僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

幸福のソーセージと言われてもピンとこない。

今、僕には悩みがある。

 

その悩みを簡単に言えば、本当にソーセージ作りをしようと色々考えて、このブログに辿り着いた人がいたらどうしよう、というものだ。

 

「別にそんなことは気にしなくてもいいんではないか」と僕の中にいるもう一人の僕、タッチの達也における和也のような存在がそんな優しい言葉をかけてくれるのだけれど、僕にだって一応良心の呵責というものがある。

 

このままだと「ソーセージに関する事を調べているのになぜ糞みたいな下ネタを読まされなければならないのだ」と思われてしまうようなサイトでしかなく、読んだ人から不幸の手紙が届くという可能性も少なくない。

 

そうなると僕の繊細な神経では耐え切ることは不可能であり、しかも不幸の手紙が届いたとしても次に出すべき友人知人のいない身なので絶え間なく降り掛かってくるであろう不幸を一心に背負ってしまう未来しか無い。そうなってしまえばソーセージを作る為に必要なこの身体がどうなってしまうかもわからない。

 

インターネットという孤独が集約した様な世界において、献身的に僕を支えてくれたり守ってくれたりする朝倉南のような女性は存在しないのだ。

 

だから今回は、きちんと僕なりのソーセージ作りについて書き、ソーセージの普及に尽力するのはもちろんソーセージ作りに役立つ話をしたいと思う。

 

でも、またいつの間にか下ネタになってしまっていたら本当に申し訳なく思う。けれどそれはそれとしてわざわざ僕にぶつけるのではなく、各々の心の中に憤懣や怒号をそっとしまっておいていただきたい。

 

僕にそんないらだちをぶつける暇や余力があるのなら、餅をつくやらコーヒーミルを挽くやらにその体力を使ってもらったほうが少なくとも生産性があるし発散もできるだろう。ついでに美味しい餅を食べたりコーヒーを飲んだり出来るのでとても有意義だと思います。そのままつきたての餅を喉に詰まらせて挽きたてのコーヒーで流し込めばいいんじゃないでしょうか。

 

さて、とりあえずこれで僕の身に降り掛かるであろう不幸をなんとなく遠ざける事が出来たかなと少し満足しているのではあるが、最近どうにも納得いかないことがある。

 

それはもちろんソーセージ作りにまったく関係のない事であり、どちらかといえばそもそも僕の存在と対極にある存在なので語る必要もない気がするのだけれど、ずっと心に引っかかっているからこそ書かざるを得ない、そう、幸福のパンケーキについてである。

  

ふわふわしている、柔らかい、甘い、という往年のゆるふわガールブームを彷彿とさせるワードをこれでもかと詰め込んだ存在、幸福のパンケーキ。食べてる人達もなんとなくゆるふわ。

 

何が納得いかないかを書きたいのだけれど、まず「幸福のパンケーキ」という単語をキーボードで打つ、もしくは口にしてしまっただけで、何となく気持ちがふわっとしてきてしまうところがあげられる。なので幸福のパンケーキと打った時点で、なんだか文句なんてどうでもよくなってしまうし、納得いかないままでも別にいい気がするし、どちらかといえば幸せな気持ちになってしまってもいる。

 

酔っぱらって寝坊した挙げ句風呂も入らず下着も替えずに仕事に来てしまい、そのまま家でパソコンを打っている、普段の倍以上に脂ぎった今の僕ですら、未だ食べた事がないにもかかわらずその言葉を画面に垂れ流しただけで心が軽くなってきている。加齢臭で枕が臭いと自分でも分かるくらいなのに、今は指先から心なしかメープルシロップとホイップの甘い香りがしてきている。

 

このようにその名称を打つだけで人のもつ個性や自我というものを颯爽と取り払ってしまい、さらには嗅覚を狂わしてしまうところがまずおかしい。ハリーポッターに出てくる「あの方」と同じように、名前にすら呪いの効果があるのかもしれない。

 

何故そうなるのかを考えると、やはり「幸福」という言葉が大きいのだろう。

 

これは言うなれば「団地妻」や「女子大生」といった言葉と一緒で、単体ではあまり深い意味を持たないただの単語がその後ろの単語を修飾することによって、一気にエロく感じさせるものと同じ系統を持つものである。

 

すなわち「幸福のパンケーキ」は、文章の構造的に「団地妻の誘惑」や「女子大生の仁美」「エグザイルのATSUSHI」とほぼ同じものなのだということだ。ただのATSUSHIはさしてエロくないけれど、エグザイルのATSUSHIはなにかエロい気がするだろう。

 

であれば、それを求める人達、例えば梅田の外れに建立するあのパンケーキの店に並んでいる人達と信長書店でセクシー女優の握手会に並ぶ人達は同じ人達であるともいえるし、むしろそれだけではなく「阪急百貨店の物産展」というのも「幸福のパンケーキ」と同じような名前の構造をもつものなので、あそこに詰めかけているマダム達もまた同じ人達であり、さらに言えば南堀江にあるエグザイルトライヴステーションに並んでいる人達も同様なのだ。

 

ということは、恐らくこの世の中の人達の殆どは同じ様な種族の人達であるといえるだろう。なのでそういった場所に並んだ経験のある人達は、今一度自分を見つめ直さなければならない。

 

あなたは「コミックのマーケット」に集まる人達を横目にみながら「まんのだらけ」で漫画を物色したりしていないだろうか。「ラーメンの次郎」に並ぶ人達に文句を言いつつ、自分は「スターのバックス」でコーヒーを買う列に並んではいないか。「ドトーのル」でコーヒーを買う人を馬鹿にしながら、自分は「ポッのキー」をシェアハッピーしていないだろうか。「ゲスの極み乙女」を聞きながら「俺の話を聞け」とシャウトしたりもしていないか。

 

僕は大体している。コミックマーケットに行ってみたい。次郎を食べてみたい。ポッキーの口移しがしたい。ゲスになりたい。

 

そうやってお互いに差別をもったり偏見や誹謗中傷でお互いを傷つけるのは、自分自身を傷つけるのと同じ行為なのだと早く気付かなければならない。

 

いわばエグザイルは百貨店の物産でありラズベリーホワイトチョコレートフラペチーノはアブラヤサイニンニクマシマシでありミラノサンドBごろっとアボカドとぷりっとエビはもうポッキーそのもので川谷絵音は横山ケンでありATSUSHIはATSUSHIである。

 

そう考えれば人類皆兄弟まではいかなくても趣味の合う知人友人にはなれるのだから、喜びは皆で分かち合えるし、悲しみは皆でファンファンウィーヒーザスターッテすることが出来るのだ。間違っても、私以外私じゃないの、なんて悲しい事は言わないでいただきたい。

 

相変わらず何を書きたいのかが分からなくなってきたから、最初に戻ろう。

 

ソーセージだ。

 

普段から下品な話を書いている僕だけれど、あえて下品になってしまうようなテーマをマトモに書いていこうと思う。

 

そのテーマとは、ソーセージにおける太さの話だ。

 

まず極めて簡単かつ暴力的にソーセージの種類を分けると、2つに分けられる。口に咥えるのを躊躇うほどに太いのと、ずっと咥えていられるくらい細いものだ。

 

結局下ネタじゃないかと思われたかもしれないが、ちょっと待って欲しい。

 

言葉が過剰だったことは素直に謝る。これから書くことは本当に下ネタではない。使う腸によって太さが変わるという話をしたかったのが、筆が滑ってその筆を口に咥えてしまったのだ。とても美味しいじゃないか。塩が効いてる。

 

そんなことより、腸はソーセージ作りに欠かせないものであり、これによってまず2種類に分類されると説明したかったのだ。僕が求めているのは誹謗中傷ではなく幸福のソーセージなのだ。

 

ソーセージを作るときによく使われるものには、羊の腸と豚の腸がある。

 

本当は牛の腸(ボロニアソーセージなど)や人工ケーシング(魚肉ソーセージとか)などもっと種類があるのだけれど、それを書き出すと本当に長くなってしまうので、今回はその2つに絞って書いていきたい。

 

ソーセージの太さは使う入れ物、俗にいうケーシングによって変わる。

 

まず、普段スーパーで良く見かけるウィンナーと呼ばれるソーセージ、袋詰めになっていてお弁当等に使いやすいあれらは羊の腸を使っていることが多い。直径で言えば2cm未満というのが日本での規格になっている。作る時に比較的細い注入器を使うので、細かくミンチされ、液状化した肉を使う事が多い。

 

もう1つはコンビニや祭りの屋台でよく見かける、フランクフルトというソーセージだ。これは豚の腸を使い、太さは2cm以上3.6cm未満であることが決められている。ぶりっとした食感の大きめ肉が入っていることもある。

 

昔は使う腸によって分けられていたらしいけれど、今は規格サイズに沿っていれば天然の腸を使っていなくてもソーセージを名乗れるらしい。

 

細かい部分は日本農林規格を確認すると面白いと思う。

http://www.maff.go.jp/j/jas/jas_kikaku/pdf/kikaku_04_soseji_160224.pdf

 

特に必読すべきなのは、最初のこの部分。

 

家畜、家きん若しくは家兎の肉を塩漬し又は塩漬しないで、ひき肉したもの(以下単に「原料畜肉類」という。)に、家畜、家きん若しくは家兎の臓器及び可食部分(以下単に「原料臓器類」という。)を塩漬し又は塩漬しないで、ひき肉し又はすり潰したものを加え又は加えないで、調味料及び香辛料で調味し、結着補強剤、酸化防止剤、保存料等を加え又は加えないで練り合わせたものをケーシング等に充塡した後、くん煙し又はくん煙しないで加熱し又は乾燥したもの(原料畜肉類中家畜及び家きんの肉の重量が家兎の肉の重量を超え、かつ、原料畜肉類の重量が原料臓器類の重量を超えるものに限る。)

 

何を書いているのか分かりにく過ぎて逆に面白い。

 

「加え又は加えないで」が執拗に繰り返されるこの文章を見ていると、どれだけ悩みながら規格を考えてきたのか如実に感じられるのが、本当にいいではないか。

 

とりあえずこの文章を平坦に言えば、

 

材料は羊とか牛とか豚とか鳥とかウサギの肉を使って、それを塩漬けにしていても塩漬けにしてなくても別にいいんだけど、とりあえずミンチにしたやつを使うのよ。で、内蔵とかももったいないから使うよね。だからそれも羊とか牛とか豚とか鳥とかウサギの内蔵とか血をミンチにするかすりつぶすかしてね。でも別にそれは入れても入れなくてもどっちでもいいから。で、調味料や香辛料で味付けしてね。決着補助剤とか酸化防止剤とか保存料も使ってもまあいいよ、無理に使わなくても大丈夫だし。ほんで、ケーシング(腸って書いちゃうと人工のやつ使ってるやつをソーセージって言えなくなるからごめんなさいね)に入れてね。そのあと、薫製しながら加熱してもいいし、特に薫製しなくても別に文句は言わないんだけど、とりあえず加熱はして欲しいんだ。でも加熱が無理ならせめて乾燥させて菌が繁殖しないようにしてね(あと、全体の肉の重さの中でウサギの肉が半分以上になるとダメだし、そのうえで臓物の重さが肉の半分以上になってもだめだからね)。

 

という事が書いてある。

 

コレ、ウサギさん不憫すぎない?

 

半分以上ウサギだったらソーセージと認めないからねってわざわざ名指しで宣言されてる。花いちもんめでもドッチボールのチーム分けでも最後まで選ばれなかった過去を思い出して、自分を重ねて悲しくなってしまう。可哀想なウサギと僕。

 

それで、腸じゃないケーシングと言うのは、簡単に想像出来るもので言えば、魚肉ソーセージやポールウィンナーに代表されるような、ビニールみたいな素材で作られたもの。太さが一定なので、大量に作るときにはこちらのほうが良い場合があって、コラーゲンで出来ていてそのまま食べられるものある。

 

コラーゲンケーシングは天然の腸より美味しくない、という人もいるけれど、僕みたいに舌が馬鹿になっているとそう簡単には見分けがつかないので別にどっちでもいいんじゃないでしょうか。ちなみにメートル単位で比べると、人工の方が安い気がします。

 

いつも僕が使っているのはネットで買っている天然羊腸で、4mが540円、1m当り135円になる。

 

僕がソーセージを作るときには大体1キロの肉を使うのだけれど、羊腸を3mくらい使う。色んなブログを見ていると、1キロで4mだとか500gで2mだとか書いていたので、それに倣っていたのだけれど、多分余裕を持って書いているのだろう。でも今の状態だと135円を捨ててしまい兼ねないことになるから僕はこれから1.3キロでソーセージを作る事を誓います。

 

他にも、肉類以外に穀物を入れる時には50%以下にしてよ、だとか細かい規定があるのだけれど、自分で食べるだけだからそこまで細かいことは気にしなくてもいいだろう。

 

ここまで書いてきて分かったのは、いちいち細かい事まで調べて作ると本当にめんどくさい、という事だ。色んなブログを見てきたけれど、規格については太さに軽く触れるくらいで細かく書いていないところが多かった。その理由が少し分かった気がする。

 

で。

 

多分ソーセージを作った事がある人が1度は悩むのが、食べたときのハリがどうやったら出るかなのだけれど、この間作った時に理想的な固さが出来たので、その時にした事を備忘録代わりに書いておく。

 

まずはどれだけ丁寧に捻って吊るすか。捻りが緩いとハリが出ないのだ。理想的な固さは、半勃起の状態でコックリングをつけたときのくらいの固さが理想である。下ネタはやめておこうと深く誓った身ではあるが、適切な比喩というものは自分の経験からしか産み出せないのでもうこれは致し方ない。皆でコックリングをつけよう。

 

次に、ネットでよく見るのだけれど、吊るしてからの乾燥は1時間では足りない。冷蔵庫で1晩くらいが理想。セックスのあとにシャワーにも入らずしばらく放置していた陰部くらいの乾燥具合になっていれば問題ない。

 

塩の量は減らさない方がいい(低塩分で作るのであれば、結着補助剤が無いと厳しい)。舐られたとき、ちょっとしょっぱいねと笑顔で言われることほど嬉しいものはない。

 

薫製はスモークウッドで90分以上と、前戯と同じで長めが基本、ボイルの時間は挿入の理想と同じ20分程度、温度はジースポットを刺激できる角度と近似値の63℃から68℃キープしておく。

 

どうだろう、コレが僕の求める幸福のソーセージだ。これをすることで、僕のソーセージが最初から最後までプリッと感がキープされることになるのだ。

 

さて、久しぶりにマトモな文章を書いた気がするけれど、何となく下半身に違和感がある気がする。

 

冷蔵庫で寝かしてもいないし塩分もそんなに高くないのに、いつの間にか僕のソーセージがプリッとしてきている。コックリングもついていないはずなのに、乾燥とはほど遠い濡れ具合だ。

 

いきなりまともな話をしてしまったからなのか、それとも別の理由があるのは自分でもよくわからない。

 

ああ、誰かこんな僕のわがままなソーセージを、優しく包み込んでボイルしてくれないか。

 

そういえば最初に考えていた不安の解消を忘れていた。

 

ソーセージの美味しい作り方を求めている人へ。 

 

このブログには、なんの解決法もないですよ。