僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

猫のことを考えると家に帰りたくなる。

今週のお題「ねこ」

 

何か文章を書こうと思ってこのページを開くのだけれど、上手く書けない。

その理由は分かっている。

 

画面の左上に浮かんでいる「【お題】ニャン・ニャン・ニャン」

 

という文字が目に入ってしまい、集中出来ないからだ。

 

別にそんなもの気にせずに書けばいいではないか、と思うかもしれないけれどそうはいかない。

 

なぜならば、僕は猫が好きだからだ。

 では猫の話を書けばいいではないかと思われるだろうが、それは出来ない。

なぜならば、今僕は職場でこの文章を書いているからだ。

 

そして僕が猫の文章を書こうとすると、決まって起こる現象がある。

 それは猫を抱っこしたいという気持ちと早く家に帰りたくなるという気持ちが合わさっての爆発である。

 

猫に対する愛情がエモーションとなり僕の心も身体も頭も心臓の肺も膀胱もキンタマも猫を求めて爆発してエクスプロージョンしてしまうからだ。 

 

猫を抱きたい猫を愛でたい猫をくわえたい猫を持ちあげてほおずりしたい猫と並んで窓の外にくる雀をみて一緒にぐるうるるるるるるううううと言いたい猫と同じ布団に入って猫がオマタの間に入ってくるまでじっとしていたい猫の前足をくわえてああ苦いといいたいみたいな気持ちが暴走してもう仕事なんか出来ないしこんな文章を書いている時点ですでに仕事なんてしていないしはやく帰りたい。

 

でももし会社の中で膀胱がエクスプロージョンしてしまうと猫が好きだ嫌いだ以前の問題であり社会的にどうにかなってしまうし、これ以上にどうしようもなくなってしまう。みだりに尿を撒き散らすのはうちの猫達だけで充分だ。

 

なので取り急ぎ机の前にはってある家の猫達の顔でもみて落ち着こうとおもうのだけれどその中には一昨年なくなった猫もいてなんだか泣けてきてしまう。

 

 とここまで感情に任せて思いつくままに気持ちをつづったのだけれど、エクスプロージョンの意味を曖昧にしか知らなかったので取り急ぎ調べてみる。

 

爆発、爆音、破裂、爆発的増加などなど。

 

よかった。合っていた。なんとなくニュアンスで書いたので不安だったのだけれど、猫と書いた時点で僕の猫に対する気持ちは爆発していたし爆音で猫の鳴き声が聞こえていたような気もするし猫に会いたい思いも破裂していたし家の猫の数も爆発的に増加していたので間違いはない。

 

 さて、今家には7匹の猫がいて別にこんなニャンニャンニャンの日だとかいわなくても毎日がニャンニャンニャンの日なのだけれど、翻って僕と妻のニャンニャンの日はもうそれは遠い日の花火であるのは間違いないけれどそれはこの際横に置いておこう。

 

だから我が家では玄関空けたら2分でご飯はおろか家に帰れば2秒で猫なのであり、まただいたいどの部屋にも猫がいて家に帰れば次に家を出るまではだいたい猫と過ごせるので早く家に帰ればだいたい問題は何もない。しかし仕事がある以上定時までは会社に待機する必要があるのはもう動かしがたい事実でもうこれは仕方がない。

 

そういえば僕は妻と同じ会社で働いており妻がお昼ご飯を作ってくれるのだけれど、そのご飯の中にたまに猫の毛が混ざっていることがある。そしてその毛を2人で眺めながらその毛の持ち主が誰かを当てるゲームに興じるのだけれど、それだけでだいたい5分くらい過ぎてしまうくらい愛おしい。

 

だいたいそれくらい猫が好きなのだけれど、実際問題としてこのような気持ちを他人に話すことは皆無だ。

 

たとえばビジネスでは政治と野球と宗教の話をしてはいけないと良く言われるが、こと動物についてもそれは同列にあると思っている。

  

言ってしまえば猫が好きだという気持ちは宗教的だからだ。

 

そして更に言えばこの世は猫教と犬教に大分類されてしまう。

 

 ニャンニャンニャンに触発されて僕と同じ様な文章を書いている人が世界中に五万とおると思うけれど、それと同じ様にニャンニャンニャンを憎む同数の犬原理主義者が存在することを忘れてはならない。

 

そういう人達はワンワンワンワンの日にこぞって暴れだすし、2月22日より11月11日の方が数字の数が1つ多いなどといって猫教に対してマウンティングしてくる(犬だけに)ことが多いのだけれどこれを期に言わせてもらうけれど11月11日は犬の話をしている人よりもポッキー&プリッツの話をしている人の方が絶対多いと思うからお前らはエグザイルよりも認知度は下だしどれだけ犬が可愛かろうが新垣結衣の可愛さには勝てないって言ってやろうと思うんだけれど、ここにおいてまたひとつの問題点が浮かび上がってしまう。

 

その問題点というのはもちろん、犬だって猫に負けず劣らず可愛いのだということだ。むしろガッキーよりも犬の方が可愛くもあるしエグザイルの数より犬の数の方が多いしその分繁殖の歴史もあるから三代目どころではない。明らかに犬の方が上。

 

 そういえば僕の働いている事務所の近くに黒芝を飼っているおばちゃんがいて、このおばちゃんも何とも愛らしいのだけれど黒芝がそれに輪をかけて愛らしい。

 

ツンデレは猫の本領だなんて言うけれどもその黒芝はまさにツンデレの権化であり、目が合った瞬間に僕たちの方に駆け出してくるのにも関わらず(デレ)目の前まできたら急ブレーキをかけて立ち止まりやがる(ツン)。それでももう見た目がムチムチしていて本当に可愛らしいので「おお、おはようございます今日も本当に可愛いですよね」と言いながら手を差し伸べると少しだけ匂いを嗅いで(デレ)そっぽを向く始末(ツン)。しかし妻がひざまずいて頭を撫でようとするともう妻の太ももに前足をのせて(デレ)唇を奪おうとするその様(デレ)をみて僕は嫉妬に狂うけれど(ツン)とりあえず一応は人様の犬ちゃんなので言葉少なに「その唇も太ももも本来は僕が独占すべきものなのですよ」とこころの中で呟くのだけれど(デレ)きっと犬はそういう所まで透かし見ているから僕に対して冷たいのだろう(ツン)。

 

なんて事を書いていると今度は猫至上主義先進派から「ニャンニャンニャンの日の犬の話をするとは何事だ」つって脅迫メールや苦情電話、不幸の手紙の類いが届くかもしれず、 今会社の電話の回線を切断した。やぶさかではない。ましてやこんな日に電話になんかでれるか。今日が2月23日で一日遅れだということは重々承知しているがそんなことは別に問題ですらない。今このとき僕は仕事よりも猫大切なのだという気持ちを伝えたいだけだ。

 

今日はなんといっても華の金曜日通称華金であり、会社帰りに浮かれた人達がやれ居酒屋だやれキャバクラだやれホストだとキグルイする日であるのだけれど、僕たちはそんなことに浮かれない。なぜならば、家でKAWAI子ちゃんたちの接待が待っているからだ。

 

早くエサをくれとせがむその姿はまるでお釈迦様のたらした蜘蛛の糸に群がる魑魅魍魎、せっかく用意したそのご飯が気に食わないと器の横で砂をかくという反逆の仕草は飼い主の神経を逆撫でし、トイレ掃除をしたそばから砂の上にかりんとうのようなウンコをトッピングして発狂したバイキングの様に部屋の中を破壊しまくる。脱糞王に俺はなる!!!!その見事な脱糞に満足したからかどうかは知らないが急に部屋のなかを走り回る。しかしその姿をよく見ていると肛門からウンコの粒がぶら下がっている。これはいけないとティッシュペーパーを持って追いかけるとそれを遊びの一環としてみたのか、さっき以上にはしゃぎ回ってうんこを付けたまま洋服棚へと隠れようとする。危機一髪のところで捉まえたと思いお尻にティッシュをあてるといつの間にかウンコは消滅しており「あれ、超能力?テレポーテーション?」なんて考えてると捉まえたはずの猫はもうおらず、一張羅のジャケットに消えたはずのウンコがついている。

 

そんな接待が毎日のようにあって気が狂いそうになるのだけれど、しかしそれでも毎日楽しいのは彼らの可愛さによるものであり、どれだけ布団にオシッコされようがこんな顔でこちらを見られてしまうともう全て許してしまうよねってことです。

 

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ねこ万歳。犬も万歳。鳥も豚も羊も万歳。爬虫類だって魚類だってみんな可愛い。皆長生きすればいい。

 

あー、はやく帰りてえ。接待してえ。