僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

シャワー効果とは、例えば百貨店などで最上階に集客力のあるイベントスペースを用意し、そこにきた客が下層階に足を運ぶようにしむける手法です。

今年買ってよかったもの、という記事を皆さんが書いていた。

 

僕も普段から敏感にアンテナをはり、流行に乗りたい、ブームに包まれていたい、宮沢和史に抱かれたいと思っている人間の1人ではあるが、なぜかいつも流行キャッチアンテナは作動せず、かわりに下半身のアンテナのみが敏感に反応し、その対処をしている間に時は過ぎ、無情にもその流行は下火となり今はもう別の事柄が世間を賑わせている(ベッドの上での僕は極めて早い人間であるが、普段の僕はいつも流行や話題に遅れてしまう)ことが多い。

 

さらにそのような流れをへたのち、遅れてしまったのはしかたがないが、かといってこのまま気持ちを燻らせておくのも精神衛生上よろしくなく、もしずっとこのモヤモヤを抱えていると心のモヤモヤは重力によって下に下に向かい金玉にたどり着いたのち金玉のモヤモヤに変質しその後結果的に暴発暴発続いて爆発、いい歳こいて夢精して泣きながらパンツを洗うことになってしまう。

 

ちなみに一つの豆知識として、こういった身体の現象をシャワー効果という(いわない)。

 

なので流行キャッチのためにも自身の健康のためにもやりたい事をきちんちんとして心の澱みおよび精子を溜めないようにしようと決意した。

 

そのため一度おちんちんときちんちんと対話したのちんちん、今年買ってよかったものを思い返そうと携帯にいれているお小遣い帳アプリを開いたのだけれど、そう言えば現実世界の僕はお小遣い帳アプリを使うような人間、すなわちお小遣い制度の下僕であるので、実際世間の人達に自慢もしくは情報提供できるような大きな買物をしていない、と気がついた。

 

ちなみに現実世界の僕はしがないサラリーマンだけれど、かたや理想世界の僕はといえば「振り向けばいつもそこに『でんでん』がいる世界に住んでいる僕」というものである。

 

家でパソコン作業を中断し、「あー、お腹すいたな」と台所を振り向いてみると、でんでんがミカンを持ってこちらに向かって微笑んでいる世界。

 

コンビニに向かっている途中なんだか視線を感じるな、と振り返ってみると、僕が1人で買物にいくのを心配したでんでんが電柱の後ろから僕を見ていて、目線があってしまいお互いに照れ笑いしながら一緒にコンビニに向かう世界。

 

寒いなー、そろそろ電気毛布を出そうかな、それともダニ対策の為に布団乾燥機を出してその残った温もりで眠りにつこうかなと悩みながら布団をめくると、気恥ずかしそうに魚のぬいぐるみを抱きながら僕をみつめてくる、でんでん。

 

「あー、部屋におらんと思ったら、先に布団入っとたんか」

 

「そうや。寒さが骨身にしみるからな」

 

「そのぬいぐるみ、気に入ってくれてよかったわ」

 

「よう熱帯魚のぬいぐるみなんか見つけたな。嬉しいわ」

 

「ほら、もうちょっとそっち寄ってくれや、入られへん」

 

「もっと大きい布団、かわなあかんな」

 

「……今のままでええ」

 

「えっ?どういうことや」

 

「そんなこと言わすな、恥ずかしいから。ほら寝るぞ」

 

「……うん」

 

「……なあ、そんなにも抱きしめて寝てしもたら、冷たい熱帯魚やなくて、あったかい熱帯魚になってまうぞ」

 

「……それでもええ。なんぞ抱きしめるものがあるっていうんが、落ち着くんや」

 

「……俺の事、抱きしめてもええねんぞ」

 

「……ほんまに、ええんか?」

 

そうやってぬいぐるみを強く抱きしめながら、かわりに僕を抱きしめようか悩みつつそのまま眠りについてしまうような、可愛いでんでんがいる世界。

 

そんな理想世界に住んでいるのだ。

 

しかしあくまでも理想は理想。その世界に埋没することなんていうのは夢物語であり、やはり僕はこの現実世界で生きていかねばならぬし、またこの現実において僕の財布の中に夏目漱石がいてもでんでんはいない。

 

何度振り向いてみても、でんでんはいないのだ。

 

そんな悲しみに暮れながら、僕がその悲哀を抱えながら、でもなんとかこの辛い現実世界のなかで、今年一年を生き抜く事ができた。

 

そんな僕の人生を支えてくれたもの、すなわち今年買ってよかったものをお小遣い帳アプリから抜粋して紹介したいと思ったのだけれど、どれだけアプリを見返してみても、缶コーヒーと煙草、少年ジャンプ、古本という文字が繰り返されるのみであった。

 

となると僕がここで今年買って良かったものを羅列し、その良さを説いたとしても

 

・缶コーヒー

最近は色んなコンビニが挽きたてのコーヒーを入れてくれるので別に買う必要はない。

僕はあのレジでのやり取りが精神的に苦手なので缶コーヒーを買うのだ。

 

・煙草

また値段が上がって僕の個人的家計を圧迫しているので、吸いたい人以外は別に買う必要はない。

僕は煙草を辞める事が出来ないので煙草を買うのだ。

 

・少年ジャンプ

会社には行きたくないが行かないという選択肢を選ぶと必然的に餓死に近づくので、週始めはジャンプを買いにいくついでに会社に行く、その後は惰性で通勤、という名目を保つ為に買っているので仕事にやりがいを持っている人達は別に買わなくていい。

僕は生きていたいからジャンプを買うのだ。

 

・古本

会社に行くと必然的に営業で外に出なければならず、あまり合いたくない人達に薄ら笑いを浮かべる苦痛から逃れる為に、古本を買う為に外に出たらあまり仲良くない人とたまたまあってしまったという名目を保つ為に買っているので、営業が天職だという人達は別に買わなくていい。

僕は高額の見積を作る度に白髪が増えてしまうから古本を買うのだ。

 

みたいなものになってしまう。

 

 果たしてコレで誰が喜ぶのだ?

 

しかしまあ、こんな感じにしかならないので、どれだけ頑張って流行に追いついていたとしても「今年買ってよかったもの」というお題にはのれない事が分かったので、これはこれでスッキリした気もする。

 

だけど。

 

 

だけどなんだか。

 

 

頭では理解していても。

 

 

 

心が、叫びたがっているんだ。

 

 

 

 

心が〜!

 

叫び〜〜!

 

たがっているんだ〜〜〜!!!

 

 

という訳でこの文章を書いているのが市村正親であればこのままミュージカルがはじまるような流れであるが、僕自身は正親ではなく結婚相手は篠原涼子でもないし愛しさと切なさと心強さもあまり感じない鈍感太郎だし(下半身は敏感)あまりミュージカルに詳しくないのでミュージカルには出来ないし、別にミュージカルに仕立てる理由もない。

 

しかしまたこの叫びを心に押しとどめてしまうと、またモヤモヤが下半身に移動し、まるで思春期の男子高校生のようにかなしい事件(おもに夢精)が起きてしまうので、なんとか発散しなければならない。

 

そういえば、

 

「こういった思春期のモヤモヤを解消する為にはスポーツがいいんですよ」

「なので運動部に入って発散しましょうね」

「ほら、走れば疲れるからそういったモヤモヤも解消するでしょう」

 

と、したり顔で教育に詳しいと自認するおば様方は言うが、そんなもんスポーツよりオナニーがいいに決まってるだろと僕は思うし、そもそもムラムラをモヤモヤと言い換えるな。同一視するな。それが同一視されてしまうのなら高校生がスニーカーを買う場所がムラサキスポーツやなくてモヤサキスポーツになってまうし、キムタクだってキモヤタクヤやぞ。ジャニーズのファンは怖いんやぞ、と思う。

 

ほんで男子高校生の性欲舐めんな。いや、舐めんなと書いたけれど、そらね、いつでも僕はいろんなところ舐めて欲しいけれど、まあそういう事じゃなくてね、舐めんなと。

 

言っておくけれど、もう僕ぐらいになるとテレビにコブクロが映った瞬間に、

 

コブクロ → 子の為の袋 → 玉袋 → 金玉 → オナニー

 

みたいに脳内変換されてそのままツイッター開いて裏垢で検索かけだすからなって。

 

小渕と黒田が並んで揺れながら歌ってるのって、お風呂のなかで金玉がゆらゆらしてるのに見えてくるよねって。

 

僕の金玉だって左の方が大きくて右の方が小さいし、お湯でふやけて揺れてるからねって。

 

そして、その上にあるちんこはいつまでたっても蕾のまま。

 

ね、名もない花には名前をつけましょうと彼らは歌うけれど、僕の蕾には名前はないし、咲いてもすぐ散る。ヘタしたら咲く前に散る。

 

誰がこの傷ついた僕に「YELL〜エール〜」を送ってださい。

 

 

 

僕の事は別にいい、ここまでにしておこう。

 

話をもどして、じゃあお前は何か、お前の性欲もスポーツで発散出来るんだなと。な?高校生の性欲がスポーツで発散出来て、妙齢の女性の性欲はスポーツで発散出来ない、なんてダブルスタンダードは通用しない。

 

なので、まずあなた方のすべき事は、性欲猿(サイヤ人)の高校生に向かってオナニーを諦めさせてスポーツを勧めることではなく、ツイッターの裏垢でランチ合コンの自慢しているセレブ風奥様に凸って「高級ランチのパスタとスイーツを選ぶより東急ハンズのサウナ用スーツを選びなさい。デカマラフィックスマンコを捜すより寝ながらシックスパックを選びなさい。なんてたって、子宮のムラムラはスポーツで解決できるんです」と伝えることだろう。

 

間違っても、息子の部屋に入ってエロ本を探しだし、机の上に並べるような事はすべきではないのだ。

 

その息子ですらあなたの性行為の結果としてそこに存在する事を忘れてはならない。性から目をそらすべきではなく、性を受け入れ、そして発散の邪魔をしないように心がければ、彼ら彼女らは自ずと真っ当な方向に進んでいくのだ。ここを間違ってはいけない。ここを間違ってしまうと、例えば、本当に例えばですけれども、マジで前例があるとかそういうのではなく、あくまで例えの1つとして、コブクロを見る度にオナニーをしてしまうような大人になってしまうかもしれません。なので子供の性に関しては穏やかに見守ってあげて欲しい。

 

さて、そんな事を書いている僕ですが、そう言えば先日、妻からトレーナーをプレゼントしてもらったことを思い出した。

 

落ち着いた緑色のトレーナーでとても着心地が良く、シンプルで使い勝手もいいので普段からふんだんに愛用している。ああ、こういうものを自分で買っていれば、買ってよかったものなどで紹介でいるのだなと思った次第だ。

 

ところが先日、用事があって休日に実家に向かった際にもそのトレーナーを着ていたのであるが、たまたま実家に顔を出していた姉が久しぶりにあった僕に向かって、こう言ったのだ。

 

「あんた、いつも頭ぼさぼさで髭も剃らんから、そんな色のトレーナー着てたら浮浪者みたいに見えるで」

 

確かに僕は休日には頭もセットせず寝癖のままで移動するし、髭を剃るのが面倒なので出来るだけ金曜日に人と会う予定をいれずに木曜の夜から髭を剃らず日曜の夜まで髭を伸ばしっぱなしにしているので無精髭も凄い事になっているのだけれど、その姉のいい分だと妻からもらったトレーナーをけなされた気持ちになったので、こう言い返した。

 

「これは奥さんからもらったもので、とても清潔であるし色も気に入っている。トレーナーの悪口だけはやめてもらいたい」

 

そう言うと、姉はすかざずこう言い放った。

 

「あんな、どんな服を着ようが内面が行動に出て、それが表にでんねん。だからいつも薄汚いアンタは内面がもう浮浪者やねん」

 

内面が浮浪者。

 

家もある。仕事もある。食べものにも困らない。でも、そんな僕の内面は、浮浪者であったのか。新たな気づきに感銘を受け、何も言い返えせなかった僕に姉はこう続けていった。

 

「でもほんまオカンとも話取ったけど、あんたの奥さんには感謝しかないわ。大事にすんねやで。アンタを拾ってくれてんから」

 

浮浪者を拾った妻。その浮浪者に服を与える妻。その浮浪者の性癖を暴いた母。その浮浪者に浮浪者と名付けた姉。そして、その浮浪者である僕。

 

実家からの帰り道、なんだか悲しみの海を泳いでいるように感じた浮浪者は、理想世界の彼に話しかけた。

 

「ねえ、でんでん。僕はほんまに浮浪者なんかな」

 

でも、でんでんはいつものように言葉を返してくれなかった。

 

いつもミカンを差し伸べてくれるはずの手が、僕には届かなかった。いつもなら見守ってくれているはずの彼が、いつまでたっても出てこなかった。あのくしゃくしゃの笑顔が、僕には見えなかった。その沈黙が、怖かった。

 

僕は駅に向かいながら、いつまでたっても後ろを振り返る事が出来なかった。街灯が照らし出す道を、弧独と肩を並べながら歩いた。

 

駅につき、改札を通り抜けたとき、ふと気がついた。

そうだ、この悲しみこそが現実世界なのだ、と。

 

僕は電車を待つホームで、布団の中で熱帯魚を抱きしめていたでんでんを思い浮かべながら「あなたのそのやさしさが、怖かったの」と呟いた。