僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

納得のいく町紹介がないので、僕が文章だけで尼崎を紹介する。(約1万文字と長い割に内容は無に等しい)

貴方は尼崎を知っているか。

 

アメリカで生まれた。

オレはアメリカで生まれた。

オレはアメリカの時代遅れのおっさん。

 

 

こう歌ったのはブルース・スプリングティーンだけれど、これに倣っていうのであれば、

 

尼崎で生まれた。 

僕は尼崎で生まれた。

僕は尼崎の時代遅れのおっさんだ。

 

そう、我こそが「Born in the A.M.A」。

 

尼崎生まれの尼崎育ち、悪そうな奴はだいたい僕からかつあげしたお金でゲームに興じていた。教科書は高校に置いてきたどころか教科書が必要な授業もほとんどなかったし、制服すらきちんと着ていなかったけれど別に怒られもせず高校は卒業できたし、エアマックス95人気が全盛期の時代には校内でスニーカー盗難が横行し、少しでも人気のあるスニーカーを学校に履いていこうものならいつの間にか消えてしまうため上履き制度が廃止になったような学校で青春を過ごしていた。

 

そんな僕が、我が愛すべき町である尼崎を写真を使うことなく文章のみで紹介していきたいと思う。

 

写真の使わないのは別に自分の文章に自信があるだとかそういうものではなく、尼崎にはあまり写真に写りたくない人達が多くいることと、単に写真を撮ることがめんどくさいというのが主な理由だ。

 

写真には、たとえ無作為であったとしても写って欲しくないものがよく写るのだ。歳を重ねた今せつに思うのは、幽霊よりも何よりも、言葉の通じない大人の方が怖いということだ。そういう人達は、自分のなかの正義に沿っていれば平気で人を殺すから。本当に怖いのだ。浮浪者に包丁を突きつけられたことがあるだろうか。僕はある。

 

さて尼崎と聞いて思い出されるのは、何においてもダウンタウンだろう。僕も自分の出身地を伝えると、まず最初に言われるのが「ああ、ダウンタウンの」である。尼崎という地名が全国区になったのは、確かにダウンタウンの功績が大きいのは間違いない。

 

そして彼らのイメージから、尼崎は柄が悪いという印象も彼らの知名度度ともに全国に広がっていった。

 

しかし、しかしだ。

 

その尼崎のイメージは、あくまでも過去の尼崎のイメージであることを理解してもらいたい。現に今の彼らはチンピラとはほど遠く、大分まるくなってきているではないか。また、そんな彼らは今では東京の方に住居を移し(菜摘がいたからかな……)、もう尼崎在住の人間ではないのである。そしてダウンタウンがまるくなったのと時を同じくして、尼崎もだんだんとまるくなってきているのだ(シンクロシニティ)。

 

阪神尼崎の駅前からは浮浪者が姿を消し、庄下川からメタンガスが出なくなって数十年がたった。杭瀬や大物の南側の工場地帯の空気もきれいだ。頑張れば深呼吸だって、できる。

 

さて、では今の尼崎をイメージを象徴する、これもまたテレビでよく見かけるタレント及び芸人といえば、なにはともあれやはりこの方、尼神インターの渚である。彼女はまあ、そうね、あれ、あの、ああ、まあその、うん。チンピラやないか。

 

なので他に今の尼崎を象徴するような人間をだそうと思うんだけれど、ほら、あのーいたよね、うん、は?あれ?他に、あれ?

 

いや、ここで諦めてはいけない。他にもまだまだ有名人はいるんだ尼崎には。

 

ほら、あの、全国を恐怖に陥れた、角……子とか?

 

あかん、これも怖い奴や。チンピラどころではない。

 

あの、他にも、あれ、あの、そう!中島らも!!!中島らもがいた。彼こそが尼崎のホコリである。作家の中島らもは、立花の生まれであり、尼崎市市制70周年記念のコピーも書いている。

 

「ぼくがすきな まちをすきな きみがすき」

 

とこれを書いたけれど、これ以上彼及び彼の言葉を拡げられるような技量が僕にはないのでここまでにしておこう。なんせこれ以上中島らもについて書いたところで、飲酒ドラックセックス舞台小説と多岐に渡ってしまい、尼崎について書くことができなくなってしまうからだ。中島らもをまとめて語るなんて、誰にだってできやしない。

 

あと、きちんと書いておくと尼崎出身のスポーツ選手も多い。かつてサッカーの日本代表として活躍した奥大介、最近であればこれも日本代表で活躍している堂安律も尼崎出身で、彼らの出身中学である小田南中学校(調べてみたら廃校になっていた)はかの有名人、角……子の息子が卒業した、あ、これもあかんやつか。あかん。有名人くくりやとなんも書かれへん。なんでや。

 

という訳で、知名度で言っても尼崎の名は全国的なものだと思うのだけれど、どうにもイメージがよくない。その理由は僕にはまったくもって分からない。まったくほんとうに全然なぜこんなにイメージが悪いのかは全然分からないのだけれど、今回この記事でどうにかして尼崎のイメージアップを為しとげたい。

 

という訳で、ここからはきちんと尼崎の魅力を語っていきたい。

 

尼崎の人口は45万人、これは簡単に言えば尼崎には45万人が暮らしているということだけれど、それでも分からない人がいるかも知れないので(わざわざ尼崎の紹介を読むような人達にマトモな人がいないはずだという極私的偏見)、さらに簡単に言うと45万人が尼崎に住んでいて、その総数はなんと45万人になるということであり、45万というのは尼崎に住む人口である。

 

尼崎の交通事情とそれに付随する不文律

 

さてまず最初にあがるであろう尼崎の魅力はその交通の便の良さである。

尼崎には、なんと3つの電車が通っているのだ。皆大好き丹波篠山なんていうのは、JR福知山線しか通ってないからね。

 

それに引き換え尼崎は、北側から順番に、阪急電車JR阪神電車という、関西を代表する路線が市を横断しているのだ。

 

さらにそれぞれに分岐があり、阪急電車塚口駅から伊丹に向かって伸びており、JRは尼崎がハブとなって東西線福知山線東海道本線を繋いでいるし、阪神線は大物駅を境にして阪神本線阪神なんば線とに分岐する(この路線表示がくせ者で、初見だと大物駅が2つある様に見えるのだけれど大物はいつも1つ)。

 

それだけ交通に便利な路線があるので、もう大阪の北南どちらで働こうとも京都で働こうとも神戸で働こうとも福知山で働こうとも何も怖くない。どこにだっていける。

 

そしてどこにだっていけるということは、どこにも行かなくても別に問題がないということでもあるので、問題がないということは動かなくてもいいということでもあり、すなわち働いていない人も多い(当社比)。これは僕の元親父を統計の基準(n1)にしているのであるが、彼はいつまでたっても働いていなかったから実質100%無職の町。である。それが尼崎だ。

 

しかしこれだけ交通の便がいいという反面、いざ住んでみるとその3路線の接続の悪さに辟易するのが現実である。

 

まず、同じ「尼崎」という駅名がついているにも関わらず、阪神尼崎とJR尼崎には大きな隔たりが存在する。その隔たりは物質的や精神的なものではなく、主に距離である。

 

阪神尼崎は市の南部に位置しており、駅の近くには大きな商店街があって今でもまあまあにぎわっている。かたやJR尼崎は、市の中心から東に寄った場所にある。駅の北側にはいつの間にかキューズモールができ、その中に百貨店やシネコンが入っているので最近の高校生はデートに困らなくていいなあ、なんて思っている。

 

ちなみに僕が高校生のころ、デートと言えば「つかしん」か「さんさんタウン」であり、それ以外にはもう武庫川や藻川、庄下川の川辺で遊ぶだとか亀を数えるだとか小田南公園で遊ぶとか小田南公園の浮浪者に包丁をもって追いかけ回されるとかそういうデートしか選択肢がなかった。あと、三和商店街の北側の風俗街とか、三和商店街の西側のかんなみ新地を見学するとか。

 

少し話が脱線したけれど、この2つの駅は距離にして2.5km離れている。

 

一見すると近く思うかもしれないがそういうひとは三宮を一旦思い出して欲しい。あそこは阪急も阪神ポートライナーも地下鉄もJRもまとまっているから素敵だ。それに引き換え、尼崎の2.5km。近くはない。これを近いと考えるのは現代人特有の距離感覚の麻痺であるので、ここできちんとその麻痺を矯正するため、資本主義の代名詞である一万円札を使って計ってみる。

 

そのため、ここからは高度な計算式がでてくるので覚悟してもらいたい。

 

まず2.5kmを㎝になおすのだけれど、そのために必要な計算は2.5×1,000(kmからm×100mからcm)という本当に高度な計算式になり、それは僕の頭で計算するのはまったくもって無理なのでなぜかといえば僕の頭の中には消しゴムがあるからだけれど、それを補うために電卓(文明の利器でありそろばんすら使えない僕にはとても有り難い代物)を駆使したところ、250000cmなのだという。

 

そして1万円札は1枚で0.1mmらしく、10枚で1mm100枚で1㎝となり、それをいくつ積み重ねると2.5kmに到達するかというと、250000cm100をかけると出るらしく、それを計算した結果25,000,000枚の一万円が必要で、その総額はどうやら250,000,000,000円になるという。

 

電卓で打っただけなので僕は本当に数字が読めないので分かりやすく漢字にというか漢数字に直すと「二千五百億円」になるというのだ。

 

これで理解してもらえただろう。阪神尼崎とJR尼崎の間には、二千五百億円分の距離が存在しているのだ。

 

これは凄い遠いよね。体感でいうと、北海道と沖縄くらいの距離がある。なんてったって、二千五百億円だから。それでもよくわからないって人もいるかもしれないから一応書いておくけれど、プライベートジェットがだいたい70億円で買えるらしく、それを数字に強い僕があえて筆算で計算してみたところ2500÷7035と余りみたいな数字がでたので両方の尼崎駅はプライベートジェット35台分だから。これは凄い距離が離れているといっても過言ではないよね。

 

ちなみに歩くと30分くらいです。

 

それだけでは尼崎の不便さは語れない。そう、尼崎には2つ尼崎と名乗る駅がある路線以外にも阪急電車が存在するのだ。

 

かつて作家の有川浩が同タイトルの小説を書いたのでその存在を知っていたり、宝塚ファンの方々には馴染みのある路線でもあるので全国的な知名度が一番あるかもしれないが、阪急電車には尼崎という駅は存在しない。尼崎市内にある阪急の駅は、西側から「武庫之荘」「塚口」「園田」となる。塚口から派生する伊丹線の「稲野」は位置的にはどう見ても尼崎なのだけれど、所在は伊丹市である(ちなみに同じ様な場所にあるJR猪名寺尼崎市)。

 

そして、有川浩阪急電車には尼崎の駅は出てこない。あれは阪急今津線といって、阪神の今津から西宮北口を経由して宝塚までを繋ぐ線路であり、もう宝塚だとか宝塚南口だとか逆瀬川だとかなんとなく高級感がある路線だし、この路線によってなんとか阪神と阪急の乗換ができるのだから感謝してもしきれない。

 

例えば何かしらの理由で阪神なんば線を使わざるを得なくなり、しかし我が家の最寄りの駅は阪急だという場合(局地的過ぎるので多分ほとんどの人は気にもしないが)、この路線があることでとても救われるのだ。逆にいうと、尼崎において、電車のみで阪急と阪神での接続を考えた場合、梅田まで出るのかこの今津線を使うかしか、選択肢はない。

 

ちなみに阪神電車はあまり小説の舞台になったりもしないのだけれど、僕の知っている唯一の阪神電車の駅が舞台となったものは車谷長吉の「赤目四十八滝心中未遂」という小説である。出屋敷が舞台であるけれど、最後には三重の方にいっちゃうからなんとなく出屋敷が舞台って胸張って言えないのが悲しいし、作者の車谷長吉は姫路の出身なのも悲しい。でも、面白い小説である。開高健の「日本三文オペラ」が好きな人は読んでみてはいかがか。いかがって、偉そうに。

 

さて、この阪急電車は尼崎の中でも特異な路線である。何が特異かというと、端的に言えば威張っているのである。これは別に阪急電車が威張っているのではなく、阪急電車に乗っている人たちが威張っているのである。

 

尼崎には京都と同じように不文律が存在していることは余り知られていない。京都では御所に近ければ近いほどエライだとか洛外は京都ではないだとかいう目に見えない掟があるのだけれど、尼崎にもそれに類似する不文律が存在するのだ。

 

ということは、もう尼崎は京都と同じようなものであるとも言え、すなわち尼崎は偉いってことになるので、これでなんとかひとつ尼崎のイメージがアップしたことだろう。東京の人間はもっと尼崎を敬ってもいいんだぜ。だぜ?

 

で、その尼崎の不文律とは、先にあげた阪急電車の威張りに通じるものなのだが、もうこれが京都人と同じくらい意味が分からない。

 

阪急電車の沿線に住んでいること、それだけが彼ら彼女らのステータスなのだ。

 

しかし、僕は声を大にして言いたいのだけれど、実際そのステータスは今の時代、尼崎内では通用しない。

 

というかそもそも阪急沿線がお上品だというのは、芦屋や夙川、西宮の北側が高級住宅街であり、その最寄りが阪急であることに付随している(個人的見解)からだ。なので尼崎のなかでそれに付随する地域があるかというと、しいて、しいて言うなら武庫之荘ぐらいがそれに当てはまるだろう。今現在阪急沿線の地価を調べてみると武庫之荘1丁目の坪単価が約132万円、塚口の駅前で約109万円、少し北に抜けたあたりで146万円、園田では坪単価が約89万円となっている。

 

よしここで、比較対象としての芦屋である。

 

芦屋の中でも高級は高級な高級の代名詞、六麓荘の坪単価を調べてみると、約68万円となっており、その高級具合が引き立つだろう。

 

ん?

 

いや園田未満じゃん、坪単価。芦屋そうでもないじゃん。ぼくらの園田未満都市じゃん。愛されるより愛したいじゃん。

 

なんて思ったんだけれど、やっぱり全域で見ないとわかんないよね、という訳で、平均坪単価で見ると、芦屋市は約114万円、西宮市が約86万円となり、それに引き換え尼崎市は約67万となっており、そうやってみるとやっぱり尼崎は低いんだよね、って言う結果に繋がる。

 

しかしさっき見ていた尼崎内の阪急沿線の単価に比べると市の平均が低い印象がどうしても拭えないので、取り急ぎ阪神沿線の地価をみてみたのだけれど、

 

阪神尼崎の坪単価が約87万円で平均以上というか西宮クラスであり、そうなると阪神だって頑張ってる、馬鹿にされるようなことがないと思われるだろうけれど、その1つ西隣の駅である出屋敷が際立ってヤバい。

 

尼崎の地価最安値、約46万円。

 

一駅しか違わないのに値段は倍ぐらい違う。次に低いのは出屋敷のさらに隣にある尼崎センタープール前でこれも同じく約46万円。で、3番目に低いのが尼崎の東隣の大物で、47万円。

 

という訳で阪神尼崎はなんとか頑張っているけれど、その周囲の駅がまるでドンキホーテ並みに地価大安売り状態であり、尼崎全体の地価をさげている状態になっているのは間違いないし、ちなみにJRはと言うと約85万円くらいでここも結構頑張ってる。まあ大半はキューズモールのおかげだろうけれど。

 

そんな風に地価を見てみると、やはり阪神沿線は見下されて当然だなあなんて感想が出てくるので、僕たちのような阪急沿線利用者からすると、阪神はやっぱりなんだかねえ、と言わざるをえない。

 

本当に、阪急があるから尼崎の品位が保たれているんですよ。ね?やっぱり阪急以外の鉄道つこてる人達は、ちょっと、ねえ?なんだかねえ?いや、別に悪いって言うてんのとちゃいますえ?ほやけど、ねえ、まあ、口には出されへんけども……。

 

 まあ話を戻すと3線の接続がそんな状態なので、尼崎内でこの3本の路線に乗ろうとすると、JR尼崎からプライベートジェット35台分飛ばして阪神尼崎にいき、そこからわざわざ西宮市にお邪魔してオシャンティな今津線に乗り換えて西宮北口に向かい、そこで阪急に乗り換えて武庫之荘なり塚口なり園田なりにいかねばならんということです。

 

これを断絶と言わず、なんといおう。

 

3本の矢、という故事があるが、尼崎の鉄道における交通事情はその故事をまるで無視している。3線が、誰も協力し合わないのだ。人口減少が叫ばれる昨今において、こんな体たらくではいけない。果たしてそんなことで、尼崎が盛り上がっていくのだろうか。

 

そう思った僕はとりあえずこれも駅の利用者数を調べてみたら阪神JRは少し増えてて、阪急は横ばいなんだと(平成29年度の尼崎市統計書から出典)いうことが分かり、別に協力する必要ないじゃん、と思い直しました。

 

まあ、そんな感じで尼崎の紹介を書いてきたのだけれど、交通に関することだけで約6,800文字を消費してしまったのであるが、ここから気分を変えて尼崎の観光についてかいていきたい。

 

尼崎に観光来る奴、

どっか頭おかしいんじゃねえの

 

先に書いておくけれど、尼崎に観光すべき場所なんていうのは、ない。

三和商店街は大きいといっても大阪の天神橋筋商店街の方が格段ににぎわっていて飲食店も多い。男の為の歓楽街、かんなみ新地も飛田や松島に比べると規模は幾分か小さい。それ以外に何があるのか考えたけれど、田能遺跡は豊中市だし大阪空港は伊丹と池田、動物園や植物園もないし家族で遊べる大きな公園があるわけでも、古からの歴史ある風情などもほとんどない。古い建築が好きならユニチカ記念館はみたほうがいいけれど、水曜日しか見れないし、フランクロイドライトの弟子、遠藤新が設計した甲子園会館は西宮の敷地だ。羨ましい。

 

しかしこれをいってしまうと尼崎のイメージアップには繋がらずこの記事の意味がなくなってしまうので、なんとか頑張って観光案内に恥ずかしくないものをピックアップしたい。

 

さてまず1つ目。

 

尼崎には大物という駅があり、その駅から徒歩3分くらいに大物公園という公園がある。その公園には森(というには小さ過ぎるが)があり、その森は上空から眺めると日本地図の形になっているのだ。しかしこれは実際に行っても確認出来ないし、Googleマップで見てみても日本地図には見えず、いびつな馬にしか感じられない。

 

さて、2つ目であるが、

 

 

尼崎の観光案内しようとしてるやつ、

頭おかしいんじゃねえの

 

という訳で、2つ目すら出すことができなくなったので、ここからは尼崎独自の食文化に重点をおいて紹介していきたい。

 

尼崎が世界に誇る商店街、三和商店街はいくつもの人気店が並び、商店街衰退のご時世に対してなんとか抗っている。

 

尼崎のグルメには、まだまだ可能性が潜んでいるのだ。

 

なので個人的に美味しい店をピックアップしたい。

 

いや、本心から紹介したいのだけれど、そもそも僕は大阪で働いているので飲むなら大阪で飲んでしまうし、三和商店街に行くのは月に1度もないのが現実だ。

 

またこういったブログなどでお店の紹介等があった場合、僕はそのブログの管理人と紹介された店の裏の繋がり(お金や暴力の有無、性的な関係)などを勘繰ってしまうので、どんないい店であったとしてもそこを気軽に紹介したくないのだ。

 

ちなみに尼崎とはまったく関係ないのだけれど、北海道のカレーに関してはこの人のブログが面白いし家でカレーを作りたくなった時の参考にもなるので、一度見てみてはいかがでしょうか(このブログで紹介するということは、このブログの管理者である男性と肉体および金銭、暴力関係があるということに他ならない)。

 

curry-map-hokkaido.blogspot.com

 

さてでは話を戻して他に尼崎のグルメで思い出すことと言えば、かつて尼崎の駅前に自転車を止めていたところ、カゴの中に一枚のチラシが入っていたことがある。そこには「尼崎の新名物!串カツ!」と大々的に書かれていたのであるが、それ以前もそれ以降も、僕は尼崎で串カツなんぞを食べたことがないし、串カツを食べるなら新世界に行く。

 

ではこれがマジの尼崎のグルメだ!と胸をはって呼べるものがないのか、と問われた時に「無い。ここには何も無いんだ」と答えるのは個人的に癪に触るので、ここでひとつとっておきグルメを紹介したい。

 

しかもそのグルメは極めて手軽であり、また今回のこの記事で尼崎で知見を得た後には、おのおのが地元に帰っても再現が可能なグルメであるので、ぜひとも今回はこの文章で尼崎の絶品グルメを堪能していただきたい。

 

では。

 

阪神尼崎駅を降りると改札があるので、右手にまがる。すると目の前に噴水があるので、その横を通って国道2号線まで出る。途中にポリボックスがあるけれど、警察官は尼崎以外の人には優しいのであまり注意しなくても大丈夫。ちなみに俺は以前、1日で4回職務質問されたことがあるが、それは俺が尼崎生まれ尼崎そだちだからだ。悪そうなやつはだいたい警官。

 

2号線についたら、西、つまり西宮方面に歩いていくと、関西では大阪以外にここでしか見ることができない一大レジャー建築である、スーパー玉出が見えてくるので、迷わずそこに入るが吉。元の社長は捕まってしまったけれど、尼崎の玉出はまだまだ健在だ。

 

入り口には老若男女が集い、部外者である貴方をつまはじきにするかもしれないが、そこでひるんではならない。「なんじゃ、ワイが浪花のジャックニコルソンじゃ!」という気持ちを胸に秘めてズンズン奥に入っていく。

 

お酒コーナーに行くとワインやビール缶酎ハイが「おにいさん、こっち、こっち」「いやいやうちの方がええ子おるで」と貴方を呼ぶだろうが、一切無視して欲しい。

 

俺たちが求めているのは、紙パックの「鬼ごろし」、それだけだ。

 

鬼ごろしを手に取ったら、つぎは総菜コーナーに向う。揚げ物、お寿司、弁当など「目に刺激 お腹に刺激 細川茂樹」といったような感銘を与える食材たちに目移りしてしまうだろうが、ここでも目指すものはただ1つだ。

 

 

俺たちが求めているのは「ゆで卵」、それだけだ。

 

レジに向かい、会計をする。200円もあればおつりがもらえる。そして出来れば、一円玉多めで勘定を済ませたほうがいい。尼崎感が出るし、レジの店員からよそ者だと認知されにくい。まちがっても一万円札なんかは使ってはいけない。尼崎では命取りだ。

 

無事に買物が出来たら少し道を戻って商店街の入り口に向かうといいだろう。りそな銀行尼崎信用金庫に挟まれた場所、それが「三和本通商店街」の入り口だ。どうだ、まるで現実世界に舞い降りたバーチャルリアリティ、ファイナル(人生の最後)ファンタジー(幻覚)みたいだろう?

 

ではそこで、少し周りを見回してほしい。何が見えるだろうか?

 

え?何も見えない?

 

もっときちんと見てください。

 

尼崎信用金庫の前に、垣根が見えないか?

 

そう、それが目的地だ。それが尼崎のセーブポイントだ。尼崎グルメを堪能したら、きっと動けなくなるはずだ。だからこそ、セーブすることが重要なのだ。その垣根に腰をかけてみろ。一息つけ。そして顔を上げるんだ。さあ何が見える?目の前に広がるのは2号線を行き来する大量の車と排気ガスだ。さらには、その先にある「平日サービスタイム カット690円」の文字だ。

 

尼崎では、690円でジェントルマンになれるのだ。いわばそこが尼崎のビック・ベン。

 

どこで食べるか、というのは満たされた食事に必須といっても過言ではない。シチュエーションが食事の善し悪しを左右するのだから。シチュエーションが整えば、あとは空腹を満たすのみだ。

 

腰を落ち着けたら、鬼ごろしにストローを指し、出来る限り長く吸いながら飲みこむ。そうすることで、極めて早く酔えるのだ。これこそが尼崎の先人賢人たちが発見し、長年に渡って受け継いできた文化なのだ。

 

喉が潤えばあとは食事だ。ゆで卵の出番だ。

 

別に殻が下に落ちても気にしなくてもいい。既に煙草の吸い殻等で足下はいっぱいなはずだ。白身、黄身、鬼ごろし、黄身、煙草、鬼ごろしと、思うままにむさぼってくれ。そ

 

れが、その三すくみのマリアージュこそが、「尼崎の味」なのだ。

 

 

ただし1つだけ注意がある。

ストロングゼロだけは飲まないでほしい。あれは尼崎の文化ではない。若者だけにゆるされた、しかも都会の疲れた若者だけが追求できる文化なのだ。

 

どうしても日本酒が苦手だ、というのであれば、かつてのアル中御用達ドリンクである、タカラ缶チューハイを手に取って欲しい。余計な甘さのないドライな飲み口を、ゆで卵とともに堪能してほしい。

 

 

まとめ 

 

さて、尼崎を足早に紹介したけれど、どうだっただろうか。自分で書いていてなんだけれど、なかなかしっかりと尼崎のことを描けた様な気がする。上っ面だけではない、本質に迫った尼崎の姿を。

 

けれどここまで書いていて痛感するのは、尼崎の面白さは名物になる場所やイベントの有無、美味しい店や歴史的建造物等ではなく、やはり人だ、ということだ。

 

 

尼崎に住む人達は、いつも楽しそうに思える。駅前で笑い、商店街で笑い、公園で酒を飲んで笑う。これほど幸せそうに人が暮らす町を、僕は知らない。きっと小さな悩みなんかを吹っ飛ばしてしまうくらいの良さが尼崎にはあるのだろう。余計なストレスに悩まされることなく、奔放に生きている。ストレスがないのは、長生きにもいい。

 

そう思い僕はあえて尼崎の自殺率と平均寿命を調べてみたのだけれど、自殺率は全国の平均より高かったし平均寿命も短かったから、皆が笑って暮らしているというのはどうやら僕の気のせいだったらしい。

 

とまあ長々と書いてきたけれど、僕は今尼崎に住んでいないので、実のところあんまり深い関係はない。

 

けれど、青春を過ごした町であることは間違いないので、どうぞこれからも尼崎を宜しくお願いします。マジでいい町だから。

 

尼崎にどんな人がいるのか知りたかったら、適当な立ち飲み屋にでも入ってみればいいだろう。いつの間にか自分自身が尼崎の人間になったような気になってくるはずだ。まるで千と千尋の神隠しに出てくるお父さんとお母さんが豚になったように。

 

アーケードのむこうは、不思議の町でしたつってね。

 

ちなみに僕がよくやる尼崎の楽しみ方は、ほとんど営業を辞めてしまったシャッター商店街を見て回ることです。たまに湯婆婆みたいなババアに出くわします。

 

 

以上、お疲れ様でした。