僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

新元号が決まった時、僕は右手の中指にうんこをつけていた。

タイトルの通りであり、別に誇張することもない。

 

ただたまたまおなかの調子が悪く、またこれもたまたまであるが手の爪が伸びていた為に起こっただけの出来事である。

 

ゆるめのうんこはトイレットペーパーを破れ易くし、伸びた爪はトイレットペーパーを破り易くする。

 

その結果ゆるいうんこによってトイレットペーパーが顔の濡れたアンパンマンのごときに弱って破れ、尻の穴を拭こうとバイキンマンのように肩に力の入っていた中指が弱ったトイレットペーパーを突き破り尻の穴に少し入った。

 

そして、指先にうんこがついた。

 右手の中指がカレーパンマンになった。

それだけのことだ。

 

きちんと手を綺麗に洗った。

茶色のものも取れた。

臭いもしない。

むしろ指はトイレに入る前よりも綺麗になった。

 

トイレから出るとテレビでは官房長官が新元号を発表していた。

僕はトイレではからずもセルフ浣腸をしていた。

 

僕は、浣腸長官になった。

それだけのことだ。

 

素敵なことだ。

 

そのあと買い物に行った。

 

話は変わるが、僕の指先はうんこの有無とは関係なしにいつも乾燥している。

 

なのでスーパーなどで買い物をした際、レジでいただけるビニール袋などをスムーズに開くことができないのでいつもイライラしているのだけれど、最近のスーパーでは僕のような人のために買ったものを袋に詰める場所に必ずといっていいほど濡れたタオルが置かれているのであるが、僕はそういった布類を使うことができないタイプの人間である。

 

その理由の一つというか唯一の理由というかそういった類の濡れた布を使えない理由が一つあるのだけれど、それは単純に誰が使ったか分からない布、しかも濡れている布をなんとなく触ることができないという潔癖な方々と同じような思考があるからである。

 

なので僕はいつもそのような布を使わずに指を湿らすため、例えば生ものや冷凍食品を購入した際にはそれらから出る水分を指に含ませてビニールを開けたりするのだけれど、その類のものを買わなかった場合にはまず爪先で頑張って開けるきっかけを作り出したりするのだけれどそれでも無理な場合がやはり多くあり、そうなると最終手段に出るしかなくなる。

 

その最終手段とは簡単に想像できないかも知れませんがこれは本当に最終的に手段であり誰も思いつかないような行為なので人目に触れないようにしているのだけどもうここでぶっちゃけてしまいますが、指を舐めるのである。

 

この舐めるという行為はいつであってもフェラチオを想起させてしまう懸念があるので例えばとなりに並んだおっさんが指を舐めて袋を開けてたりするとそのおっさんのフェラチオを想像してしまいますよね?僕はこう見えて親から常識を叩き込まれていますので世間様に見られている場所で他人様にフェラチオを想起させてはならぬと教わっているのであり、つまり指を舐めるという行為はあまり外でするのには向いていないので最終手段として書いたのですが、これ以外にからだから出る水分とはおしっこと精子しかなく、では最終手段としてつばではなく精子を使おうとした場合スーパーの荷物をまとめるところで手淫にふけることとなります。そうなると屋外での行為となるのでこれはまさしく興奮する行為でありはからずも射精量が多くなりよそ様に迷惑をかけてしまう懸念もありそうなると外に漏らさないようにしなければならずそのためには手近にあるビニール袋を使って範囲を限定すればいいのですがしかしその時僕の手は乾燥しておりビニールを開くことができません。出しても地獄出さなくても地獄、簡単に言えばつまりは地獄です。

 

もう一つの手段であるおしっこも同じで、いきなりスーパーの荷物をまとめる場所で放尿するとこれもまたおしっこが外に出てしまい(液体なので止められない)他人様に迷惑をかけることになりますしおしっこと車は急には止まらないのは周知の事実であり、なのでこの精子と尿は最終手段ではなくそもそも手段として適当ではないのであるからして、これを読んでどうしてもスーパーで射精や排尿がしたくなったのだとしたらそれは病気なので病院に行ってください。間違っても私の隣でしないでください。私のお墓の前で泣かないでください。

 

さて話を戻して指を舐めてビニールを開けた話である。

 

長々と書いたけれどまあ指を舐めて湿らせるというのは年配の方がよくやる行為であり別に最終手段でもなんでもなくましてやおっさんのフェラを想起するものでもないのは僕も普通に知っているのであるがそれでももったいぶった書き方をしたのは指を舐める行為というのは年配感が増してしまうのでなんとなく気恥ずかしくあるのでそれを隠匿するために文章を増長したのであるが、そのような少しの恥ずかしさを我慢しながらスーパーにて指を舐めてた。

 

そこで思い出したのは(そういえば今舐めたのは先程うんちのついた指だな)という事実である。

 

事実と真実は違う、なんてことをよく言うが、この場合においてはその両方が相違なく、事実真実双方ともに『うんこのついた指を舐めた』ということであり、これはどう考えても人がすべき行動ではないのであるが、してしまったものは仕方がないので僕は素直に受け入れた。

 

そもそもうんちも僕のものであり指も僕のものであるので誰かからとやかく言われる類いの話ではない。ただひとつ、願わくばその双方とまでは言わないがせめて片方だけでもいいので美女のものだったとしたら自慢の一つにでもなったのだけれどそうではない。

 

僕のうんちがついた指を僕が舐めた。それだけのことだ。カートヴォネガットJr.もこう書いている。

 

そういうものだ。

 

と。

 

しかしまあこれは不思議なもので、例えば自分のおしっこを一度入れたコップはどれだけ綺麗にしたとしてもそこにビールを注ぐ気にはならないけれど、例えば妻がコップにおしっこを入れてくれたとしたらそれはそのまま飲みたいと思うしむしろ全身にかけてほしいとも思うしそのコップは後生大事にとっておくであろうけれど、実際問題として汚さという尺度で測るとその汚さはおしっこに汚されたコップ、という意味では同等であるにもかかわらず意識下では同等ではない。

 

ましてや性的なことは大体受け入れられる僕ではあるけれど大概が相手ありきであり、例えばそれは妻や美少女など対外的に限定されており自分の精子を飲んで興奮するという境地には至っていない若輩者であるからして、それ以上の存在であるうんちを自分で舐めるという行為に対しては興奮どころか萎えることしかなく、そういえば興奮の奮の字を糞に変えてもあんまり気がつかれないのかもね、興糞。ほらね?それでいうと興奮の興も脱に替えてもあんまり気がつかないよね?脱糞。ね?なんていたずらっ子っぽさが顔を出したりもするけれどそれとこれとは話は別。

 

しかし実際に先程までうんちがついていた指を舐めた経験を踏まえて言わせていただくと、臭いも味もない指を舐めただけのことなのでそこまでの嫌悪感はなく、強いて言えば先に書いた通り、ああこれが妻の指かうんこならなあ、なんていう羨望だけがあったのみであり、例えばこれは一体どういう心の揺らぎなのかしらんと考えようと思ったのだけれど、それは単に変態の欲望が肛門から出てくるうんこのように顔を出しただけなのでわざわざ追求するようなものではない。

 

さてこれらがなんの話かといえば新元号がどうのこうのの話なのだったはずなんだけれど、発表されたものを見てもなるほどなあとしか思うことがなく、そういえばうんこのついた指を舐めたは地元の関西スーパーなのだけれど、その関西スーパーパートリーダーとおぼしきおばちゃんがこないだ別のスーパー、その名もスーパーオオジというこれも家から近いスーパーなのだけれど、そこで大量に商品を買っていてなんとなく気になりました。

 

これもまたうろ覚えなのだけれど、伊丹十三監督のスーパーの女において「働いている店員が買い物したくないスーパーなんて潰れちゃうわよ」みたいなことを言っていた記憶があり、それが頭をよぎったのかもしれません。

 

そんな感じです。

 

ちなみにですが、アナルは舐めるのも舐められるのも好きです。僕は浣腸長官なので。

 

それでは。