僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

たとえ間接的であろうが、僕に好きと言われた相手に申し訳なさを感じてしまう。

かつて僕は昔働いていた同じバイト先の女性に半泣きで、

 

 「なんでそんな事をいうんですか!!!」

 

 と言われ、彼女の自尊心及び感情を深く傷付けてしまったことがある。

 

本当に深く反省している。有明海の干潟くらいに深く反省しているし、そこに住んでいるムツゴロウも一緒に反省してくれている。なのでもう二度と女性に近寄らないと心に決めたのであるが、しかし、僕がその時に言った「そんな事」とは、

 

「そういえば、銀杏ボーイズって知ってる?最近よく聴いているねん」

 

というものだけなのだ。

 

信じられるだろうか。いや、別に信じてもらおうが信じてもらえなかろうがどうでもいいんだけれど、僕が何の気なしに、というか、バイトのアイドルタイムに多発する無言が生み出す気まずい空気感を打破するために、一般的な会話のきっかけのひとつのものとして最近好きなバンドの名前をあげただけのそのひと言に、彼女はいたく傷ついたのだ。

 

そして「なんでそんなこと言うんですか」のあとに続いた言葉は「私が好きなバンド、けがさないでください」だったこともここに書いておき、過去の悲しい記憶の供養としたい。 

 

普通に暮らしている状態で、よごすな、とは言われることはあっても、けがすな、と言われる事は稀ではないだろうか。

 

けがれというのは、今ウィキペディアで見てみたけれど、獣姦とか近親相姦とか病気や死が対象となるような言語ですぞ?好きなバンド名を伝えるというだけの行為がけがれに属するようになるとは、一体前世でどんな人生を送ったのか、僕は。

 

今世でそんなことが起ころうとは、さすがの細木数子でも予知できないだろう。

 

そして彼女が傷ついたのと同時に、僕は自分の好きなバンドの名前を出しただけで彼女が傷つくという事実に対して深く傷ついてしまった。

 

なんという負の連鎖であろう。

 

ただでさえ売れなくなって困窮していたアニマル梯団のおさるとコアラが細木和子に相談した後モンキッキーとハッピハッピーに改名したけれど全然売れなかったことを彷彿とさせる出来事ではないか。

 

しかしそんな悲しい過去を持つ僕であるが、奇跡的といおうかなんと言おうか、結婚できているという事実もこの世には存在している。

 

こうなるともう奇跡繋がりで僕はヘレン・ケラーと同等の扱いを受けてもいいとは思うのだけれど、しかし世間はなんとも世知辛く、またこのようなことを書くと「お前のような人間とヘレン・ケラーを同一視するな」「ヘレン・ケラーがけがれるのでやめてください」「サリバン先生」「W・A・T・E・R」などという罵詈雑言が浴びせられることは目に見えているのでこのSNS社会はマジ暴論。

 

でもまあバイト先の人に好きなバンドを伝えただけでも拒否られたような男と結婚してくれた妻には感謝しかないので、今年のクリスマスはもう盛大に祝おうと、これ以上ないくらいに祝おうと考えたのである。

 

だが僕はいわゆるブルジョワ階級に所属せず、産まれながらの労働者階級たる身であり、日常を小銭稼ぎに捧げているので大金が稼げず、出来る事と言えばオナニーと料理だけしかないので渾身の技術と経験とお小遣いをもってして妻をおもてなししたいと思う所存である。

 

その結果として、クリスマスにクリトリスをゲットできれば万々歳である。

 

そういえばよく駄洒落的な物言いで、メリークリスマスをもじってメリークリトリス、メリークリス松村やメリークリストファーウォーケンなどが聞かれるが、僕は断固としてメリークリスペプラーをプッシュしていきたい。

 

なぜならば、クリスペプラーに抱かれたい気がしているからだ。「君のTOKIOがHOTになってるよハンドレット」ってマイク越しにささやかれたいからだ。ペプラーのハンドでレットしたいからだ。というか、ラジオを聴いている間は抱かれていると言っても過言ではないかもしれない。というか、レットするってなんだ。

 

ペプラーは君島ゆかりと結婚したけど、ペプラー61歳でゆかりが38歳、その差が23歳だけど、でもひと言だけいわしてもらうが僕の方が若いから。僕は今年で35歳(口臭過多)だから。年齢だけなら負けてないから。

 

ペプラーからのお便り、待ってます。

 

さて、そんなこんなで僕が妻に提供できる技術と経験となると、日々精進している料理しかないのであるが、ではこのブログにて度々書いているソーセージはいかがかなと思ったのもつかの間、先月作ったばかりでもあるしまたいつもと同じ食事になってしまうのも芸がないと思い返し、ここはもう本当に頑張ってフランス料理のフルコースでもつくっちゃう?みたいな感じで、個人的に決着がついた。

 

そんな感じで3連休の殆どを料理の買い出し、下準備、調理にあてた結果、自分でも驚くほどにきちんとしたものが出来たので、自慢がてらメニューを書いておきたい。これで僕もモテ街道一直線、そのままベッドに一直線、出会って4秒で合体となるのも夢ではない。

 

まず前菜として、マグロのセビーチェ、フォアグラに梨のソース、ボイルした海老とカリフラワーにわさび卵黄ソースをかけたものを出し、続いてキノコのポタージュ、さらに温かい前菜として二色の茹でアスパラガスに半熟卵をのせてトビコのブールブランソースをかけたものを提供し、メインの魚はヒラマサのバターソテーで肉は鴨肉のローストにリンゴとフェンネルのサラダを添えて、また料理に合わせたワインはドイツの甘口白ワインのバイケン(肉用の赤はテーブルワインですましてもらった)を用意し、もうこれ以上はどれだけ搾り取られても精子は少し出るかもしれないけれど財布と肛門からはもう何も出ないですよというものであった。

 

元来料理好きなので普段は使わない食材を調理するのが実に楽しく、スライスしたカリフラワーのおもしろい食感に感動したり鴨はフライパンに付きっきりでアロゼをしたりしていると、楽しさのあまり「あれ?もしかしてこれ、俺の方がプレゼントもらってない?」などと考えたりもしたのでもうお互いに大満足の3連休であった。ただし材料費は自分のお小遣いからなので壮大な勘違いである事は間違いない。

 

メリークリスペプラー。

 

少し話は変わるが、ここからは好き嫌いの尺度について考えていきたい。何を突然、と思われるかも知れないが、あれだけ用意をしたのにクリトリスをゲットできなかったのだから、このくらい脱線しても別に許されると思ったんだ。な?いいじゃないか、もう少し付き合えよ。お願いします。付き合ってください。

 

さて、これだけお願いしたのだから、どれだけ下品なことを書こうが読んでもらえると思うので、始めさせてもらおう。

 

その好き嫌いの尺度の中でも特に考えたいものがあり、それはおしっこを飲ませて欲しいという欲望を持つ人間と、おしっこを飲ませたいという欲望を持つ人間のどちらが好まれるか、というものだ。

 

両方嫌われるなんて意見はいらない。そんなことは誰かに聞く前から存分に承知しているし、そもそも経験談として自分が一番よく知っている。生まれてこのかた、嫌われながら生きている。

 

ただ勘違いして欲しくないので、別にこれが原因でクリスマスのクリトリスをゲット出来なかったわけではなく、ただ互いに疲れていたことが原因だったとだけ言わせて欲しい。

 

本当に勘違いしないで頂きたいし、なぜならば僕が妻におしっこを飲ませてくれないかと頼むのは年に1度だけ、僕の誕生日だけであるし、それも今まで1度も達成されたことはないので全てにおいて関係ないはずだし、結婚という人生の一大決心を互いにしたのだからおしっこくらいは飲ませてくれてもいいのではないかとも思うし、親からは人の嫌がる事はしてはいけませんと昔から口をすっぱく言われていたけれど僕はおしっこを飲ませてと頼むのも飲んでと頼まれるのも嫌ではないしどちらかといえば好きな方であるし求めてもいるから親の教えにも背いていません。

 

さて、僕個人的な話になるのだけれど、僕は飲みたいという欲求はあるが飲ませたいという欲求はない。

 

これは僕の気質がM寄りのMだということが起因となっているのだけれど、ではSタイプの人であれば、飲んで欲しい、と思うのだろうかという疑問が湧き出る。そう、まるで尿道から溢れる出るおしっこのようにね。

 

しかしここでそういったことを考えるとこれは考察ではなく討論が必要となるので除外しなければならない。

 

また好きか嫌いかで判断するというのはいわば感情でもって判断することになり、感情論での議論は結論を出すのにはあまりむいていないのでそもそもこの話自体無駄というか意味がないというか必要ないとかもしれないが、しかしやはりこれをはっきりさせないとスッキリと新年を迎えられないのだ。そう、まるで排尿をしたあとなのに残尿感に悩まされている感じがして、スッキリとしないのだ。

 

これはもしかしたら、もっと一般的な内容であれば判断がつくかもしれない。

 

なのでおしっこを飲ませる飲ませないではなく、もっと一般的なことがらに例えてみた場合、どうなるだろう。まずおしっこを料理に変換してみる。

 

たとえば料理を食べたいと思う人間と、料理を食べて欲しいと思う人間。

 

これは前者が客であり、後者はコックである。ちなみにこのコックは料理をする人のことで、海外におけるちんぽのスラングではないことを理解していてほしい。そう、おしっこだけにね。

 

このように置き換えると、飲食店内において大概の人は客であり、料理人は少数であるので、変換を戻すとおしっこを飲みたい人間が多数で飲ませたい人間が少数派であるとなり、したがって僕のスタンスは多数派でありそうなるともうおしっこ飲みたい派がマジョリティであるがゆえに覇権を握ることは火を見るより明らかでありそれだけ広がっているのであれば世の中のほとんどの人はおしっこを飲みたいという欲望を抱えているとも言える。

 

しかしながら、ではおしっこを飲んだことがある人がどれだけいるのかといえばすぐに思い出せるのはさくらももこ飲尿健康法をしていたことしか思い出せず、またこれは自らのものを飲むというものであるからして、それをまた料理に例えると自炊派ということになり飲食店におけるスタンスとは少し趣が異なるので置いておこう。

 

だがマジョリティが飲みたい派で締められているからといって、 ではそのマジョリティが好まれているかどうかは別問題である。それは「売れているからといって、それが美味しいからだとは限らない。でないと世界で一番美味しいラーメンはカップラーメンになる」みたいな話で、大多数がおしっこを飲む側に所属しているとはいえ、これは誰も彼もがおしっこを飲みたがっているというのではなく、その殆どの人達は美味しいおしっこを飲みたいと思っているから飲食店にいくのであり、ではそこで最重要事項となるのは美味しいおしっことはいったいなんなのだ、という疑問の解消である。

 

そしてこの答えはまた料理によく使われる言葉からの引用になるのだけれど、

 

「愛情が一番の調味料」

 

であるが故に、この世の中で一番美味しいおしっことは、大好きな人のおしっこということになり、こうなるとはやり結婚した僕にとっての一番好ましいものは妻のものであるとなり、せっかくクリスマスなので僕はサンタさんに「この世で一番美味しいもの」をお願いしようかなあ、なんて考えています。

 

みたいなことを漠然と思念していましたところ、妻からはクリスマスプレゼントに僕が欲しかった結構高い料理の本をもらったばかりではなく、手作りでケーキも作ってもらえました。

 

こんな状態では「あの、折角のクリスマスなんでできればでいいんですが、大好きなあなたのおしっこを飲ませてくれませんか」なんていうのは、口が裂けても言えません。ここで空気を読まずさようなお願いをしてしまうと、さらにクリトリスが遠くへ行ってしまいかねないので。

 

よしんばそれを言ったしても「なんで?」としか返しようがないだろうし、こちらとしても好きだからとしか答えようがなく、ましてやそう答えられたとしても結局意味が分からず「?」としか浮かばないだろう。そう、はてなブログだけにね。

 

こんなことが日常的にあるのだから、本当に僕から好きと言われてしまうことに申し訳なさを感じてしまう。けれどまあ、僕自身は幸せなので別にどうでもいいのだけれど。