僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

todoリスト、その弊害について書く。

仕事を円滑にこなすにはtodoリストをつくるのがよい、と言われる。

そのリスト通りにことが進むととても気持ちがよいらしい。

 

しかし。

 

締め切りが目前に迫っている仕事をさらに後回しにしてみると別の快楽が生まれることも、また確かなのである。

 

今も手つかずの仕事を抱えて若干の胸の高鳴りを感じながらこの文章を書いているのだけれど、これはフリーフォールに乗る前の気持ちに似ている気がする。いつ先方からお叱りの電話や催促の電話が来るかドキドキしながら、あえて平静を装ってパソコンの前で待機しているのである。

 

以前ひらかたパークで目隠ししてフリーフォールをするというのを体験したのだけれど、本当によく似ていると思う。石田純一と小石田純一くらいによく似ている。

 

電話が鳴るたび、

 

「あ、落ちる?落ちる?あっっっ、ああ、大丈夫だった」

 

「え、今度こそ?おおお?お?あああ、よかった」

 

と、ホッとした時に限って、また電話が鳴る。大体その電話は一番シビアな締め切りの取引先だ。

 

「あっっっっっ、もうちょっと待って、お願い、あ、落ちる、落ちる、落ち…………おぢたーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!」

 

みたいな。

 

まあそんなことをしている間に早く作業をすればいいのだけれど、締め切りはギリギリになればなるほど楽しい一面があるのでなかなかこれがやめられない。もう病み付き。ケンタッキーと同じくらいやめられない。軟骨も食べるし骨の髄まで美味しい。やりすぎて胸焼けするところまでおんなじ。

 

しかしいくら楽しいからといって、そんなことを継続していると失うのは信用、ひいてはお金である。信用がなければ仕事を回してもらえないのでお金がなくなる。単純なことだ。

 

そんな自分勝手な理由だけではなく締め切りを過ぎてしまうと相手方にも多大な迷惑をかけてしまうので、締め切りは確実に守る。それだけは死守しなければならない。どれだけギリギリまで仕事を後回しにしても、きちんと仕上げる事はこの楽しみにおける鉄則なのである。

 

しかしいくら他人に迷惑をかけないように心がけているとはいえ、そんなことをしているとたとえ信用とお金は守れても失ってしまうものがある。

 

それは当たり前だけれど、時間そのものである。

 

仕事をしていない時間に何をしているかといえば、何もしていない。

 

いや、言い換えれば、何もしていないをしているのかもしれない。

 

椅子に座ってパソコンの画面を見つめながら、ああ、そろそろあれをしなければいけないなあ。でもあれも出来ていないしなあ。そう言えばあれも今のうちにしておくと楽なのになあ。

 

というようなことを考えているだけである。

 

ただそれにもいい面がある。何をいつ、どうやってするかを考え続けると、あるリストが出来上がるのだ。人はそれをtodoリストと呼び、神仏と同じように崇め奉っている。

 

なので端から見れば何もしていないように見えながら、頭の中ではtodoリストが見事に整理され、それに沿って仕事をすればほぼ完璧に、しかも余裕をもって出来る状態になるのである。

 

何も作業を進めないままに頭の中で完璧に出来上がったリストをうっとりしながら眺めていると、いつの間にか1時間が経過している。

 

するとどうなるか。

 

1時間を無駄にしたので、todoリストをまた書き換えなければならないのである。どれだけ理想的なリストがあったとしても、それを行動に移さなければ終わりは見えてこない。

 

実はこの書き換え作業は最初のリスト作成とちがってとても忙しいものでもある。もともとあるものをさらにシビアに調整しなければならないので、ゆうに2時間はかかる。

 

「ああ、作業に使える時間が1時間減ってしまったから手間のかかるあの作業を先にやって、あの見積は後回し、なので先に1本電話だけかけて予防線を張って、取り急ぎ猶予をつくろう。で、あの企画と並行して提出用の報告書を書けばなんとかなるな」

 

と、それだけの時間をかけたことに見合う、またこのタイミングで考えうるかぎり完璧に近いリストができあがる。その采配、戦国の名武将黒田勘兵衛も真っ青な出来。

 

「こんな素敵なもん見せられてしまったら、私、黒田やなくて青田勘兵衛になるわ。どないしょ」みたいな出来事が起こる。歴史が変わる。

 

しかし問題が1つあって、その問題とはご存知の通りこの脳内リストが完璧すぎてまたうっとりしてしまうのだ。

 

 脳内パーフェクトtodoリストは後光が差しているかのような輝きを放ち、もしこれが僕の脳内ではなく書面にでもなってしまうと、会社の人達が我先にと奪い合い、もしかしたら殺し合いに発展し、戦国時代に逆戻りしてしまうのではないか、というぐらいの理想のリスト。そんなシンドラーもおまたをビショビショに濡らしてしまうくらいの素敵なリストが世に出てしまうと、ビートたけしが皆に殺し合いを進めるような殺伐とした会社になってしまう。

 

「今からちょっと殺し合いをしてもらいます」

 

仕事を円滑に進める為のリストの争奪のために、会社内が蠱毒のようなありさまになる。大口顧客の担当を巡って計略を張り巡らせるような会社と似た様な雰囲気であり、ある意味では理想郷なのかもしれないけれど、倫理的にまずい気もする。なのでもうこのリストは外部に出さずに箱入り娘のように愛でる以外の選択肢がない。

 

しかし、それを大切に愛でているとまたいつの間にか1時間が経ってしまうのだ。

 

「素敵なものを眺めていると時間がすぐに過ぎてしまうね」なんて、どう見ても嫌な顔をしているホステス風の女性に対して、同伴とかすかな売り上げ貢献をダシにしてむりやり連れてきたおっさんが美術館で言う様な台詞がポンポンと沸いてくる。沸いているのは言葉?それとも頭?

 

しかしまた1時間が過ぎているので新たなリストを作らないといけないのだけど、ここで何物にも代え難い重大な要素が振りかかってくる。

 

そう、昼食の時間である。

 

タイム・オブ・ランチ。会社組織から開放され「個の尊厳を養う」大切な時間の到来である。

 

我が社はフレックス制なので別にいつ事務所を出ても問題ないのだけれど、僕は時計の針が12時を示すと同時に一目散に事務所から飛び出す。なぜなら、それが一番OLが活発に動き始める時間だからだ。外の空気と制服姿のOLさんを満喫したくなるのは種の持つ本能であるから、その本能に従い、飢えた猛禽類の様な目をしてOLを眺めるのだ。

 

個の尊厳を養うとは、いうなればアイデンティティを確立するための時間である。

 

なので僕はアイデンティティはどこですかアイデンティティはどこですかと呟きながらOLが長期滞在していそうなBAGEL屋さんやカフェ、お弁当屋さんの前をうろうろして高速で首を振り、素敵なOLがいないかアンテナを張る。

 

その感度、いつでもバリサン。光速で動く頭と手はまさに阿修羅そのものである。顔は3つに増え手は6本。この状態になればどこでOLが転んでしまってもさっと手を伸ばせる。見た目は阿修羅、頭脳は菩薩。オッス、おら名探偵!

 

しかしだからといって仕事を忘れないのが社会人の基本でもある。頭の中のスーパーコンピュータでエクセルをひらき、いつ使うのかもわからない統計をとっていく。制服の色、スカートの長さ、手に持っている財布のブランド、シュシュの形状から髪型、髪色に至るまで綿密に調査していく。情報は宝だ。こうやってOLさんの趣味嗜好を把握する事で、プレゼントしたものがメルカリで売られることを防ぐのだ。

 

全にして個、個にして全と、ナウシカに対して王蟲は伝えたけれど、OLの統計もまた然りである。全てのOLを統合することで理想の個としてのOLが出来上がっていく。

 

さらに王蟲が言うことが本当であれば、すなわち公園でランチライムの過ごしているOL達の全ては僕であり、僕こそがOLそのものであるとも言える。なので昼休みが終わる頃には、僕は阿修羅かつ菩薩かつ仕事の鬼かつ敏腕統計員かつOLでメルカリ。もう怖い物など何もない。世界を滅ぼす力をもった巨神兵ですら僕の事を「ママ」と呼ぶだろう。そして僕は彼に「オーマ☆若干の腐りあります♡値引き交渉賜りチュー☆」と名付けるのだ。

 

そんなこんなで会社に戻って机の上を見ると、「◯◯社から電話あり。書類の提出期限が大幅に過ぎています。至急返答要すとのこと」と一切の乱れのない丁寧な文字でかかれたメモが貼られていた。おお、これがラブレターならこんなに嬉しい事はないのに、などと考えながら、この文字の持ち主が社長であることを脳みその奥にしまい込む。

 

「そんな書類、依頼されてたっけ」

 

とニワトリよりも軽い頭をひねりながら、またtodoリストを1から作りかえる為にコーヒーを買いにいくと、ちょうど社長と鉢合わせた。言われるがままについていき、仕事および責任感についての討論会を開く。討論会とはいっても、社長の独壇場である。僕は右から左へと言葉を流す作業に没頭し、自分を回転寿司屋だと思えるようになったころに、やっと部屋から出る事を許された。マグロマグロ赤貝マグロとびっこサラダ軍艦ハンバーグと呟きながらコーヒーを買う為に自販機の前に立って空を見上げると、なぜか薄暗くなってきている。冬は早く日が沈むといっても、いくらなんでもはやすぎないか。

 

あれだけあった自由な時間は一体どこにいってしまったのか。僕はもしかしたら時間泥棒に時間を盗まれてしまったのかもしれない。この世にも、モモは存在してくれるのだろうか。だれか僕の奪われた時間を取り返してくれないか。

 

そんなことを考えている間にも、刻一刻と退勤時間は近づいてくる。 

 

今はパソコンに向かっている。手元にはtodoリストなんてものはない。あんなものを作っていると、満足度は高くなるかもしれないけれど仕事が一向に進まなくなるからだ。

 

todoリストにこんな弊害があるとだれも教えてくれなかったので、ここに記しておくことにする。