僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

あの日会った外国人の名前を、僕は未だ知らない。

 

 ある日母親から「弟の友達が実家に来るのだけれど、その友達という人があんたに会ってみたいと言っている。どうやら外国人らしい。だから来てもらえるか」という内容のラインが来た。

 

しかし当然ながら僕自身はその外国人の方に面識なんてもちろんないし、会いたいと思っていないことはおろか、弟に外国人の友人がいることすら知らなかった。というよりむしろ、友人の兄弟に会いたいと思うその外国人は一体どんな思考回路をしているのかの方が気になった。

 

なのでなぜそのような流れになったのか聞こうとしたのだけれど、母は何かしら返事を急かしている様相だったので、取り急ぎの返答として「まあ別にいいですが僕が知っている英語はハローグッバイにあとはペニスとヴァギナしか知らないけれど、なんとかそれでコミュニケーションを取ろうと思うのでどうぞお願いします。」

 

と母親にラインを返した。

 

するといつもは沢山の絵文字を使ってくるはずの母から「やめな」という簡素で短い、句読点すらない返信があった。その三文字の裏に色んな感情が渦巻いているのが垣間見え、さすがに僕の倍以上の人生を生きているだけあって、短いながらも感情の機微が伺えるなんとも含蓄のあるライン、ガンチラインを打つものだなあと感心していると、続いて今度は中国語と見間違えるようなラインが届いた。

 

「今週土曜昼間」

 

なるほどこれがエックスデーかと、いつもならそんな横文字を使う事無く生活している僕が中国語風のラインに対して英語言葉を思い浮かべたのは、きっと見ず知らずの外国人が僕に会いたがっているという事実に浮かれていたからだろう。

 

そこまでして僕に会いたいのならば僕も礼儀として最低限の会話が出来るよう、せめて駅前留学をしようと思いインターネットで予約しようとしたのだけれど、母から届いた日付を思い返すとあまりに近すぎる。

 

その日は木曜日の夜であり、エックスデーは土曜日、しかも昼間である。実質的に金曜日の一日しか猶予がなく、今からでは何を用意しても無駄だと悟った。なのでとりあえず駅前留学は諦めながらも、出来るだけコミュニケーションを円滑にするため、ペニスとヴァギナ、ハローグッバイだけで会話は無理なのか、もし無理なのであればどんな言葉を覚えておけばいいのかを調べるため、パソコンのキーボードを叩いた。

 

言葉を習得する時には、もともと知っている単語を基準にひろげていくとよい、と何かで読んだ気がするのでまずはペニスとヴァギナを基本にするべきだと思い、他の言い方がないか、それを使う事で会話に広がりが出るのではないかと思いひとしきり調べてみたのが以下の結果だ。

 

ペニスはコック、ヴァギナはプッシーと呼ぶ。

 

とりあえずこれだけ分かっていればなんとかなる。そう思ったのだけれど、念のために他の言葉も調べておくことにした。

 

僕が知っている他の英語はさきほども書いた通りハローグッバイだったので、ここからも何かが広がるのではないかと思い検索窓に「ハローグッバイ」と打つと、なぜかもたいまさこが出ている同名の映画の公式サイトがトップに出てきた。

 

とりあえずそのサイトに入ってみると、映画のポスターみたいなものが一面に貼ってあり、その画に映画のキャッチコピーらしきものが書かれていた。

 

「友達ってなんですか?」

 

挨拶から広がる言葉を知りたいから調べているのに、急に質問されても困ると思った。むしろこっちが聞きたい。

 

そもそも僕には友達がいないし、僕が今これほどまでに悩んでいるのは弟の友達が僕に会いたいと思っているらしいからこそ忙しい合間を縫って英語の勉強らしいことをしているのに、そんな僕に対して「友達ってなんですか」なんて聞かれても流石の僕だって困ってしまうだけだ。

 

なぜなら僕には友達がいないから。ゆえに答えられるための土壌がなく、友情という名の植物が育たないのだ。

 

学生時代は机にぽつねんと座りずっと教室で痩せた猫の絵を描いていたくらいに友達のいない僕にそんな質問をされてもどうしようもないし、そこはマナー違反だと分かっていても質問で返すしかないと思ったので、僕は率直な意見をパソコンの画面にぶつけた。

 

なぜ僕にそんな酷なことを聞くのですか、と。

 

しかし画面の中のもたいまさこは勝手に質問して来るという図太さは持っていたけれど、友達がおらず苦しんでいる僕に返答をするという優しさは持ち合わせていないようだった。

 

でもまあまさこが答えないのも理解できる。もしここでまさこが僕に対して友達に関するいくつかの答えを出してしまうと、自ずと友達とはなんたるかを説明しなければならなくなり、この映画の肝であるだろう「友達とは何か」を公衆の面前で答えなければならなくなる。

 

そうなるとこの映画自体の存在の意味がなくなってしまい、あげく封切りされることなく終了してしまう懸念があるからだ。だから質問に答えないのは、俗にいう大人の事情だろう。

 

母親とのラインのやりとりで分かってもらえるように僕は裏を読める人間なので、まさこを困らせない為に、まさにこの瞬間そっとインターネットから離れることにした。

 

でもまあ実際相手が外国人だということで気負ってはいるが、突き詰めていけば人と人、いや男同士のやり取りなのであるから、 とりあえず男同士の公用語である隠語(陰部を表す言語)、つまり今ほど調べた単語を知ってさえいれば、例え会話の文脈が理解できなくても仲良くなれるだろうことは容易に想像がつくので心配はないはずだ。

 

ということで、木曜の夜はもたいまさこと分かり合う事に費やされた。 

 

もたいまさこと隠語の安心感があったので金曜日をつつがなく過ごすことができ、ついに外国人と対峙する土曜日が訪れる。

 

朝、僕は目を覚ましたのち、とても大切な事を聞くのを忘れていたことに気がついた。この情報社会に生きながら、相手の名前すら知らなかったのである。情報を制するものは世界を制すると言われて久しい昨今、相手の情報を1つも持たずにやり合うのは愚の骨頂である。

 

僕は携帯を手にとり母にラインをした。

 

「今日来る人、なんて言う名前?どこの国の人?」

 

いつ既読がつくのか分からない不安にかられながらも、僕は朝から元気な下半身とやり合おうと画策したのであるが、どうしても母が頭から離れなかったので諦める事にした。それはしかたのないことだ。いつもおかず探しに使っているスマホの画面に母の画像と名前が浮かび上がっているのだから。

 

トイレにていまだ元気な下半身をなだめすかしながら排泄を促しスマホと便器の水面を交互に眺めていると、僕の送ったラインに既読の文字が添えられた。そして5秒ほどブランクがあり、返答のラインが浮かびあがった。「プリンちゃんやって♡☆オランダ出身♪♪」

 

ちょっと待って。

 

僕は自分でも意識しないまま、虚空(便器)に向かってそう呟いていた。まだ暴れたりないという下半身を押さえ込みながら、トイレから出る。流し忘れはご愛嬌だ。

 

プリンちゃん。この名前からするに、確実に女性である。そうなると僕が木曜日にまさこと勉強した英語は無に帰すことになってしまうのではないか。

 

女性は男性の放つ下ネタが嫌いなのだとどこかで聞いた覚えがあるし、こう見えて僕は結婚している身であり、女性との会話に下ネタが向いていないということを実体験として理解している。

 

僕が急に「ねえ、これが僕のアナルだよ」と話しかけたところで、妻は「そう」としか返してくれず、でもそれは家族であるが故のとても優しい返しであり、普通の女性であれば返事をしてくれるどころか通報してくるくらいであり、もしその相手が外国人になった場合、通報されると注意や勧告では済まされず国際問題に及ぶ可能性も出てくる。

 

簡単に言えば、僕のかわいいおちん◯ちんの不用意なジョークが母親に伝わり、そこから僕の妻という国連軍を通しての経済封鎖という強大なぺ◯ニスの反撃にあう恐れがあるということだ。

 

僕の使える単語が無くなってしまった瞬間である。

 

しかしこれでへこたれる僕ではない。コミュニケーションを諦めること、それは試合の終了を意味する。始まる前から終わってしまう試合に存在意義はない。だからこそ僕は無い頭をひねって、別のコミュニケーション手段を考える事にした。

 

悩んだ時は基本に戻る。そんな先人からの言い伝えを忠実に守り、僕は意思疎通の基本を考えたのだけれど、やはり大切なのは最初の掴みとなる自己紹介である。

 

僕の名字は一部上場企業に名を連ねるようなよくある名前であり、探そうと思うとその企業ロゴのTシャツを簡単に見つける事ができる。なので、僕は普段から自分の名字が書かれているロゴシャツを着ているのだけれど、よく考えるとそれこそが掴みになるのではないか。という簡単な結論に達した。それ以上深く考えなかったのは、家を出なければならない時間が刻一刻とせまっていたからだ。

 

そのTシャツを着込み、妻が買っていてくれたお土産をもって電車に乗った。普段であれば「どこかに女性用下着が干していないかなあ」と電車の窓から外を見つめているのだけれど、今回は話の切っ掛けの為にオランダで有名なものはなんだろうと必死こいて調べていた。

 

僕はこの情報社会に生きながら、相手の出身国の名産すら知らなかったのである。情報を制するものは世界を制すると言われて久しい昨今、相手の情報を1つも持たずにやり合うのは愚の骨頂である。

 

しかしいつのまにか僕は誰が撮ったのかもよく分からない長崎ハウステンボスの写真に魅入っていて、必要な情報が手に入らなかった。でも、とっても綺麗だった。こころが洗われた。下着は見れなかったけれど、別の何か、まあハウステンボスなのだけれど、それを見れた。

 

実家の最寄りの駅につき、母親にもうすぐ着く旨の連絡を送った。社会人たるもの、報連相を欠かしてはならないのだ。

 

プリンちゃん、もう来てるよ♡☆♡」

 

日本人に比べて外国人は寛容だとよく言われるが、僕も大概寛容だと思う。どれだけ母親がむかつく絵文字や顔文字を使おうが、一度も文句を言ったことがないからだ。そんな優しい僕は道中のスーパーで手に持てるだけのビールを買い込み、実家へと向かった。

 

チャイムを鳴らすと母が僕を出迎えたので妻からのお土産を手渡し、中に入った。

 

久しぶりの実家の空気に馴染む前に僕の目に飛び込んできたのは、身長が190 cmくらいあるひげ面のおっさんだった。その横には、以前より髪が伸びた弟がいた。うさんくさいベンチャー企業の若い部長のような風貌に変わっていた。

 

「あ、やっときた!これ、プリンちゃんプリンちゃん、これ、俺の兄貴」

 

プリンちゃんはとても良い笑顔でこちらに歩み寄り、手を差し伸ばして何かを言った。

 

「ハジ$%”#&’’」

 

手に持ったビールの入ったビニール袋を下に置き、とりあえず手を伸ばして握手はしたものの何も聞き取れなかった僕は、弟に助けを求めた。

 

「今なんていうてたん」

 

「『初めまして』て。めっちゃ日本語やったやん」

 

改めてプリンちゃんに目を向けると、とても優しい目をしていた。そしてその優しさに包まれながら、(あ、男やったらあの調べた言葉使えるやん)と思い、一生懸命考えておいた自己紹介をはじめた。

 

握手をほどき、まずは自分の胸を指し「my name is Kawasaki」と名乗った。プリンちゃんは深く頷き「カワサキサン、ワタシ、プリン」と言って、また握手を求めてきた。その手をまた柔らかくほどき、僕は次に下半身を指差し「his name is pussy」と言った。

 

男性器に女性器の名前をつけるという高度なボケであるが果たして外国人に通用するのだろうか。どんな返事がくるのか期待して待っていたが、どれだけ待っても返事は返ってこなかった。

 

その後、テレビの音だけが響きわたるリビングにて食事会が始まった。

 

テーブルの上に並べられたご飯を食べながら弟とプリンちゃんの会話を聞いていたのだけれど、大半が英語だったので何を言っているのか分からなかった。むしろ2人とも僕の存在に気付いていないような気がした。

 

そこは空気を読むのが得意な僕である。買ってきたビールの殆どを飲み尽くし、手持ち無沙汰から料理を運んだりする母親の尻を触ったりしていると、プリンちゃんがこちらを見ながら、弟にそっとこう呟いたのが聞こえた。

 

「He is crazy」

 

未だにファッキンジャップの意味はよく分からない僕だけれど、この言葉の意味は分かった。けれど結局、食事の始まりから実家を出るまで、僕はプリンちゃんと交流することはなかった。ハローもグッバイも、結局使わなかった。

 

帰りの電車の中で心地よい振動にゆられながら今日の出来事を反芻している時に、僕はふと思った。

 

「いや、急に友達の兄弟に会いたいとか言う方がクレイジーやし、エエ年こいたおっさんがプリン名乗るのもクレイジーやろ」と。

 

結局プリンちゃんとはその日以来会っていないし、名前の由来も知らない。もしかしたら彼なりの高度なギャグだったのかもしれない。でもあれ以来、家族で会った時にもあの時の会食が話題にあがったことはない。

 

もしかしてあの日の出来事は、僕の夢だったのだろうか。

 

なんてことを考えていたら、つけっぱなしにしていたテレビに松田龍平を叩いて叱るもたいまさこが映し出されていた。そうだ、僕は映画をみていたのだ。

 

画面に映る彼女を眺めながら、ありもしないことを考える。

 

もしもたいまさこがあの時あの場所にいたら僕のことも叱ってくれただろうか。

頭を叩いて「ほんとに馬鹿だ!」とか言って。

 

もしもたいまさこが今この場所にいたら、僕をどう慰めてくれるだろうか。

いや、きっと慰めないだろう。

「あんた何しに帰ってきたん」と言いながら、テレビのチャンネルを変えて広島カープの試合を見るのだ。

 

それでいいのだ。まさこはまさこのままで、いいのだ。

 

 

以上。