僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

恋愛について書こうとしても結局おっぱい。

多分僕の前世はナメクジかカタツムリのどっちかじゃねえかなってくらいに女体を舐め濡らしながら這いずり回っているのが一番落ち着くんですがね、なのでそういった類の話であればノロウィルスに当たった時の上下のお口のように垂れ流すことが可能ではあるのだけれど、しかしこれがまあ恋愛に関して何か書けるかっていうともう急に大リーグ養成ギプスでもつけられたのかなって錯覚してしまうくらいに指が動かなくなってパソコンのキーボードも静まり返ったお通夜状態になる。

 

じゃあ別に恋愛に関することなんて書かなければいいじゃんと思うかもしれないが、それは僕が一番よく分かっていて、じゃあ書かなければいいじゃんってお通夜のパソコンの画面に写っている自分に向かって声をかけている今この時。

 

しかしそれでもなお恋愛について書こうと思うのはひとえに向上心からであり、いつものように手癖で下品なことばっかり書いてたんじゃこれ以上人間的な成長が見込めないなと気がついたからでありこのままでは自堕落に生涯を終えてしまう懸念がフツフツと湧いてきたのはなんとなく老いを感じてきたから。

 

であれば僕が一番苦手としている恋愛についての文章を書く事が出来れば僕も人間の階段を1段登る事となり、すると結果として一つ上の男になれるしそうなると東京上野クリニックの人達がいうように大人の階段を登る事ができるそれすなわち包茎ともおさらばって寸法。

 

苦手が克服出来てちんぽの皮も剥けたらこれはもう人間的に二次成長期を超えたといっても過言ではなく、僕は年齢35歳にしてやっと声変わりを迎えられるのでどうかこの文章を無事に書き終わった際にはどうか祝ってやって下さい。

 

さてでは恋愛についてこれから頑張って書いていこうとは思うのだけれど、こう見えて僕は結婚というものをしており、その際には当たり前であるけれど妻、という存在もある。

 

また、僕と妻とはお見合いや政略結婚なんてものではなく友人の友人として出会い、言うなれば石の裏にうじゃうじゃいるダンゴムシと同じくらいありふれた出会いを経たのちに彼氏彼女を満喫してから紆余曲折を経て結婚という、これもまた尻の穴から顔をだすサナダムシと同じくらいありふれた経歴をもっている。

 

ではその中に彼氏彼女期間があったではないか、それはすなわち恋愛をこなしているではないか、と自分でも思ったのであり、であれば僕にだって経験があるのだから何かしらかけるかもしらんと思って今こうやって文章を書いているのだけれど、ではそこで思い出せる妻と僕との青春のやり取りはどうだ何か特筆すべきものがあるかと問われたら、何一つ無い。

 

いやいやそんなことはないだろうと過去の自分を訪問し詰問し拷問してみると何とか一つの思い出がでてきて、それはかつて僕に似合う髪型はモヒカンしかないと思い込む時期があったことだった。

 

そう、思い込んだら一直線の星飛雄馬的な僕はさっそく馴染みの散髪屋に向かいこれも馴染みの少し禿げかけた親父に「できるだけ綺麗なモヒカンにしてくれ」と依頼したところ幅4センチ高さ15センチの注文通り見事なモヒカンが出来上がり、鏡に映った世紀末的な見た目に僕はなるほどやはり僕にはモヒカンが一番似合うなと凄い満足した記憶がある。

 

そしてその髪型を維持したまま妻とのデートに向かっていったのだけれど、その時の僕の頭の中で渦巻いていたのは「ギャップがある男がモテる」という単語であったが、それはあくまでも単語のみでありそこに真っ当な意味を見いだす事ができていなかったため、当時の僕にできた最大限のギャップとはすなわちモヒカンの対極にあるものはサラリーマンの戦闘服であるスーツでないかという短絡的思考であり短絡的奇行でもあるが、しかし普通のスーツではなんとなくつまらないなと考えていたのも事実の一つ、一体全体お前の基準はなんなのだと問いたくもあるのだけれどそれが若さだとも思うのであの頃の僕は何も間違ってはいないのだけれど、取り急ぎギャップを作り出す為にその時自分の中で大ブームだったワインレッドのベロア素材のジャケットに赤い蛇柄のシャツを着て、ジャケットと揃いのこれもワインレッドのベロアのパンツをはき足元は金のドクターマーチンというキチガイじみたサラリーマンの格好で妻との待ち合わせに向かったのである。しかしまあ今更考えてみる間でもないけれど、そんなサラリーマン見た事ない。

 

僕の姿を見つけた妻は最初見知らぬ人の振りをしようとしたらしいのだけれど、なんとも嬉しそうな顔をして近寄ってくる赤ベロアのセットアップ赤蛇柄のシャツ整えられたモヒカンサラリーマンの僕をみてなんとなく笑けてしまったらしく、その場から立ち去ることができなかったらしい。

 

そして対面後に妻が放ったひと言はカッコいいでもキモいでもなく「求婚期のニワトリみたいやね」というなんとも一般的な言葉であったのだけれど、そうなると僕はもう世紀末覇者の世界の住人ではなくジョージオーウェルの動物農園の登場人物みたいな感じ?ビックブラザーがもし僕の事を見ていたとしてもきっと「ああ、あの人はもう別の世界のひとだから僕は気にしないよ」なんて言ってくれるかもしらんし、僕の中のビッグダディはいつまでたってもセックスのことしか考えていないしダディの元妻のヌード写真が今になって見たいなあと思うしビッグブラザーは動物農園には出てこないしなぜビッグブラザーを出したのかっていえば僕が1984年生まれだから。お誕生日おめでとう。ありがとう。ちなみに生まれたのは今日じゃない。ほんとに嘘つき。

 

しかしここで一つ気になるのは求婚期のニワトリが果たしてそんな風に派手な色合いに変質するのかということなのだけれど、調べても調べてもそんな情報は一切ないのはこの世の不思議、この世にはわからないことがたくさんあるなあ、どんな風が吹いても負けない人になろうなあと地獄先生ぬ〜べ〜のオープニングソングを口ずさんだのち妻にかつての言葉の真意を問いただそうとしたところ「そんな事言うてへんで」との返答をいただいた。

 

すなわちそれが何を意味するのかと言えばこれは僕が僕自身の記憶を改竄していると言う事であり、妻はそんなことを言っていない、しかし僕はそんなことを言われたという相違であり、妻がそんな嘘をつくはずないのでこの脳内のやりとりから分かることがあるとすれば、僕は誰かから「求婚期のニワトリみたい」だと言われたいのではないか、という隠れた欲求の発見である。

 

恋愛について語ろうとしたが故に自分の隠れた欲求を発見できたというのはなんとも幸せなことであり、なぜ幸せなのかといえば隠されたものが見つかるのは幸せだからだとしか言いようがない。

 

だからおっぱいとか見えると嬉しいんだよ。そこんとこ分かってる?

 

よって僕にとっての恋愛とは「おっぱいを見ること」だと結論づけていいと思うので、今日は引っ越したばかりの家のお風呂についている鏡で自分の胸についている突起物を見ながら手淫にふけろうと思います。

 

そして結局恋愛について書かなかったというか書けなかったので成長もしていませんしお祝いもいりませんし包茎も治っていません。

 

それでもしっかりと生きています。

 

ご静聴ありがとうございました。