僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

「これぞ本場の味!」と言われましても。

先日ネットで「本場の味を再現した麻婆豆腐レシピ」なる物を拝見し、なるほどこれをつくると本場の味が食べられるのかと意気揚々、自宅の冷蔵庫やスパイス置きをあさってみればその本場の味が再現出来る材料まで揃っていた。豆豉、花椒、豆板醤、生姜に塩漬け唐辛子、ひき肉等など。

 

であればなおさら作るしかないと思い立ち、深夜12時を超えようという時間帯に完成し、寝かけていた妻を起こしてともに賞味しながら「うほほ、これが本場の味かいな、うまい辛いけれどうまいまた辛い」とハイボールやビールを飲みつつネットレシピの出来映えに満足してしまい酔って昏倒、洗い物その他の家事を放置してそのまま寝てしまったのだけれど、翌日腹痛に苛まれて目を覚ますはめになったのが僕の醜態。

 

トイレでの排泄と台所での洗い物、猫のトイレ掃除をこなしながらなんとか我がの朝の準備をした。

 

しかし辛いものを食べた後の腹痛は大概の時において後を引き、この日もまた多分に洩れず排便は漏れ続け、自宅での排泄のみではらちがあかず、駅構内から電車にのるまで腹痛が断続的に僕を襲い「やはり辛い物を食べると翌日がつらい。なので辛い物は週末にしか食べないようにしよう」などと満員電車で考えながらまだ襲いくる便意と格闘していると、その神聖な戦いに別の相手が交わってきた。

 

その相手とは、満員尾通勤電車の中で僕の隣に立っていたおっさんである。

 

こちらを見ることはしないけれど、身体のはしばしから僕の立っている場所を浸食したい、自分の領地を拡大したいという邪念が立ち上っていた。しかし僕にも譲れないもの(お腹に刺激のない姿勢)があり、また守るべきもの(肛門の安全)もある。

 

三者の戦いは水に浮かんだ豆腐のように極めて静かでありながら、すりつぶされた花椒のように鮮烈さを極めた。

 

昨夜の辛味に刺激され肛門へ肛門へとうんこをおしだそうとする腸。

その肛門を必死で締めようと踏ん張る僕。

その踏ん張る僕の足を踏んだり、ゆるんだ腹を腰で押してくる横暴なおっさん。

横暴なおっさんにうんこをぶちまけてやろうか!といきり立つ腸。

ぶちまけるためには肛門を通過しなければならず、そうなるとやばい僕。

僕に守られているとは知らずさらに執拗に僕の足を踏むおっさん。

 

その三すくみは阪急電車に急遽現れたバミューダトライアンゴー。

 

これ以上足場の確保に拘るならおっさんは臭さと僕の便の中で溺れ死ぬし、僕は社会的に死ぬし、周りの人達もとばっちりで死ぬことになるんだぜ?なんて頭の中でニヒルなやりとりしていたのだけれど、本当にそれが現実になるとニヒルどころか俺の尻からヒネリ出るのは下痢でもなんでもなくただの邪王炎殺黒龍波だしそうなると俺は飛影だしここは阪急電車ではなく首くくり島の暗黒武術会で車掌は戸愚呂チームのオーナー左京だ。

 

「うんこを漏らした奴が勝つ方に、66兆2000億円」

 

と社内アナウンスから流れ、つり革の上で待機している戸愚呂兄が「きひひひひひひ!早く漏らしちまえよ!」といったかと思えば玄海師範は「限界を超えろ、玄海だけに」みたいなくだらない駄洒落をいうし僕は邪王炎殺黒龍波(下痢)は使えるけれど陣のように爆風障壁が使えないので周囲にうんこが散乱してしまう。戸愚呂弟は臭くなった車両の替わりに新しい車両を担いでくるし、うんこを漏らしてしまった僕はDr.イチガキのような笑顔を浮かべ「全て私のシナリオシュミレーション通り」だとかいいながら高笑いするだろう。

 

そんな地獄絵図、いうなれば黒の章の収められてもおかしくない風景がこれ以上広がらないように、痛む腹を腰をぐいぐい押してくるそのおっさんの顔を懇願の表情で見つめ終戦をはかろうと見てみると、なんとなく渡辺正行ににていたのでこれもなんとなく腹がたってしまった。お前はコント赤信号で忙しいかもしらんが、おれは腹痛が赤信号なのだ。

 

結局最低最悪な暗黒武術会はひらかれることなく無事電車から降りることができ、なんとかトイレにも間に合い、便器に股がり唐辛子で痛む肛門をなだめすかし、やはり本場は強いんだなあ、と感嘆していると「そもそも『本場の味』とはいったい何なのだろう」という疑問がまるで肛門からうんこがでてくるかのように湧き出てきた。

 

本場。

 

その言葉の通り、その場所で生まれたものである。僕の肛門を破壊したのは本場四川のレシピという謳い文句がかかれた麻婆豆腐のレシピであり、豆豉や豆板醤、塩漬け唐辛子を使うものだった。確かに美味しく、またふだん中華料理屋で食べるものとはひと味もふた味も違う味わいだったのだけれど、ではそれが本場の味なのかどうか、というものが分からなくなってきたのだ。

 

さらにいうと、また別の麻婆豆腐のレシピを中華の鉄人陳健一氏が書いており、そこには本格的という文字が踊っていた。

 

本場と本格。

 

同じ様な言葉で紹介された2つのレシピではあるけれど、使う食材にも違いがあり、そうなると味も違うことは疑いようがないがそれも考えれば考えるほどに混乱をきたす。

 

同じ四川の麻婆豆腐でありながら本場の味と本格的な味には違いがあることとなり「これは一体どういうことなのだ」と僕の中に潜む海原雄山が顔を出す案件でもあり、東西新聞社帝都新聞社が紙面で火花をちらしあい、本場本格と言葉尻を掴んで振り回す海原雄山に対して富井副部長が「本場が何だーーー!本格が何だーー!」と泥酔しながら叫ぶので双方を収める為、栗田さんにお願いしてなんとか一肌脱いでもらい、僕と海原雄山、富井副部長の3人で彼女のストリップを楽しんでいたところまでは覚えているけれど、山岡さんが急に出てきて「明日の午後、俺に付き合ってもらおう。お前に本物の麻婆豆腐がどんなものか教えてやろう」みたいなことを言われ「本場、本格に続いて今度は本物!!!!????」というまた新たな言葉に発狂して僕は気を失ってしまったけれど、薄れゆく記憶の中でただ1つ覚えているのは山岡さんのポケットから栗田さんのブラジャーの紐が見えていたことくらい。

 

トイレで目を覚ましてからも「本場」と「本格」と「本物」の違いが結局分からず今に至るのだけれど、まあ今までの流れを整理すると「本場」は実際に四川で麻婆豆腐を食べた人がネットにあげたレシピで、「本格」は陳健一が教えてくれたもの、「本物」は山岡士郎の妄想である。

 

となるとここで問題になるのは、陳健一の出身地がどこなのかということになるのだけれど、彼の出身は日本であり、父の陳健民が四川の出身である。が、その父は「私の中華料理、少しウソある。でもこれ、美味しいウソ」と自身の料理は日本風に味を変えていると認めており、その息子である健一もきっとその影響下にあると思われるので、彼のいう本格レシピは本場のレシピではなく日本ナイズされたものと見るべきだろう。

 

かたや山岡のいう「本物」は妄想なので別にどうでもいいのだけれど、では僕の作った本場の味、というのは本当に「本場」なのだろうか。

 

しかし確かめようにも僕自身、四川はおろか中国にすら足を踏み入れたことがなく、また今後の人生設計において明るい家族計画はあっても中国への旅行などはリストにすら入っておらず、したがって先日食べた本場の味とは本当に本場の味なのかを確かめようがなくまた陳健一の麻婆豆腐を食べにいく予定もなければさらにいうと山岡士郎がいう本物の麻婆豆腐には葉にんにくが入っているなんていうことがホントに正しいのかすら検証の仕様がないという袋小路。

 

「麻婆豆腐だけに、まあ、ぼうしましょう!」

 

なんて駄洒落にもならないようなことを考えながら職場につき、そう言えば僕には中国人の知り合いがいた!と思い出したのはちょうど昼休みの時間で、電話を取り出しその中国人に電話をかけて本場の麻婆豆腐と本格的な麻婆豆腐と本当の麻婆豆腐の違いを聞いたところ、

 

「ああ、ワタシ福建省出身よ。四川料理苦手よ、辛いから。だから知らない」

 

という返答だった。

 

結局何がなんだか分からなくなった僕は結局全てを諦め、パソコンでこの文章を打ちながらなんとなしに夢で見たはずの栗田さんの乳首の色を思い出そうとしているけれど、それすらもできないでいる。

 

あの胸をもみながら子供を作った山岡が憎らしい。本物の麻婆豆腐豆腐なんてどうでもいいから、栗田さんの乳首の色を教えて欲しい。海原雄山との軋轢や邂逅なんてどうでもいいから、栗田さんの好きな体位を教えて欲しい。

 

ああ、どれだけ画面に感情をぶちまけようが、いまだにお腹が痛いし肛門も痛い。でもまた週末にでも、次は葉にんにくをいれた麻婆豆腐を作ってみたいなあ。なんて思ったりもしながら、またトイレに駆け込むという日常と週末。