僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

おじいちゃんの入れ歯切っ掛けでオナニーを始めると後悔する。

例えば自分の息子なり娘なりが思いつめた表情で自分の前に立ちふさがったとしよう。

 

なんだなんだと身構えたところ、いきなり2人揃って卒業式の思い出を述べる時のような状態で

 

「「お父さん!!」」「僕たち」「私たちは」「明日から」「音楽で」「「食べていきます!」「「食べていきます!!!」」

 

みたいなことを言い出したら、一体どうしたらいいだろう。

 

と、自分に息子も娘もいないのに考えてしまった理由は、僕のおじいちゃんが僕の知らない間に入院しており、また僕の知らない内に退院もしていて、そんな重大な事が僕の知らない間におこるなんていうのはこれは本当に危ないぞ、このままいくともしかしたら僕の知らないうちにおじいちゃんが死んでしまい僕の知らないうちにおじいちゃんが転生してしまうようなことが起こってもおかしくないかもしれない、そうなると生まれ変わったあとのおじいちゃんはきっとカートコバーンの生まれ変わりでもある押尾学であるし、そうなると押尾学が僕のがおじいちゃん?でもそれじゃあおじいちゃんが年下になっちゃう?すなわちおじいちゃんと同じ様な年齢だったおばあちゃんも年下?いうなれば若女将は小学生?それに類似するのはよくエロ本とかで見るお父さんの再婚相手は僕より年下だった系?しかもそれが実はお父さんとの結婚は偽装であって実は僕と近づく為だった?みたいなことになり、それは結果的におじいちゃん切っ掛けでズボンを脱ぐ様なことになりうるよね、それはそれでなんとなくつらいよね、なんていうどうでもいい事を考えてしまったからであり、またそのおじいちゃんは冒頭の子供たちが言ったような、音楽で食ってきた人間であったことを思い出したからである。だから余計に押尾学に転生してしまうかも!なんて思っちゃったんでしょうね。ついさっきの僕は。

 

そのおじいちゃんは端的に言うと広告の音楽製作をしたりフォークソングを作ったり音楽教室の先生をしたりしておばあちゃんを始めとした家族を育ててきたのだけれど、これは先に書いたように親が対処に困るトップクラスの出来事である「子供が音楽で飯を食おうとする」をとうに追い越して、「親が音楽で飯をくってきた」という揺るぎない事実である。

 

しかしそのようにとても身近に音楽を仕事にして家族を養ってきた人がいるにも関わらず、例えば僕の身近な人間が「おれ、音楽で食っていきたいんだよな」みたいな相談をしてきたとしたら、いったいどのように答えるだろうと自問自答する事数分、結局そんなことを僕に相談する人は誰もいない事に気がついて考えるのをやめた。 

 

ではいったいなんの為にこのような事を書き始めたかといえば、今週のお題が「歯磨き週間!」であること、しかし自分にはそのようなお題でかけるような題材がないこと、そしてそれでも何かないかと考え続けた結果として、脳裏におじいちゃんの入れ歯が思い浮かんだからである。

 

しかし、またここにきて困ったことに、僕にはおじいちゃんの入れ歯についての思い出がまったくない。ほんのぽっちもない。なぜならその入れ歯はおじいちゃんのものであり当たり前であるが僕の物ではなく、さしあたって脳裏におじいちゃんの入れ歯が思い浮かんだだけでそれに付随する思い出がなくとりあえずおじいちゃんの事を書きはじめたところ結果的にズボンを脱いでしまっていたのであるが、これは言うなれば「おじいちゃんの入れ歯が僕にオナニーを喚起させた」ということにもなりうるのであり、なれば入れ歯つながりで先日どこぞで聞きかじった、総入れ歯の人にして貰うフェラチオが気持ちいい、という話でも書きたいなと思ったのだけれど、しかしこれもこれで一つの問題がある。

 

その問題とは総入れ歯の人にフェラチオしてもらったのは僕ではなくまったくの他人でありしかも一切の面識のないネットで見ただけの人の体験談であること、すなわち僕は体験すらしていない見ず知らずの人の出来事をさも自分の出来事のように書くことになり、いみじくもそれは文化の盗用であり、ともすると炎上案件となるのでここでは書かずにおこうと思うけれど、しかしいつかは僕もその妙味を味わってみたいと思っているので先日誕生日プレゼントで購入したpaoによりバキュームフェラチオ力が鍛えられた妻が総入れ歯になるまで待つ事にし、僕もその時期が来るまできちんと男としての機能を維持出来る様に、毎日歯を磨いて頑張りたいです。

 

終わり。

 

 

と、ここまで書いたところで、はてなブログにおいてお題ブログを書く際に見かける注意点、また、本来は消すべきである文章なのに消されずに残っていることの多い文章ナンバーワンの地位を我が物にしている

 

(この行を消して、ここに「私の歯みがき」について書いてください)

 

 

という一文が目に入った。

 

 

そして僕は、

 

 

「しまった。」

 

 

そう思った。

 

 

このわざわざ「」で区切ったしまったは、今回のお題は歯に対する思い出などではなく、歯磨きに対するこだわりだったのか、ということに対しての、しまった、である。

 

 

最初から間違っていたのでタイトルも内容も本来の趣旨から逸脱している気がしないでもないけれど、しかたない。というかそもそも僕は本来の趣旨を守った事があるのだろうか。

 

まあ別にそんなことはどうでもよく、結局貞操を守ったとて童貞童貞と馬鹿にされてしまうこの世の中ではそんなものを守っても守らなくても誰の迷惑になるわけでもなく、ではここからは一気呵成に私の歯磨きについてのこだわりを書こうと思ったけれど、元来の喫煙習慣から黄ばんだ歯、駅前の不法駐輪自転車のようにガチャガチャの乱杭歯をもってして何を偉そうに歯磨きのこだわりだのを語ろうというのだろうか。

 

汚い歯を維持する方法?

 

誰がどう考えても馬鹿げているし、そんな事を誰も知りたがらないのは火を見るより、というか歯を見るより明らかである。 

 

なのでここは一つ、つい先ほど歯に関してふと物語を思いついたので、その概要を書いてこの記事のまとめにしたい。 

 

 

 

一日の終わりに洗面所で歯を磨きながら「いやあ、なんか分かんないけど日がな酒が飲めて煙草が吸えて毎日が幸せだなあ」つって鏡を見たら煙草で黄ばんだ歯が気になって必死こいてヤニの黄ばみを落とそうとしつこくしつこく磨いたら歯周病と歯茎の磨き過ぎのダブルパンチで歯茎から血が出ましたって内容の話なんですけど。

 

タイトルは

 

「幸福の黄色い歯から血」っていうんですけど。

 

 

まあこれもタイトルからしてすぐ分かると思うんですけど。

 

 

ただの駄洒落なんですけど。

 

 

そんな感じですけど。

 

 

何か言いたい事でもあるんですか。

 

 

僕はないです。

 

 

 

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