僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

母や父に感謝する日があるのなら、ちんぽに感謝する日があってもいい。

今週のお題「おかあさん」

 

このお題を読んでから上記のタイトルだけが思いついてもう数時間、何も書くことが思い浮かばず僕はパソコンの前から動けずにいるのだけれど、結局諦め席から立ち上がってトイレに向かった。

 

いつでるか、もうでるかと思いながら力むこと5分少々。しばらく格闘した結果、葡萄一粒ほどのウンコがポチョンという可愛らしい音とともに滑り落ち、潜水艦のように便器の中へと沈んでいった。ポチョンがポチョムキンへと変わった瞬間に立ち会えた。

 

うんこはとても小さな、一粒だけの儚げな存在であったにも関わらず、匂いは一人前のウンコだった。

 

山椒は小粒でもピリリと辛いし、ウンコは一粒でもソコソコ臭い。

 

それが今日一日会社で僕が得ることができた教訓だった。

 

しかしまあ、そもそもこんなタイトルの記事を読みたいと思う人は気が狂っているとしか思えないのだけれど、もしこの記事を本当に読んでくれる人がいるとすれば、それはちんぽの日に何をプレゼントすればいいのか悩みに悩んだ挙げ句、ネットサーフィンの果てにこの記事に辿り着いたであろうことは想像に難くない。

 

「ちんぽ 感謝 プレゼント」で到達出来る検索結果先はきっとここくらいだろう。

 

ということで、母の日にはカーネーション、父の日にはウィスキーみたいな感じで、ちんぽの日には何をプレゼントしてあげればいいのかをここに記載することが全国のさまよえるちんぽ子羊さんたちに対する優しさなのだと思ったので、それを書きたい。

 

そもそも母の日にカーネーションをもらって嬉しく思うのは、母は普段からカーネーションを代表とする「花」をもらう機会が少ないからだろう。

 

しかし少し調べてみると、花を嬉しいと思う人が多い反面、全然嬉しくないという意見も散見される。 ちなみにそのサイトによるとカーネションなどの花も嬉しいけれど一緒にご飯を食べにいったり旅行にいったりするほうがうれしかったり、鞄や財布などの小物をもらうことに喜ぶみたいなことも書かれていた。何とも現実的だ。

 

ただそれらは地味に出費のかかることでもあり、そこまでのプレゼントはどちらかといえば誕生日などにとっておきたい。では何がいいのかといわれれば、母親の好きな色のスカーフなどはいかがだろうか。季節を問わず使えて値段も手頃。また僕自身今までの人生でスカーフが嫌いだという女性に出会ったことがないので、とても現実的な気もする。

 

ちなみにだが、母の日だからといってカーネーションの色に合わせて赤いものを選ぶのはやめた方がいいと個人的には思う。なぜなら、今の時代赤いスカーフを巻いているのは水木一郎くらいしかいなからである。

 

想像してごらん。あなたのせいで、母親が水木一郎とペアルックになってしまうことを。

想像してごらん。あなたのせいで、母親がパート先の打ち上げでマジンガーZを歌わされることを。

 

あなたがジョンレノンと同じ様に平和を愛するのであれば、赤以外のスカーフがよろしいかと思う。

 

他方、父たちがウィスキーをもらって喜ぶのは、世知辛い社会構造が問題となっていることはあまり知られていない。

 

働けども働けども我が暮らし楽にならんなあとじっと手を見つめているお父さんたちが普段飲んでいるのは第3のビールやメチルアルコールである。それらが冷蔵庫に並んでいる様は物悲しくもあり、そのままいくと密造酒作りに手を染めてしまう懸念もある。

 

父を非行に走らせないように、日常でも飲める様に、せっかくだからいいお酒をあげようと鬼殺しやワンカップをあげたとしても、そんな飲酒状況にある父親は手が震えているもしくはメチルが視覚に影響を与えてしまっているので上手いこと飲めずにこぼしてしまう、もしくは癇癪を起こして壁に投げつけてしまいかねない。

 

すると結果的に床にこぼれた中身を臥せって啜るという人として情けない結果になってしまうので、この場合はそのままでも飲みやすく、またある程度アルコール度数の高いウィスキーが喜ばれるのだと僕は床にこぼしたワインを啜りながら考えたのだ。

 

話は変わるが木の床に落ちたワインを直接すすると木樽から直接ワインを飲ませてもらっている気がしてなんともいいものだ。床のテロワールを感じる。またカーペットにこぼした場合は布のテロワールがするけれど、けばけばしさが気になるのであまりお勧めしない。

 

このようにプレゼントは、あげる対象が求めている物を提供すべきである。となればちんぽに対しても、どのような生活をしているのかを良く観察し、何を求めているのかを感じ取ってあげることが重要なのだ。

 

あなたのちんぽが何を思い、何を考え、何をして過ごしているのかをつぶさに観察し、健やかな時も、病める時も、喜びの時も、悲しみの時も、富める時にも、貧しい時にも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くして見守ってあげる。

 

非行に走る児童の大半の原因は親の無関心といわれているが、それはちんぽも同様である。

 

貴方がちんぽに関心を持つことで、ちんぽが何を欲しがっているのかを理解出来るできるだけでなく、非行の道へと踏み出してしまうことを未然に防ぐことだって出来るのだ。

 

愛するということは包み込むということ。敬うというのは先っぽを刺激してあげること、慰めるのは上下運動、助けるのはティッシュの用意、命ある限りの真心とはご想像にお任せします。

なによりボクが言いたいのは、

 

ゆるすなちんぽの非行

ともせちんぽの希望

 

を合い言葉に、邁進してまいろうではないか、ということだ。

 

さて少し脱線してしまったけれど、母や父が喜ぶようなプレゼントを考えたように、ここからちんぽの喜ぶものを考えようではないか。

 

しかし先に書いておくと、普段からちんぽと近しいパンツやコンドームというのはちんぽの日にプレゼントする物としては最低の部類に入ると考えられる。

 

これは例えば母親にエプロンをあげると「もっとおいしい飯を作れ」というプレッシャーになってしまう懸念があるし、父に財布をあげたとしても入れる中身がないどころか手元にあるお金を全て酒に使うために、財布を見る度に罪悪感を増長させてしまう、なんてことが現代日本では良く起こりえるし、もうそうなるとその結果が自殺大国である日本だともいえる。

 

心ないプレゼントが人を殺すこともあるのだ。

 

なので出来るだけ対象から距離を置きながらも、相手が喜ぶものであり、また需要があるものを見極めることが重要になる。

 

これは順序よく考えると理解出来るかもしれない。

まずなぜパンツがだめなのか。それは、ちんぽから一番近い存在、先にあげた様な母親にとってのエプロンだからである。

 

そんなちんぽに一番近い存在であるパンツをプレゼントするというのは、八百屋さんにキャベツをプレゼントするようなもの、もしくはお坊さんに木魚をプレゼントするようなものだ。

 

いつもスグそばにあるものをわざわざプレゼントされてもなにも嬉しくないし、逆に言えば迷惑にすらなりえる。

 

たとえば魚屋さんがさんまを叩き売りしているその瞬間、「これ受け取って下さい!」鯵を渡したらどうだろうなるだろう。「ありがとうございます」とは答えないし、そもそも気持ち悪がって受け取ってはくれないだろう。

 

またタイミングが悪いと、自分で持ち込んだ鯵であるにも関わらず「あいらっしゃい!鯵一丁ね!」と、そのままレジに通されてお金まで払わされるかもしれない。貴方が持ち込んだ鯵に対して貴方がお金払いそれを貴方が持って帰ることになる。

 

あなたが代金を払って手に入れたもの、それは虚無である。

 

結局の所、あなたは何も手に入れられない。貴方がしたいことが寄付や献金なのであればそれでもいいだろうが、きっと違うだろう。そのように、やはり対象に近しい物はプレゼントにはむいていない。

 

次にコンドームがいけない理由は、これはもう単純にダサイからである。こういった物をプレゼントする俺あるいは私、なかなかにとんがってて面白いだろう、という自意識が垣間見えすぎてしまう。

 

精子をせき止めるコンドームをプレゼントしながら自意識を駄々漏れにするなんていうださい行為は、高校生で卒業しておきましょう。先走るのは、ちんぽだけで十分なのだ。

 

さてここからが本題だが、ではちんぽの日にプレゼントするには何がいいのかを考えると、やはりちんぽからほど遠く、かつちんぽにとって有用である物があげられ、またプレゼントであるがゆえにオシャレであることも重要だろう。

 

そもそもちんぽは隠されることが前提であり、オシャレであることは余り意味をなさないのでは?と考えられがちだけれど、オシャレの上級者は見えないところにこそ拘るものである。勝負下着はその最たる物で、見えない部分に拘ることで強く優しく愛おしくなれる。

 

貴方のちんぽは赤黒いだろうか。それとも青白いだろうか。きちんと毎日確認している人ならばすぐに答えられるけれど、まずここで気にするべきはちんぽを表現する時には「色」が使われるということだ。

 

色はその物体がどれくらい光を反射するかで決まる。リンゴは赤いのではなく、赤い光を反射することで視覚的に赤く見えるのだ。

 

それに倣うと、赤黒いちんぽは白い光を吸収していく「闇属性」のちんぽであり、青白いちんぽは黒さを吸収する「光属性」だと定義できる。

 

であれば、自ずとどのようなプレゼントがいいのか選択肢の幅を狭めることができ、今後どのようなちんぽに育てたいのかによって別の選択も選べるだろう。これはちんぽに対するプレゼント選びでありながら、1つの教育でもあるのだ。教育評論家の尾木ママも、きっとこの意見に賛成してくれることだろう。

 

「あのね、ひとつとして同じちんぽってないのよ。あなたにはあなたのちんぽがあるし、そのちんぽをどうやって育てるのかは、貴方の手にかかっているのよ。まあ、手にかかってるって、なんかヤラシイわね」

 

では、1つのサンプルとして闇属性の赤黒タイプを優しく育てたい時のプレゼントを考えてみたい。

 

先にも書いた様に、赤黒ちんぽの属性は闇だ。であれば、優しく育てたい場合には闇を中和する為に必要になるものを選ぶことになる。

 

となるとやはり柔らかな素材感が重要であり、闇の印象を軽やかに変化させる「パステルカラーの薄手ストール」はいかがだろうか。

 

元来かりくびは敏感な場所であるが、ストールを巻くことで急な温度変化にも対応でき、また早漏対策にもなる。さらに赤黒さを解消する為に、初夏らしい軽やかな色合いを選ぶとバランスがとれる。

 

以前「風俗でモテる為にはちん毛にリンスをすればよい」という話を書いたのだけれど、これもまた風俗でモテる為のエッセンスになるかもしれない。ビキビキに固くなった赤黒ちんぽでも、薄いピンクや水色のストールを合わせることでいっきに優しい雰囲気を纏えるのだ。

 

このようにちんぽに感謝するように考えると、どんなプレゼントがいいのかおのずと見えてくる。例に出した様なストールはもちろん、敏感さに拍車をかけてあげたいならば柔らかさに定評のある「熊野ふで」、ちんぽをブランド化したいならば「穴吸いの香水」、いつ外に出しても恥ずかしくないちんぽに育てたいなら、身だしなみを整える意味も込めて「ヘアアイロン」なども喜ばれます。ストレートなちん毛は、気持ちをストレートに伝えてくれますから。

 

ながながと書いてきましたが、そもそもちんぽの日ってなんでしょうか。それはいつなんでしょうか。この文章を母が読んだら、僕のことをどう思うのでしょうか。色んな疑問が頭をよぎりますが、まあ、書いてしまったものは仕方がないので、今日という日を「ちんぽ記念日」として、この記事を公開したいと思います。

 

ちなみにですが、1966年の今日は、中国で文化大革命が起きた日らしいですね。それにならって、今日という日がいつか、ちんぽ大革命の日になってくれることを願ってやみません。 

 

自分で書いておきながらなんだけれど、プレゼントの選択肢がストールに傾きすぎているのは多分水木一郎ウィキペディアを見すぎたからだろうし、そもそも選択のセンスがださ過ぎることには目をつぶってもらいたい。