僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

豚の耳の穴に毛が沢山詰まっている事実は、あまり知られていない。

僕が散髪が嫌いな理由はだいたい百個くらいあって、ひとつめはあの独特なスペースでは息が詰まりそうで、ふたつめは自分のタイミングではなく妻に督促されるから、みっつめは異様に髪が伸びるのが早くて美容師に笑われるから、なんて思っていること。

 

といきなりくるりのハイウェイみたいな感じで始めたのは、岸田さんの髪型ってどのタイミングで見てもなんか違和感しかないなーなんて考えたからである。ちなみに歴代の岸田さんの髪型で僕が一番好きなのは、少年アシベに出てくるアシベみたいな髪型だったときだ。言い換えるとなすびのヘタに酷似した髪型だったとき。すごい可愛かった。

 

さて、僕の髪は固くて量が多く、しかも最近は生え際が後退してきているという何ともむずかしい髪型であり、それを人目にさらす様な醜態は出来れば控えたいので普段は帽子をかぶっていることが多いのだけれど、ずっと気に入ってかぶっている帽子をもってしても隠せないくらいに髪が伸びてきた。

 

カットしたての時にはまだすっぽりとかぶれるのだけれど、今くらいの長さまで伸びてくるとまるで朝立ちした下半身が下着と寝間着を押し上げている時の様に髪の毛が帽子を押し上げてしまい、少し風が吹いただけで飛ばされたりするような敏感体質になる。

 

ちなみに僕の下半身も同じ様に風が撫でただけでビクビクと感じてしまうほどに繊細な皮膚の持ち主なので、そうやすやすと他の人には触らせられない。もしまかりまちがって風俗などにいってしまうと、まず女性の視線を感じただけで赤面して爆発、続いてフェザータッチに悶絶して暴発、濡れた唇に辿り着く前に興奮のあまり消滅、みたいになってしまう恐れがある。僕のちんこがアルマゲドン。いや、消滅って書いていたからアルマゲドンではなくナイマゲドンか。まあ別にどっちでもいいし、どちらにしてもたいして面白くもない。

 

まあ関係ない話はこれくらいにするけれど、今の頭がそんな感じなので、この状態になると妻から「そろそろ散髪にいこか」という勧告が届く。が、僕は先に書いたように、この散髪という行為に対して苦手意識がある。

 

また僕個人的な感情としては別にじゃもじゃでもいいし、むしろもっと伸ばしてシアターブルック佐藤タイジ、もしくはラーメンズ片桐仁のような髪型に憧れもあるが実際には試したことがない。

 

なぜ試したことがなのかというと、高校時代に通っていた美容室のおっさんに「あの、パーマ当てたいんすけど」と聞いた際「ああ、君の髪質やと今から東大入ったり電通に入るよりも難しいで。やめとき」とよく分からないディスりを受けたからだ。

 

大学進学や就職活動に周囲が右往左往しているような状況でのおっさんのひと言は、あれから17年以上たってもなお僕の胸に深く刻まれている。

 

なにより僕自身が逆立ちしても東大にも入れずもちろん電通にも入れないことはおろか、そもそもその時期よりさらに経験も積んで知識の蓄えが最高潮を迎える30代半ばという熟れに熟れている今の状態であるにも関わらず、その全てを動員しても自分の勤務先の住所を名刺をみないと書けなかったり九九を言おうとしても七の段でつまってしまうようなぼんくらなので、そのおっさんの言葉が間違いなかったことが証明されてしまっている。

 

しかし苦手だからといって今の髪をそのままにしておくと生活において不便であり、また衛生観念からみてもあまりよい状態だとも言いがたい。

 

ある程度のびるとうねってくる僕の髪は一見したところチン毛のようであり、そうなると頭に陰毛をのせた男となってしまいこのままではワイセツ物陳列罪が適応されてしまうおそれがあり、こんな状態で外にでるもしくは電車に乗ろうとするといくらICOCAにお金をチャージしていたとしても改札すら通らしてもらえず終着駅はいつだって留置所であり「ああ今日もカツ丼(実費)がおいしいなあ」なんて壁に向かって呟かなければならなくなる。

 

なので私の頭の中の消しゴムならぬ私の頭の上のちん毛が伸び過ぎないうち、いいタイミングで髪を切りたいと思うのだけれど、そう言えばエロい人ほど髪の毛の伸びるスピードが早いという格言を思い出した。

 

しかして僕の髪は人と比べてなかなかに伸びるスピードが早く、それがどれだけ早いのか分かりやすくいえば、局地的ではあるが「M字ハゲ界のアイルトン・セナ」とも呼ばれるくらいであり、しかも先に書いた様に全体はうねったチン毛、それだけではあきたらずなぜかもみあげの当りだけが異様に縮み、鈴鹿のデグナーカーブからヘアピンカーブに至る様相を思わせる出来となる。頭はちん毛、もみあげは鈴鹿。おっさん界の名探偵。

 

そんな自分の髪の毛のつぶさな変化を眺めているとやはり僕はエロいのかなあ、と独りごちるのであるが、しかしそのエロの神髄、いうなれば欲望の赴く先であるちんこ、そしてそのちんこを守る為のちん毛、これはいわゆる比喩としてのちん毛ではなく本職のちん毛であるけれど、この本職ちん毛略して本ちん毛は以外と伸びないものである。

 

一度剃ってみると分かるのだけれど、伸び始めの本ちん毛は少し動くだけで身悶えするほどチクチクし、それに快楽を覚える頃にはその感触に慣れてしまい、その後はあまり意識することはなくなる。数字的にいうならば、だいたい2〜3mmに育つまでがチクチク地獄、それ以降5mmくらいになると少し柔らかくなり、1㎝を超えるころには若干薄いな、と感じる程度の違和感しかないというと分かりやすいかもしれない。

 

そしてあまり知られてはいないかも知れないが、この本ちん毛はある一定の長さで成長が止まるのだ。人によってその長さは左右されるが、だいたい4〜5㎝が目安となる。

 

この「本ちん毛がある程度の長さまでしか伸びない」という事実は、当たり前すぎて議論の種にすらならない悲しい存在なのではないか、という懸念がよぎる。

 

なので今回は「なぜ本ちん毛はある程度の長さまで伸び、そこで留まるのか」という話をしようかと思ったのだけれど、別にそんなことはどうでもよい気もするし実際僕自身あまり気にもならないし、僕が気にならないのであれば議論する余地すらなく、ぶっちゃけ他の誰も気にしないだろうから最近僕のハマっているミミガーについて書きたいと思う。

 

ミミガー、すなわち豚の耳である。

 

僕はソーセージを自作するほどにソーセージを愛しているけれど、それはすなわちその原材料である豚すらも愛しているということだ。

 

そして愛する人のものであれば例え爪であったり髪の毛であったり分泌された液であったりも愛おしいように、豚の一部であれば耳ですらいとおしくなるのは必然であり、これはもう豚が好きならミミガーも好きだというのは携帯電話で通話が出来るのと同じくらいに当然のものである。

 

さて世間的によく見るミミガーは既に下処理、味付け等を施されたものであり、最近ではコンビニでも気軽に買える沖縄系おつまみの代表格であるけれど、実際その処理される前の豚の耳はあまり見ることがないのではないかと思う。

 

僕が普段よくいくお肉屋さんではあまりよそでは見かけない食材を扱っていて、冷凍のコーナーには羊の肉や七面鳥、馬肉などがあり、その中に紛れて豚の耳が置かれている。

 

ずっとそれが気になっていたので先日ついに買うことにいたり、その下処理から調理に至るまでの話を書こうと思ったのだけれど、まだ豚について書き足りないので少しだけお付き合いいただきたい。

 

最近はペットとしての豚、あまり大きくならないミニブタをテレビや何やでよく見るけれど、それはそれでまたかわいいものである。食べ物として舌を唸らせ愛玩動物として愛を生み出す。そんな人間の感情すべてを満足させてしまう豚はなんと素敵な存在だろうか。

 

けれどそうはいっても僕の周囲で飼っている人はおらず、また身近に牧場などもないのであまり豚を見る機会がないのだけれど、豚は舌を感情を満足させる考えはそれだけ豚が好きならば食べるだけではなく飼うべきではないかという葛藤を生み出し、僕の身を引き裂くほどの悩みを与えもする。

 

かくして現状のままでは豚好きとしてプライドが保てないと考えたのではあるが、しかし豚を飼うにはあまりにもハードルが高く(家には猫が7匹もいて、隣の家には異常に耳のいいおばあちゃん(他人に聞こえない音が聞こえ、他人には見えない敵と昼夜問わず戦っている剛の者)がいるのでこれ以上動物は増やせない)、また実際に愛らしい豚を飼ってしまうと本当に愛着がわいてしまい、そうなるとこれほど愛している豚を食せなくなってしまう懸念もある。

 

そこでおっさん界の名探偵が出せる答えはひとつしかなく、それは自分が豚になることである。

 

答えが出ればあとは動くだけ。

 

僕は妻に頼み込み、豚としての人生を歩むべき第一歩を踏み出すこととなった。

 

豚である僕は取り急ぎお風呂にて裸になり、豚らしく四つん這いになった。

 

なぜ風呂場なのかといえばそれも豚に由来するのだけれど、豚小屋やブタ箱といった言葉のニュアンスによって豚の生育環境は汚い様に思われている節があるがこれは間違いであり、豚は清潔な環境を好む。部屋が汚かったりするとストレスが溜まり、他の豚のしっぽを齧ったりしてしまうほどだ。なので我が家の中でも一番清潔な状態を保っているお風呂が選ばれた。

 

それにプラスしてもう1つお風呂場を選んだ理由として、滝業からインスパイアを受けていることも記しておかなければならないだろう。僕は豚になるのと同時に、自分自身の精神も鍛えているのだ。

 

なのでその清潔な豚にならいながら滝業の一環でもあるので身体を清めやすいように裸で風呂場にて四つん這いになった次第だ。

 

そのように自分が豚になり滝業によって煩悩がだんだんと抜けていくと、残っているのは「ああはやく罵って欲しい。虫けらの様に踏みつけて欲しい」という誰もが欲する真理のみである。

 

けれど普段から極めてノーマルな性癖しか妻に披露していない身分なのでその思考を披露するのがはなはだ恥ずかしく、またしがない1匹の薄汚れた豚でありご主人様の欲求を1つも満足に満たせない、奴隷にすらなれないゴミ以下、塵やほこりと同じ様なこんなウジ虫である僕が崇高なご主人様である妻に対して偉そうな口をきく訳にはいかず、「本当に私事に付き合わせてしまい申し訳ございませんが、どうかわたくしめを座椅子代わりにして座っていただき、そこで身体を洗ってくださいませんか」と丁寧にお願いした次第だ。

 

とまあそんな感じで豚になった結果、僕の得た見地としては「背中に座られながらお湯が流れると、なんとなく背中にオシッコをかけられているみたいで凄く興奮した」という一文に集約されるだろう。

 

とまあこのような新しくもすばらしい発見を皆様にも体験して欲しくて筆を執ったので、もし興味が湧いた方がいれば試してみて欲しい。

 

本当にお風呂の入りかた1つで楽しみが増えるのだな、と僕は未だに興奮の尾を引きずっているが、長くなったのでこの辺りでおしまいにしたいと思う。

 

あ、先ほど書いたミミガーの下処理に関していうと、耳の穴の奥に凄い量の毛と汚れが詰まっているので、塩と酢で阿呆ほど丁寧にこすり落としましょう、というのが重要です。多分、あれが臭い。