも充分に承知している。

なぜならば、それは僕の内面に関することだからだ。

 

だから社長が悪い訳ではない。

 

銀河鉄道999が嫌いな僕が悪いし、ぱちんこが嫌いな僕が悪いのだ。

 

そこまでみて欲しいとは思わないし、むしろ見て欲しくもない。

 

だからこそ僕は彼の希望していた通りの反応、プレゼントの包みをあけてメーテル及びぱちんこの文字と対面し、心で泣きながら身体で喜びを表現した。

 

満足そうな社長を見た。無理をした自分を褒めてあげた。その日の夜、高熱を出した。

 

そしてそのジッポは、CRとぱちんこの文字が見えなくなるまでヤスリで削り一応つかっていたのだけれど、いつのまにかどこかにいってしまったのはまた別の話だ。

 

次に貰ったのはワニのマークが特徴的な長袖のポロシャツだった。

 

しかし僕はポロシャツを着て会社に出勤した事は1度もない。

 

またワニのマークのついた服も1着ももっておらず、そのシャツは薄暗い緑色をしていたのだけれど僕はその色の服を1着も持っておらずどちらかというと嫌いな色で、さらに言うのであればそのポロシャツにはタグがついていて新品ではあろうけれど包まれてはおらず、そのシャツが入っていた袋にはワニのマークはなく、なんだかよく分からない半透明のビニールに入っていて、彼が一体なぜそれを僕にプレゼントしたのかまったく分からなかった。

 

ぶっちゃけ、サイズも違っていた。社長のサイズに酷似していた。

 

彼は一体、何を考えてこれを僕に手渡したのだろう。

 

これでもお前は喜べるのか、という忠誠を誓う儀式だったのだろうか。

 

それとも、俺色に染まれ、という意味合いを持っていたのだろうか。

 

 

 

僕の好みどころか何も考えていないようにすら思われた。

 

しかし折角もらった物なので、次の日にそのシャツを来て会社に行ったのだけれど朝からコーヒーをこぼしてしまい、家に帰ってから猫を抱っこした際に爪が引っかかりほつれが出てしまったので、そのまま洗濯したあとに押し入れの奥にしまい込んだ。最近捨てた。

 

 

そしてその次に貰ったのはキーケースと名刺入れだった。これにもワニのマークが入っていた。

 

しかし。

 

その時の僕はキーケースを妻からもらったばかりであった。その週は昼休みになるたび会社のパソコンで楽天市場を見ながら、結構大きな声で「このキーケースがええわ」等と話をしていたので、僕がキーケースを妻に買ってもらうことはその場にいた社長も絶対に聞いていたはずである。

 

なぜその状態でキーケースを選ぶのだ。

 

僕が自分で選んで妻に買ってもらったキーケースと張りあって、勝つつもりだったのだろうか。

 

「君よりも僕の方が、君の好みを知っているんだよ」とでも言いたかったのだろうか。

 

そもそも最初から好きじゃねーよ、ワニ。名刺入れも気に入ってずっと使っているやつがあるよ。

 

 

しかしとても内気な僕には「いや、妻にちょうど買ってもらったところなんで」とは言えず、そのキーケースを手にとり、満面の笑顔で嬉しいです!と言い、手に取ってワニを眺めていたのだけれど、結局一度も鍵を付ける事なくいつの間にかワニは河に帰ってしまった。

 

そして去年、マフラーを貰った。

 

そのマフラーはカシミアの上等なものなのだけれど、基本的に僕は首元まで締まっているダウンを愛用しておりマフラーは面倒くさいので巻かない。彼も僕がマフラーを巻いている姿は1度もみたことがないはずだ。

 

なぜ社長は僕にマフラーを買おうと思ったのだろう。

 

「彼はいつもマフラーを巻いていないな。寒そうだな。そうだ、ワシがプレゼントしてあげよう。マフラーを巻く度、ワシの事思い出すかな」とでも思ったのだろうか。

 

そこまでして思い出して欲しいのなら、もっと給料を払ってくれるだけでいい。マフラーは要らない。寸志をよこせ。

 

しかしせっかく貰った物を使わないのはわるいと思う良心は僕にもあり、では巻こうではないかとダウンの下にマフラーを巻いていたのだけれど、普段マフラーを巻く習慣がなので通勤も退勤もなにか息苦しい。

 

さらに言うと社長と出勤時間も退勤時間も合わないので巻いていても見てもらう機会もなく、巻く度に社長の顔を思い浮かべてしまうので、すぐに巻くのをやめた。

 

そして今日。

 

未だプレゼントはもらっていないが、僕は既に彼が何を用意しているのかを知っている。

 

なぜ知っているのかと言いうと、朝、社長室(という名の応接室)にコーヒーを持っていった時、何気なく見た机の上に彼の手帳が開いて置いてあったからだ。

 

今日の日付のところに「◯◯(僕の名前) 時計 代一万」と書かれていたのだ。

 

しかし。

 

僕は腕時計が好きではない。社外打ち合わせの時にはしかたなく付けていくけれど、それはあくまでも相手に対しての礼儀であると考えており、むしろ以前社長と腕時計の話をしていた時に僕は「いやー、あんまり腕時計って好きじゃないんですよね」と言ったはずなのだ。

 

そして僕は今、要らない時計を貰った時の喜びをどうやって表現するのかを考えながらこの文章を書いている。

 

一万円代で買える腕時計にどんなものがあるのか僕は知らないのでさっき取り急ぎ調べてみると、チープカシオだのGショックだのが並んでいた。どうにもオシャレなものが並んでいたけれど、やっぱりどれも僕はいらないな、と思った。

 

「今回も僕ぁ本当に喜べるのかね。」と、誰に言うでもなく呟いた。

 

しかしそうは考えながらも、もしかして僕の趣味を反映しているのか、等と少し気になってきている自分もいる。

 

よく分からないアニメのイラストが刻印された時計だったらどうしよう(楽しいかもしれない)。

 

またワニのマークが入っていたらどうしよう(またネタに出来る)。 

 

というか置き時計だったらどうしよう(こうなると嫌がらせに近いかもしれない)。

 

そうこう考えている間にも、刻一刻とプレゼントの時間は近づいている。僕は今年も、誕生日を喜べないのだろうか。

 

ああ、折角の誕生日に仕事もせずにこんなことばかり考えている僕に、誰かおめでとうと言ってくれないか。

 

 

と、ここまで書いているあたりで、事務所を出る時間になっていた。

 

帰る準備をして事務所を出るとき、社長に声をかけられてプレゼントをもらった。

 

電車の時間を気にしながら箱を開けるとやはりそれは時計で、しかもその時計はとても無難で普段から使えそうだと思った。

 

嬉しい。確かにそのときは嬉しく、心からありがとうと思えたのだけれど、今、僕の心の奥には何かモヤモヤとした感情が残っている。

 

この感情はいったいなんなのだろう。

 

喜びでもない。悲しさでもない。もちろん怒りでもなく、かといって楽しいわけでもない。

 

ただ漠然と、どこにも発散できなさそうな中途半端な気持ちが未だに消えない。

 

誰か、このどうにもならない感情に、名前をつけてくれないか。