僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

ブログに☆をつけるのを、躊躇してしまう。

「ブログを始めてみました!」みたいなタイトルを見かけると、ウキウキとした気持ちを抱えて覗きにいってしまう。

 

そのような初々しいブログを見ているとそのピュアさやこれからの展望野望が垣間見えて何とも微笑ましいと感じるし、色々なブログが増えると閲覧する楽しみも増えるので頑張ってほしいな、これからも継続して文章を書いて欲しいな、と思う。

 

しかし、ことはてなブログにおいては、そんな気持ちを持ったとしてもどうにも気軽に☆マークをつけるのに躊躇ってしまう自分がいる。

 

素直につければいいじゃないか、あなたは応援できて嬉しい、相手は反応があって嬉しいのウィンウィンなのだからそんな些細なことに気を使うな、☆と性欲は無限なのだから、と思われるかもしれないが少しだけ僕の意見を聞いて欲しい。

 

そもそも僕がそんな事を考えてしまうのは、この自分のブログの品のなさが原因になっている。

 

例えば僕には僕のブログに☆をつけてくれた方々のブログを見に行くという習性がある。

 

褒められる事が極めて少ない人生を送っていたからか、このような猥雑な文章に☆をつけてくれるなんてなんとも嬉しいなあ、まるで菩薩の様な方々だなあ、本当にありがたいなあ、お返しにというかそんな厚かましく押し付けがましい感情などではなく、ただ単純にもうその博愛のお気持ちに対してお星様をつけたいなあ、という感謝の気持ちに包まれる。

 

なのでここまでくると単なる「☆をつけたい」ではなく、「あなた様がまさにキラキラと光り輝く☆そのもので、その☆が浮かんでいるのは遥か夜空の向こうであり、あれから僕たちは何かを信じてこれたのかなあ」などと考えるのだけれど、そうなると「でもね、そんな途方もない距離にいたはずの僕と貴方を繋いだのは、実はこの☆なんですよね」「☆が繋ぐ関係なんてまるで織り姫と彦星みたいでロマンチックですよね」「折角そのような関係になれたのだから、ぜひあなた様の陰部を舐めさせて欲しいんですよね」なんて事に思いを馳せるタイプの人間なのだけれど、ここまでくると感謝でもなんでもなく、もはやただの嫌がらせというかすでに犯罪の領域。

 

そしてまたブログ初心者の方に僕がまかり間違って☆をつけてしまった場合にも同じようなことが起こりうるかもしれず、彼ら彼女らは僕のつけた☆を頼りにこのブログに辿り着いてしまうことも考えられる。

 

が、そうなるとさらに恐ろしい出来事がおこり、その出来事とは「あ、初めて☆がついた。なんだか嬉しい。けど、こんな始めたばかりのブログに☆をつけてくれるなんてどんな人なんだろう?ステキな文章を書いている人なのかなあ、ほのぼの日記系?それともがっつりビジネス系?あ、もしかしてウキウキワクワク旅行記かな?それとも写真が綺麗なデジカメ特化型?もしくはお腹がすいちゃうグルメブログ?まったくもってどんな記事を書いているのか気になるなあ?ドキドキするなあ、よし、勇気を振り絞ってこの人のブログ見に行ってみよう!」というポジティブな期待感、つまりは好奇心からの勇気ある行動を喚起してしまうことであり、最悪にもそのような好奇心を示してしまったがゆえに、

 

「ペニスの記事」

「陰毛の記事」

「オナニーの記事」

 

という、世にもおぞましい記事が並んでいるのを見るハメになる。

 

そうなると結果は明白で、「うわ、このはてなブログっちゅうものにはヤバい奴しかおらんのとちゃうか」と思われてしまい、その結果として僕のつけた☆のせいで、せっかくブログを始めた方々が始めたその日にブログを辞めることになってしまうことも十分に考えられるのだ。

 

きもいブログ主にマークされたので、2記事目ですが、これを最後の投稿にしたいと思います。

 

 

『この☆が きもいブログに繋がったから 始めたその日が 辞めた記念日』

 

☆+3

 

 

 

そのような懸念があるので、僕は始めてすぐのブログには☆はつけないし、それ以外ではなんとなくそういうのを許してくれそうな人にのみ☆をつけ、しかしそれも新しい記事に☆をつけるのは出来るだけ避け、例えばいくつかの記事が更新されていたり僕以外の人の☆やコメントがある記事に、隠れて☆をつけたりするという繊細さを持っている。

 

けれどそのように気を使っていても、そのブログを訪れた別の人がまかりまちがって僕の隠れ☆によってこのブログにたどりつく事も無きにしもあらずゼロでもあらずであり、その結果として、

 

「あの人のブログから突然変なブログに飛んでしまった。最悪。ブログ主殺す」

 

みたいな凄惨な事件が起きてしまう懸念もある。

 

なので最近どうにも☆をつける事自体に抵抗があるのだけれど、しかしだからといって☆をつけないとなると、今度は自分自身の気持ちを押し殺してしまうことにもなってしまう。

 

そうなると押し殺された僕の気持ちはすなわち抑圧されることとなり、またその状態はずっと継続されるので抑圧された気持ちがさらに抑圧されてしまい、これは抑圧のバイキルト状態であり、またこういったものはロミオとジュリエットに代表されるように抑圧されればされるほどに燃え上がりさらに燃え上がってまた燃え上がることにつながる。

 

そうなると今までは我慢できていたことが我慢できなくなってしまうことは確実で、その我慢につぐ我慢のせいで抑圧された抑圧がさらなる抑圧へと至り、抑圧の感情がまた燃え上がり我慢の末に激情となり、しまいその激情はいつのまにか激烈となり、高ぶった激烈は紆余曲折をへて1人が脱退してしまうことにもなってしまい燃え殻がくすぶり、そのくすぶりにくすぶった感情は未だ熱を持ち続け、それをどのように鎮めればいいのか分からなくなり、突然女性器の名称を延々と書き続けたくなったりしてしまうだろう。

 

しかしそれを実際にしてしまうとまた変な記事が増えてしまい、

 

「ペニスの記事」

「オナニーの記事」

「陰毛の記事」

 

に加えて

 

「女性器の記事」

 

が並んでしまいシモネタの四天王が登場、そうなるともうこれは殺人予告がでるだけでは止まらずに、僕に対して殺人教唆まで問われてしまう可能性がでてくるかもしれないのである。

 

しかるに僕も、自分の人生を棒に振ってまで下品なブログを書きたいかと問われると、自分の棒を振るのは毎日の事ではあるけれど人生は棒に振りたくないという保身の精神に脅かされ、ましてやこのブログはそもそもソーセージ自作普及のためのブログであるからして、今後は僕の棒を振るのではなく本物のソーセージを振るまうことのほうが目標的にも安全的にも正しい事がわかるのであり、これはそろそろ真っ当なソーセージブログに戻ろうかとも考えてしまう。

 

けれど一旦冷静になってみると一つの疑問が産声をあげ、その詳細はといえば「なぜ僕が下品なブログを書いただけで殺人が起こってしまうのか」という疑問であるのだが、その疑問は生みの親である僕にすらまったく状況が理解出来ないっていうのがその疑問の疑問。

 

これは自分で書いておきながら本当に全然理解出来ないのだけれど、しかし可能性だけで、本当に可能性だけで考えるのであれば、例えば又吉イエス都知事に当選していた未来というのも可能性としてはあったはずであり、また横山ノック大阪府知事になっていた可能性もゼロではない。

 

可能性のみを基軸にして考えてしまうと本当にこの世の中は何が起こるかわからなくもあり、しかるに我が日本国においては『顔を蹴られた地球が急に怒って火山を爆発させた』という、荒唐無稽にも思われるが事実を元にした言い伝えもあったりするのでマジで胸がバチバチするんだけれど、ここはもういい加減シモネタを諦めて、いつの間にかシモネタに繋がってしまうソーセージの普及すらも諦めて、これからは猫(可愛い)や犬(可愛い)や爬虫類(可愛い)のブログに変えてもいいんじゃないかとすら思えてくる。

 

そのような方向転換を考えたのは、やはり人が人を殺したりするのは良くないし、その手伝いというか幇助というかそれに類することも良くないし、最近はもっぱら小説でもミステリーとかよく読むから警察の怖さが身にしみており、取り調べとか受ける事になっても嘘つけないなって思うし普段から警察の方との交流(主に職質、というか全て職質)もあることだし可愛いものに囲まれて真っ当に暮らそうかと思ったから。

 

でもね、ここで別の視点から見てみると、僕が下品なことを書き続けたとしても実際のところ「殺人が起こらない未来がくる可能性」なんていうものあるのではないだろうかってことにも気がついた。

 

では一体どうしたもんかと考えているのだけれど、どれだけ考えてみてもやはりスッキリせず、これだけスッキリしないのは脳みそのシナプスの問題などではなく、むしろ金玉に何かしらのわだかまりがあるからではないか、なぜか知らんが下半身が臨戦態勢の半起ちだからではないか、なんて疑問が思い浮かび「大きな問題は、それに付随する小さな一つの答えから解けることがある」なんて事も言うので(ソースは?)、ではさっそく小さな答えを求めに繰り出そうつって右手とともに長大な旅に出た(所要時間およそ3分)。

 

とはいえ早速もうこんな事を書いてしまっている時点で答えなんていうのは出ているも同然で、やはり僕にはちんぽだとか陰毛だとか金玉が必要なんだなって思って。僕と君たちのエゴとエゴのシーソーゲームだけが僕の支えなんだなって思って。金玉で喜ぶ僕たちは永遠のMr.チルドレンなんだなって思って。

 

またここで少し脱線するのだけれど、今、この現代というファイナルファイトさながらの暴力の時代において、何気なく生きているだけで危ない目に遭う事象が多々あるけれどその中でも意外と出会う頻度が多いものに歩きスマホというものがある。

 

これは説明不要であることを知りながらあえて説明するのはマジで歩きスマホを辞めて欲しいからであるが、すなわち歩きながらスマホをしていると、前からくる人とぶつかるので危険ですよ、というものなのだけれど僕はこれを心底憎んでいるから説明したのである。

 

が、僕がこの歩きスマホを憎む理由というのが「ぶつかられるのが嫌」などという気軽なものではなく「きちんと言い返す事が出来ないから嫌」というものである。

 

それがそもそもの発端でありもうついでなのでそれも説明させてもらうが文章の羅列だけだとどうにも難しいので、もし僕が歩きスマホをしていた立場であり、それが切っ掛けで人とぶつかってしまったときに置き換えて説明したい。

 

「おっす、おれは歩きスマホ人間。

今人気のツイッターをやっているんだ。

これは本当におもしろいから皆もするといいぜ。

でもこのツイッターっていうのはタイムラインていうのがあってそれは延々と流れ続けるから目が離せねえんだ。

だからおれは歩きながらツイッターをするんだぜ。

あ、今日もあの人妻が下着姿晒してるぜ、この人はいつも10分くらいしたら画像を消すからやっぱり歩きスマホしてて正解だぜ。淫美だね。淫美だよ。下半身もギンギンだよ」

 

みたいに画面をみていると、このおれにぶつかってきた奴がいやがった。

 

『ごつん!』

 

だからおれはこう言ってやったぜ。

 

「お前、おれは淫美に感動してギンギンに起っているのにぶつかってくるなんてどういう了見だ。」

 

そしたらぶつかってきたやつが偉そうにこんな事を言ってきやがった。

 

「いや、あなたが歩きスマホをしているから悪いんでは?」

 

そしたらおれはいつも、こう返しているんだ。

 

「おうおう、確かにおれは歩きスマホをしていた。けどお前はどうだ?歩きスマホをしていない。ということは、お前はきちんと前を見ながら歩いていて、かつおれが歩きスマホをしていて前を見ていない状態でありおちんちんが起っていることを知っていながら、ぶつかってきたんだ。だからどういう了見だってきいてるんだ。避けなかったお前が悪いだろ?」

 

そしたらやつはびびって、

 

「ぶるぶる、確かに僕が前を見ていて貴方のおちんちんがバキバキであるのを知っていたにも関わらずぶつかってしまいました。ごめんなさい。」

 

なんて事を言ったから、おれはさらに言ってやった。

 

「お前も歩きスマホをして勃起していれば、前を見ていなかったし注意力散漫ということでお互い様になったのにな。はははは、アデュー。あ、人妻の画像が消されてるじゃねえか。畜生」

 

 

 みたいな事が起こりうるからマジで嫌い。

これ、言い返せます?

 

明らかに歩きスマホをしているやつが悪いんですけど、こういうのは多分昔からあって、だからこそ『無理が通れば道理引っ込む』みたいな諺があるのだと思うけれど、マジで害悪だし歩きスマホは辞めて欲しい。

 

さて、なぜこの話をしたのかといえば、そもそも「僕がシモネタを書かなければ誰もイライラせず、さすれば誰も殺人事件を起こさないのが道理なのでは、無理を通しているのは実は僕なのでは」と考えてしまったからであり、そうなると僕自身のスタンスが歩きスマホをしている人と同じとなってしまうよね、と勘繰ってしまったからである。

 

では一体これはどうすればいいのだ、これは僕こそが社会のクズではないかと考えた後、「そうだ、だったら誰にもぶつからないところでスマホをすればいいのでは」と歩きスマホと同類のクズ人間の僕は気がつき、これはもうこのままはてなブログのはずれで、誰にもぶつからない場所で、延々とシモネタを書いていこう。

 

そう決意したのである。

 

しかし、その決意がどのような作用を及ぼすのかと言えばこれは余り意味がなく基本的に今まで通りであり、というか、このままでは最初の「☆が気軽につけられない」という悩みが何も解決していない。

 

じゃあ他にどうすればいいのかなって考えたのだけれど、これは本当に逆に考えれば、このブログの記事に☆をつけてくれる人になら別に☆を押し返してもいいんではないかってことに今更ながら気がついたんですよね。

 

いわばこっちが道路の端に座りこんでスマホしてる状態であるにも関わらず、後ろから画面覗いて「あ、それがあなたのツイッターアカウントなんですね。今フォローしましたのでリフォロー後、DM開放してください。ちんぽの画像送りますので」みたいに声をかけてきた人、みたいな状態だから。

 

ちなみにはてなブログから送られてくる通知メールには

 

「この記事面白い!」「がんばってね!」「読んでるよ!」

あなたの気持ちを手軽に伝えられるのがはてなスター

 

みたいなことが書いてあり、これは裏をかえすとこのブログに☆をつけてくれる人達というのは「この記事面白い!」「がんばってね!」「読んでるよ!」という意思表明をした方々であるといえ、更に表にかえしてみてもこの☆をつけるという行為は「この記事面白い!」「がんばってね!」「読んでるよ!」「これが俺のちんぽだよ!見てね!」と思っていることの証左であるので、もうそこまで思われているのならば、ここに☆をつけた方々はむしろ僕にちんぽとか陰部を舐められたいのではないか、と勝手に思い込む事も間違いではないはずである。

 

なので今後、僕の記事に☆をつけていただけるということは僕が陰部を舐めにいくこともセットになっているということを了承いただいたと勝手に決めつけることに相成りましたので、できればきちんと下着を履き、ある程度蒸れている状態で☆をつけて頂けると心底うれしく思います。

 

ええ、やはり舐める際には湿り気があると嬉しいので。

 

これは極個人的な趣味であるが、「やだ、汚いよ」と少し顔を隠しながら、でも快楽を得たいがために「蒸れているからホントにやだ」と更に言いながらおどおどし、でもその欲求が我慢出来ずに己の秘部を差し出してしまい、舐められるのを許してしまう、そんな羞恥と快楽が入り交じった状態を見るのが無常の楽しみなので。

 

さらにいえば、事前にご配慮いただき清潔にされていた場合、そのお気持ちはとても有り難いのですが、こう、なんていうのでしょうか、徹底的に滅菌殺菌されている工場で作られた綺麗なおにぎりよりもおばあちゃんが素手で握った素朴なおにぎりが美味しく感じるのと同じように、蒸れているほうが味わいがあるので。

  

果たして、ここまでしつこくこのブログに☆をつける弊害を書いたにも関わらず、こんな僕からでも☆が欲しい、という奇特な方がいるとすれば、是非ともこのブログに☆を沢山つけてみたらよいと思う。

 

もうそうなったら僕も覚悟を決め、☆から辿りついたのち、20個でも30個でも☆を入れ、多分住所の公開とかはお互いの後悔が多くなる事が受け合いであるので、また実際に僕も誰彼構わず舐める訳にはいかないし(舌が1本しかないから)、やっぱり舐めるよりは舐められたいというのも本音(おちんちんも1本しかないけど)なので、そのかわりといってはなんですが、ブログに書かれた文字の一文字一文字、いうならば人体で一番雑菌が多いと言われる足の指の間までも舐めるくらいの覚悟をもってあなたのブログに向かい性欲と☆をばらまきます。

 

自分で書いておきながらなんてひどい決意表明なのだと思うけれど、これがまあ今後に誰かがブログを書くための参考になれば幸いであるし、こんなブログでも今のところはてなブログさんから削除依頼もないみたいなので初心者の方はもっとはっちゃけて☆をばらまき、さらにはモザイク無しのいやらしい写真をあげればいいのではないだろうか。

 

さすれば自ずとブログのPV数も上がるだろうし、僕の性欲も満たされて嬉しいし、とお互いにウィンウィンなのだから。

 

なんせ、はてなブログにおいては、「☆」と「性欲」は無限である。