僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

蛸のキモは出てくるけれど、この話にキモはない。

物の価格に対しての価値観は人それぞれであるが、例えば僕は服飾に関して「無頓着ではないが執着心があまりないのに偏屈であるからめんどくさい」と妻に言われる。

 

例えば外着を買うようなイベントがあったりすると、そもそも僕はブランドに興味がないので高い服は欲しがらないけれどユニクロは余り好きではなく、ではH&MZARAがどうかと言われると「えー、そんな服着れるような年齢、通り越しちゃったしな〜」みたいな三十路OLのごとき事を言ってしまう(僕はおっさん)。

 

そうなると「ではどこで買うか、前に行ったアメ村の古着屋にいくか」などの優しい言葉をかけてくれるので「うん!」と明確に答えて向かったはいいが、結局満足のいくものがなかったなーといいながら380円のTシャツのみを買ったはいいけれど本来の目的物であるアウター(使いかたが正しいかどうかは分からないけど外着のこと)は買えずじまいとなったりもする。

 

こうなると行ける店はライトオンかシマムラしかないのだぞ、と問われれば「じゃあシマムラで!」と答えたはいいが結局店に行っても欲しい服を決めきれず「やっぱ今日はいいのがないからやめとこうかな」なんて事をいうと「しかしあなたのお気に入りの服はもうホツれがえぐい。補修しきれない」と妻がいうので、「じゃあ同じようなものがメルカリとかにないかなあ」と呟いたあたりで妻がめんどくさくなっている。

 

その結果として「ほんなら自分で探しや」と携帯を渡してくれるのだけれど、僕はその妻の携帯を借りてもすぐにはメルカリアプリをひらかず(あ、写真フォルダにヤラシイ写真がないかなあ)なんて思いながら探したりして結局そんな写真はないので諦めて僕の顔写真を連続で撮って保存したりするのが忙しいのでメルカリで服を探すことができなくなり、めんどくさくなって妻に携帯を返して怒られる、なんてことがよくある。

 

結局そういったやり取りの後、妻がメルカリやフリルでいい感じの服(つまりは普段僕が好んで着ているような服)を見つけてくれて僕に確認。「あ、いい感じやんそれ」と答えたのち、いつの間にか携帯ゲームを始めてしまって熱中している僕の背中のサイズを測ったりして買ってくれるのであるが、しかしてもうそんな妻との付き合いも15年以上が経過しているなかで今でもこのように面倒をみてくれていて本当に感謝しかないし、僕は妻からのお願いは何でも聞こうと思っているのでクンニでもなんでもいつでも依頼して欲しい。マジで本腰いれて舐める。

 

そんな感じで僕は気に入った服を延々と着続け、それが着られなくなったら新しい服を買う、みたいな感じなのであるが、そのため見た目だけでなく機能性もしっかりとしているものを選ぶのだけれど、例えば今の時期、え、それってどういう意味があるのですか?というアイテムを見かける事がある。

 

それは、こう(書きながら上手いこと説明できないので手をうやむやに動かしたりして表現しようとしているのだけれどそれすら上手くいかない)、太い毛糸でざっくり過ぎるくらいにざっくりと編んだ、マフラーみたいなだけどマフラーではなく膝掛けみたいだけれど肩に掛けてるし上着かと思うけれど上着の上からかけてるしやっぱりマフラーなのかなと思うけれど防寒になっているとは思えないからマフラーではないのかもしれない、みたいな布なのだけれど、調べようと思ってもそれがそもそもなんなのか分からないから調べる事もできない布アイテム。

 

オシャレに対して鈍感でありまた女性物の服の名称が覚えられない僕には到底辿り着くことの出来ないアイテムである。ストール?スヌード?シミーズ?何?

 

というか僕は服の名称、特にユニセックスという単語で興奮してしまうし、それはユニークなセックスつまりは普段行わないような不埒なセックスを連想したりして困っちゃうからなのだけれど、そのため種類別で表示されるインターネットサイトでの買物すら満足に出来ない。

 

きっとこれは僕だけではないはずなので「ユニセックスという単語で興奮する会」みたいなものをそろそろ立ち上げたい気もするけれど、誰も入らない気もするのでまあ、立ち上げない。

 

そういった僕には到底理解出来ないような服が存在するので、世の中はなんとも広いな、とよく分からない事で感心したりもするのだけれど、ということは逆に考えれば僕が着ている服に対しても「理解が出来ない」と思われていることもあったり、普段から行っているような行動も同様に「理解が出来ない」と思われているかもしれない、ということでもある。

 

 

先日、最近気に入っているスーパーに足を伸ばしたところ、何も調理されていない、いわば死んでそのままの蛸が半額になっていた。

 

元々の価格が1.2kgで2200円でありそれでもまあ最近の相場に比べれば安めであり、その半額なので1,000円ちょっとでその大きさの蛸が手に入ったことになる。これはなんとも奇跡的であり誠に有り難い出来事であるが、先に書いた様に興味の無い人からすればこの有り難みがまったくもって分かりにくいことかもしれないと思うので簡単に例えてみると、

 

・適当な居酒屋で酔っぱらってしまい隣の男と意気投合、気がつくとよく分からない場末のホテル(天王寺茶臼山あたりだとなお良い)で、隣の男はといえば実はディーン・フジオカだった、みたいな。

 

で、起こしたあとなんとなく気まずくて、とりあえず2人の間の気まずい雰囲気を和らげるためにホテルに据え付けてあるカラオケで「Let it snow!」をデュエットしてみたらお互い笑い合う事が出来た。

 

そんな感じである。

ほんとにすげえ事よ。

 

もちろんそんなことが実際に起こったら、ディーンとは一晩限りの関係ではもったいない、というかやっぱり継続して抱かれたいと思うし、「後生やから、この日の you&I にさよならなんて言わんといて」ってシーツで胸を隠しながら言うだろうし、「軽い微熱で踊り出したい冬やねんで」と畳み掛けて襲いにかかるだろう。

 

酔っていない状態でセックスをしたという既成事実をつくるために。

 

でもきっとディーンはそんなこと言われても、しらふで行為をした後であっても、

 

「what is happiness?」(幸せって、なんなんだろうね)

 

とかいって、適当に濁してどっかにいっちゃうんだろうなあ。

 

 

「でもね、別にわてはそれでもかめへん。

何がアンタの幸せなんか、わてにはわからん。

わからんけど、わてはわての幸せは知ってるつもりや。

あんたのためやったら、待つ事すらも楽しみやねんで!

浪花の女を舐めたらあかんで。

 

浪花の女をなめたら、あかんねんで!

 

そうや!

 

わては、

 

わては、

 

わては港や!

 

いつまでも船の帰りを待つ、港なんやで!!

 

フジオカ丸の帰港、ずっとまってるさかいね!!!」

 

みたいなことを言いたくもある。

 

 

さて、話は港から戻って現世である。

 

普段スーパーなどで良く見かける蛸の多くは下処理済みの蛸、つまりは茹で蛸であり、カットすればそのまま食べられるようになっている。そのまま大きめに切ってタコブツにして食べても美味しいし、薄く切ってワカメときゅうりで酢の物にしてもよし、オリーブオイルでニンニクと煮てアヒージョなんていうのも捨てがたい、みたいに、なんやかんですぐに楽しめる優れものである。

 

しかし茹でた蛸を買うことはあっても、生のものを買うことは少ないだろう。また、それゆえにあの茹でた状態にするのにはとても手間がかかることはあまり知られていない。 

 

蛸を美味しく茹でるには下準備が必要である。

 

その下準備は手間がかかるがその作業自体はとても単純で、内臓を引き抜いたらあとはひたすら揉んでぬめりをとり、また揉んでぬめりを取りを繰り返すのみである。で、ある程度取れたら次は塩を使ってまた揉むのだ。

 

揉み続けると泡が出てきて、その後まるで石鹸で洗った後の髪の毛のようにキュッキュッとなる。そこまでいけたら、あとは沸騰したお湯で茹でるのみだ。

 

しかしこう行った作業は、めんどくさいといえばめんどくさい。が、僕はこういった作業を楽しめる人間こそ、一緒に生活を共にすべきではないかとも思っている。なぜならば、このような作業に喜びを見出せる人間は夜の営みも隅から隅まで楽しめる人だと考えているからだ。

 

蛸の下処理は、性行為に似ている。

 

突然何を言うのかと思われるかもしれないけれど、大体において、どんな適当なことでも言い切られてしまうとなんとなく説得力を持つから不思議だ。適当に思いついた単語でも言い切られるとなんとなく分かる様な気がしてしまう(そもそも全然違うのだけれど)。

 

例えば、

 

・アマゾンでの買物は、デリヘルに似ている。

 

と言われれば「ああ、選んだ物を配達してくれるもんな」と勝手に共通点を探るだろうし、

 

・バナナは、おちんちんに似ている。

 

と言われれば「形が一緒だもんな」と思うだろう。

 

しかし、よくよく考えれば、アマゾンとデリヘルは全然違うし、おちんちんとバナナも全然違う。

 

アマゾンではいくらプライム会員であっても女性は送られてこないし、それどころか女性を物扱いするな、みたいなクレームが送られてきてしまう。けれど、デリヘルでアマゾネスが送られてくることはままあることはご理解いただきたい。

 

また、バナナとおちんちんを混同している人達がいたとしたら既に東京バナナが発禁扱いになっているだろうから多分混同している人はいないだろうし、そもそもおちんちんは黄色くない。

 

ただセブンイレブンとかがエロ本の販売停止を決めたので、もう少ししたら歩きバナナが卑猥を理由に禁止されるかもしれない。歩きながらバナナが食べられなくなるなんてなんとも恐るべき時代だと考えたけれど、思い返すと別に歩きバナナなんてしたことないし歩きバナナを禁止されても困らないから、別に恐るべきでもなんでもない。

 

話を戻す。

 

例えばセックスにおいて「服を脱がすまでが楽しいという人」と「挿入にのみ楽しみを見いだす人」がいる。

 

この区分けで言えば、前者の人は蛸の下処理に向いているし、後者はすでに茹でられた蛸を買うが良い。しかし、ここは強調させていただくけれど、後者のそれはファストセックスである。

 

それが悪いかどうかはもうとてもセンシティブなことなので当事者に任すしかないけれど、やはりどのように口説くか、どのように相手の心を開くか、どの順番で服を脱がすかもしくは自分が脱ぐか、こういった細部を楽しめる人こそがセックスを楽しめるのだ、とほぼほぼ童貞の僕は思っている。

 

さて、僕は個人的にこのヌルヌルをとったり塩で揉んだり内臓を捌いたりすることにこそ、セックスにおける口説き及び前戯と同じ様な楽しみがあると思っているのだけれど、しかしこれは確かに面倒くさいものである。

 

「女なんて入れればオッケー」みたいな価値観の人には到底理解されないくらいのめんどくささなのだけれど(都合30分ぐらい蛸を揉む事になる)、これがあるからこそ蛸に愛情も芽生えるし(食べちゃいたいくらいに可愛くなる)、またそれだけの苦労が報われる瞬間も訪れる(可愛いけど食べちゃう)。

 

またアンコウの肝、いわゆるアンキモやフォアグラに代表されるように肝というものは珍味としてすこぶる美味しいものであるが、実は蛸にも肝があり、これは生の蛸をさばく事でしか手に入らない。

 

蛸の内臓の中には一際でかい袋状の内臓があり、そのなかに薄茶色の半液体(半固体?)のものが入っているのだけれど、それこそが蛸の肝である。

 

 これは肝単体で湯がいて食べても美味しいのだけれど、肝で作った肝醤油(煮きったみりんに肝を入れて一煮立ちさせ、醤油を加えて混ぜたもの。滋味深い)が本当に美味しい。

 

表面だけ軽く火を通した半生の蛸の身に、その肝醤油を和えて食べると「ああ、蛸の本質とはこういうものだったのか」と深く納得してしまうような味であるが、しかしでは実際に蛸の本質とはなんですかと聞かれたら困るので聞かないでくださいお願いします。

 

このように、めんどくさい工程を経るからこそ出来る経験および発見というのはなんとも素晴らしいものである。

 

これは例えて言うならば、ちょっと気の強そうな素敵な女性とバーやなんやで出会い、もう紆余曲折を経てホテルに到着、ゆっくりと服を脱がしていくと、

 

「あんな、今日こんなつもりやなかったから、下着のな、上と下の色とか柄がちゃうねん」みたいなことをちょっと恥ずかしがって言われるようなものであり、

 

「全然ええんやで。そうやって恥ずかしがってる姿もめっちゃcawaiiんやで?」

 

と返すと、

 

「ええ、ほんまに?嬉しい」

 

なんていうから優しく下着を脱がしてみたら、

 

あれ!?毛の処理完璧じゃない?パイパン

 

みたいな感じで、もう、ね、そのギャップで脳みそがバグって口から勝手に「ああああ!」つって、ため息とも吐息ともいえないような嬌声が漏れてしまったりしてね。

 

でね、そうなると当然のように挿入する前から即悶絶で入れもせずに即射精。であればおのずと即色即是空で即諸行無常。その結果として「あかん、可愛過ぎる、もうかんにんや。足腰たたへん」みたいな骨抜き状態に陥り、まるでこちらが性感帯を責め続けられた乙女みたいになってしまうのだ。

 

それくらい、蛸の肝醤油は美味しい(実際には個人差があるとは思うし、僕もここまでではない。「あ、これ美味いな」くらいだった)。

 

けれど、これがファストセックス愛好家であると肝の味など知る由もなく、湯がいた蛸を食べるだけなので、セフレを電話で手軽に呼び出してもうすぐに服を脱がして挿入し、「あ、あ、出るわ。出たわ」で終わりとなり「もう帰ってええで」みたいな冷たい態度。

 

もう本当に物悲しく、これは本当に楽しみを享受しているのか、とまで勘繰ってしまう。

 

そんなことでよしんば自分が気持ちよかったとしても相手が気持ちよくなることは少なく、それでは本当にセックスという行為を楽しんだのか怪しいものである。

 

かといって先に書いたようにギャップにやられてばかりいる僕の様な人間が正しいのかと問われると、せっかくホテルに言っているのに服を脱がせただけで射精してしまうという失態を演じているので女性においては生殺しとなり、また歳なので連射も効かずそうなるとその女性は興ざめであり、本当に男として始末が悪いしましてやセックスという行為に至っていないという意味ではこちらのほうがたちが悪くもある。

 

 

なので、今回の話のまとめとしては、ギャップのある女性はなんとも素敵ですね、あと、早漏というだけで相手の女性に迷惑をかけてしまうので気をつけましょう。ということです。

 

最後になりますが、蛸の話がどこに言ったとか、なぜディーンが出てきたとか、服のくだりとかは一体なんだったのだ、この話の本質は一体なんなのだ、とかはもし頭の中で思ったとしても、聞かないでください。

 

僕にも分かっていないので。