僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

「抱かれたら負け」と書いて、抱負。

今週のお題「2019年の抱負」

 

今年の抱負を書きたいと思い、その前に他の人はどんな抱負を書いているのだろうと思って色々なブログを読んでみると、

 

「明けましておめでとうございますぅぅぅうううぅぅぅ!!!最初は月刊pv数5000という弱小ブログだったこのブログも、今では50記事にもなりまして累計25万pvですぅうぅぅ!昨年もありがとうございますぅうううぅぅぅぅ!本年も4649お願いしまつつつつつうううううううううぅぅぅ!!今年の抱負は目指せ100万pvでぅぅぅっぅぅぅぅ!!なのでついでに読者登録お願いしますぅぅぅぅぅううぅぅ!!!登録したあかつきにはぁあぁぁ、私が幸せになれますぅぅぅ!(笑)」

 

みたいな文章が書かれており、そういったものを見る度、

 

「え?そもそも5000ですら弱小なの?僕なんか60記事近いのに未だに一日のpv数なんか多くて20くらいですけど?月間で300いけば感謝しかないですけど?昨日に至っては3ですけど?貴方で弱小なら僕はなんですかねえ?あれですか、そりゃもう虫けら以下は当たり前、いやはやそれじゃあ虫がかわいそうだから、実際のお前は前日のオナニーでちんこにくっついたままになっててトイレの駅で発見されてそのまま汚ねえ男子便所に流される運命のティッシュの切れ端ですよってか?それでも見てる人はみてるから頑張ってねってか?上から目線で?そうですよねえ、当たり前ですよ!だって3ですから。世界のナベアツがバカになる数字ですからね。てか何笑ってんだよしばくぞご教授ありがとうございますでもなんも面白くねえよ殴るぞごめんなさい」

 

みたいな支離滅裂な気持ちになり、またそういった方々の読者登録者数をみると3桁4桁、いうなれば渋谷を闊歩するイケイケなヤリマンヤリチンの経験人数ごとき数字が騒然と並んでおり、ああそもそも元々がヤリマンとヤリチンのあなた方は、愛と勇気とティッシュペーパーだけが友達のほぼほぼ童貞の僕とは生まれも育ちも全然違う世界にすんでいるのですよねえ、などと考え、どうせ僕は便器に捨てられるティッシュ、いやどちらかといえば便器に落ちている陰毛と同等の存在ですよ、亀頭が濡れて力が出ないですよ、新しい顔を作る人もいないですよ、生まれながらの醜面(しゅうめん)ですよなどと自虐的な気持ちになり、この際どうなってもいいやとさらに自暴自棄、お金払っても何してもいいから読者数を増やしてえなあなんてことを考えていたのだけれど、しかしツイッターではインフルエンサーもどきの人たちがお金でフォロワーを買ったのがバレて炎上、別の垢をすぐに作って言い訳まみれの再炎上みたいなことがよくあり、そんな他人の苦労を見ているとやはり自分に正直なのが一番だね、僕は場末のトイレの陰毛で結構、こんなゴミのような存在であろうとも陰毛がもし炎上しようものならそれはパイパンになってしまいますよ、誰にも見てもらえないパイパンなんて清潔であることにしか意味をなさないよね、パイパンは人から見られてなんぼですよ、カバオなんか腹立つ、と一人ぼっちの起承転結を展開収束させた。

 

それにしてももう新しい年が始まってしまったなあなんてことをまた考えると、そういえば昨年はらしさが問われていたなあみたいなことを思い出し、男らしく女らしくは人が決めてはいけない、自らの心に従うべきだという話を聞いて、ああなるほどその通りですねと思ったのもつかの間、実際のところらしさはやっぱり外野が決めたがるのが真理であり僕でもそう、現実社会において誰かにらしさを押し付けたりはしないけれど(そもそも周囲にらしさを押し付けるような相手がいない)、なんとなく思考の断片にらしさを求めてしまうことがよくある。

 

そんな深層の無意識にすらバイアスがかかってたりするから気をつけろって言われてても色々炎上するんだなあ余計に気をつけないとなあ、なんて思いながら考えていると、目の端に何かがチラッと写った。目の前にあるパソコンの横に目をやると、なんとそこにあるのは我が同胞である陰毛ではないか。

 

おやこんにちは、そんなとこで何をしているのと問いかければ、彼は恥ずかしそうにはにかみながら、

 

「この間は助けてくださりありがとうございます。あなた様が助けてくれなければトイレの渦に巻き込まれ、海へと流れ出るところでございました。つきましては何か恩返しができないかと思い、ご迷惑とは思いますがお邪魔させていただいたのです。」

 

なんて陰毛が陰毛に対して殊勝なことをいう。はてしかし、僕が救ったとはどういったことだろうと思い返してみると、そういえば先日我が家のトイレにて、一本の陰毛を拾ったことを思い出した。

 

僕は基本的に小用でも大用でも座ってことを済ませるのだけれど、座って用を足していたら足元に陰毛が一本落ちていた。

 

おや、この陰毛の曲がり方、私のものとは何か違うなと思いながらそれをつまみ詳細に調べてみたのだけれど、やはりこの縮れ方は僕の陰毛ではないと結論づけた。

 

そして我が家は僕と妻と猫8匹の10人暮らし(昔亡くなった猫の幽霊も合わせていいのならば12人暮らし)なので自分の陰毛でなければ確率的に高いのは猫の毛、しかしその毛はどう見ても人の毛でありまた縮れ方からして陰毛であるという名探偵コナンですら顔面蒼白で陰茎膨張するような推理の末、妻のものであると結論づけた。

 

世の中にはフェチズムを刺激するものが多々あり、僕にとって妻の陰毛というものはその中でもなかなか上位に組み込まれる物質の一つであるのでこれは嬉しい拾い物、いいタイミングでお年玉をいただけたなあなんてウキウキワクワクドキドキムラムラしながらパソコンの前へと戻り、ひとしきりその陰毛を舐め倒したのちに思案にひたり自慰にふけり、その陰毛をパソコンの横に置いていたのであるが、その陰毛が恩返しのために声をかけてきたのである。

 

「いやいや、命を救ったとは過大な評価である。君の体験したことを思い返してみなさい。僕はあなたを拾って舐めてねぶってしゃぶり倒しただけでありますよ。感謝するのはむしろこちらの方ですよ」

 

と返答したら、その言葉に彼はまた感謝してくるではないか。

 

「いえいえ抜け落ちてそのまま死ぬだけの私に新たな使命を与えてくださったのは他ならぬあなた様。体が濡れることなどなんの苦労でもございません。私めにとっては濡れることにはなんの抵抗もございません。常日頃から湿気のたまる場所にいました故」

 

なんてことを言い、僕としては満悦至極で下半身しごく。そこまでいうのであればこれからもよろしく願いいたしますと思ったのもつかの間、はてさて妻の股間はそんな始終濡れているような、もしくは湿気で蒸れているのだろうかと疑問が湧き出たのであるが(もし常時濡れているのであれば一大事、早急に舐めたおさなければならないので)、このような問いかけは至極繊細なものであるので妻には問えず、では直接陰毛に尋ねてみようと心を構えた。

 

「なるほど、それではお主、アマゾンやインドネシアの様な三角州の湿地帯、もしくは淫靡なスコールの多発地域にいたのか、なかなかにご苦労であったな、であれば普段からトイレなどはよく見るのであろう」

 

と問うと、どうにも煮え切らない答えが返ってきた。

 

「いやはや私があの場所に落ちたのはもちろん初めてであり、落ちる前には我が同僚もかような場所を見たことはない申し、拙が高所から落ちた時にもあんな白い大きな建造物を見たのは初めてでした」

 

なんていう。あれ、と僕はそこで一つの疑問を持ち、彼に問いただした。

 

「おやおや陰毛さん、あなたの前の職場は妻の股間でしょう。であれば毎日のようにトイレというものを見ているのではないですか、ましてや淫美な蜜を全身に浴びていたのではないか、そしてウォシュレットのスコールに溺れていたのではないか。なんとも羨ましい」

 

「いえ、私は陰毛ではございません。そもそもあなた様の脇に生えていた毛でございます。なので先刻お伝えの通り、いつも湿った場所にいたと申したのです。」

 

彼のその言葉を反芻し、もう一度彼のよく顔をよく見てみると妻の陰毛というにはどうにも線が太い気がするではないか。

 

さらによくよく思い返してみると、僕は彼を見た途端にその陰毛を「彼」として、すなわち男として認識していたのではないか。

 

そもそも妻の陰毛であるならば「彼」ではなく「彼女」であるはずだし、そうなると僕は図らずも僕の陰毛で自慰をしていたにほかならず、これはなんとも年明けからエコな作業に浸っていたものである。

 

「いやはや、貴様は妻の陰毛ではなかったのか。これは騙された。我の楽しかった時間を返せ」

 

そういいながら、陰毛をゴミ箱に放り込んだ。

 

ゴミ箱の中からはもはや声は聞こえず、なんともくだらない茶番に付き合わされたとしょんぼりしたのちまたパソコンの画面と向き合って後学のためにXvideoやpornhubという難解きわまりないサイトの巡回を始めたのであるが、なんとなく心の奥底に引っかかる刺を感じた。

 

その刺と画面に映る女体を交互に見つめながら過ごしていると、一つの気づきを得た。その引っかかった刺を抜きとってみると、先述した「らしさ」に繋がっていたのである。

 

そしてその気づきとは、なぜ自分の脇毛で自慰をしてはいけないのか、これは僕が陰毛の「毛のらしさ」を勝手に決めつけているからではないだろうかという気づきである。

 

陰毛は、隠れている毛である。

 

そこには脇毛であっても下腹部の毛であっても区別される必要はない。なぜならば、その文字の示す通り、陰に潜んでいる毛であればそれは全て陰毛だからである。

 

そして僕は彼のもともとの所属を知るまでは彼に欲情していた。にもかかわらず、彼の元の所属を知ってしまったが故に落胆し、彼に対する態度を変え、はからずもゴミ箱に放り込んでしまった。

 

恥じたい。

 

こんな自分を恥じたい。

 

たとえば今は陰毛の話をしているけれど、これが女性であった場合どうなるか、また男性であった場合どうなるかを少し説明したい。

 

ある女性に対し「ああ、彼女は見た目は可愛いけれど、確か出身が◯◯なんだよね」と言った場合、その発言をした人は左遷決定もしくは首、もう陽の目をみることはなくなってしまい最終的に陰の存在になり栄養も満足に取る事ができずにひょろひょろな体型、いわば毛のような見た目になってしまい、いつのまにか陰毛よばわりされてしまう事は間違いない。

 

また、かたや男性に対して「ああ、あの人は仕事は出来るかもしれないけれど、もともと子会社にいた人間だからこの本社では通用しないよ。だって俺がいるんだもん。どれだけ成果をあげようが俺の評価次第だから」なんてことを言ってしまうと、それはもう、ね、本当にこう言う人がいるからマジで腹立つんだけど、まあそいつはそもそもが陰毛だから。毟ってなげてゴミ箱に投げ捨ててしまえ。

 

みたいな感じになり、もう本当に色々な陰毛に対して申し訳なさを感じてしまい、結果的に何を見ても陰毛にしか見えなくなってくる呪いのようなものを感じてしまうのです。

 

 少し脱線してしまったのでまた話を戻すと、それが誰の、どこの陰毛であるかを問う必要はないのではないか、ということだ。

 

「僕の目の前には陰毛があった」

「僕はそれに興奮した」

 

その2つのみが、真実であり真理である。

 

そして、彼は彼として凛々しくも清々しくも「陰毛らしく」あった。

 

僕が勝手に、彼に「脇毛らしさ」を感じてしまった、いや、脇毛として決めつけてしまった、さらには脇毛では自慰をすべきではないと勝手に決めつけて、いみじくも彼をゴミ箱に捨ててしまった。

 

それらの配慮のない行為こそ、恥じらうべきなのである。

 

そして僕はゴミ箱から陰毛を取り出し、そっとパソコンの横においたのですが、ついさっきトイレにいってる間に妻がその陰毛を捨ててしまってました。

 

「あんな、なんで家のいろんなところにあなたの縮れた毛があるの。ちゃんと自分で処理してよ」

 

というのが、今年の初怒られでした。

 

 さて、長々と書いて参りましたが、今年はそんな反省を活かし、

 

「自分の脇毛でも興奮できるようになる」

 

ということを抱負にしたいと思っております。

 

 

ご清聴ありがとうございました。

 

  

というわけで読者登録してくれたら嬉しいですぅぅぅぅ(笑)ああぁぁああっっっっ(笑)ぅぅゔゔゔゔゔうううううぅぅぅヴヴヴヴヴッッヴヴヴヴヴッッヴヴヴヴヴッッ(笑)!!!!

 

何笑ってんだよお前しばくぞなんもおもろないねんって。

 

つーか最後のその音、尻の穴にバイブ突っ込んでんだろって。

 

お尻責められるの、気持ちいいもんなって。そりゃ笑うわなっつって。

 

結局みんなが抱負を書いてるって、みんな誰かに抱かれたいんだなって。

 

 

あけましておめでとうございます。

 

 

リサイクルできるものは、リサイクルしましょう。

理想のコンビというと思い出すのはやはり魂斗羅スピリッツのビルとランスであり、ちょうど昔書いた記事を思い出したのでここに貼る。

 

これは別に手抜きではない。断じて手抜きではない。

 

この記事が僕は個人的に気に入っているにも関わらず殆ど読まれなかったことも関係ない。

 

☆が1つもつかなかった事も関係ない。

 

そしてこのタイトルから容易に想像出来る様に、これは僕と妻の話である。

 

僕たちはかつて、7匹のエイリアン(猫)と共存していた。

そして今、そのエイリアンは8匹に増えている。

 

猫の事はあまりブログで書かない様にしている。

 

なぜならば、いつの間にか赤ちゃん言葉になってしまうからだ。

今日、仕事に向かう前にも、猫達は可愛かった。

 

僕は今、ねこちゃんがいなくてとてもさみちい。

 

猫ちゃんに会いたい。

 

あのかわぃぃくちびるにちゅっちゅちたい。

 

あー、早くちごとおわらないかにゃあぁあああぁぁぁぁぁっ。

 

つって。

 

itamimati.hatenablog.com

たとえ間接的であろうが、僕に好きと言われた相手に申し訳なさを感じてしまう。

かつて僕は昔働いていた同じバイト先の女性に半泣きで、

 

 「なんでそんな事をいうんですか!!!」

 

 と言われ、彼女の自尊心及び感情を深く傷付けてしまったことがある。

 

本当に深く反省している。有明海の干潟くらいに深く反省しているし、そこに住んでいるムツゴロウも一緒に反省してくれている。なのでもう二度と女性に近寄らないと心に決めたのであるが、しかし、僕がその時に言った「そんな事」とは、

 

「そういえば、銀杏ボーイズって知ってる?最近よく聴いているねん」

 

というものだけなのだ。

 

信じられるだろうか。いや、別に信じてもらおうが信じてもらえなかろうがどうでもいいんだけれど、僕が何の気なしに、というか、バイトのアイドルタイムに多発する無言が生み出す気まずい空気感を打破するために、一般的な会話のきっかけのひとつのものとして最近好きなバンドの名前をあげただけのそのひと言に、彼女はいたく傷ついたのだ。

 

そして「なんでそんなこと言うんですか」のあとに続いた言葉は「私が好きなバンド、けがさないでください」だったこともここに書いておき、過去の悲しい記憶の供養としたい。 

 

普通に暮らしている状態で、よごすな、とは言われることはあっても、けがすな、と言われる事は稀ではないだろうか。

 

けがれというのは、今ウィキペディアで見てみたけれど、獣姦とか近親相姦とか病気や死が対象となるような言語ですぞ?好きなバンド名を伝えるというだけの行為がけがれに属するようになるとは、一体前世でどんな人生を送ったのか、僕は。

 

今世でそんなことが起ころうとは、さすがの細木数子でも予知できないだろう。

 

そして彼女が傷ついたのと同時に、僕は自分の好きなバンドの名前を出しただけで彼女が傷つくという事実に対して深く傷ついてしまった。

 

なんという負の連鎖であろう。

 

ただでさえ売れなくなって困窮していたアニマル梯団のおさるとコアラが細木和子に相談した後モンキッキーとハッピハッピーに改名したけれど全然売れなかったことを彷彿とさせる出来事ではないか。

 

しかしそんな悲しい過去を持つ僕であるが、奇跡的といおうかなんと言おうか、結婚できているという事実もこの世には存在している。

 

こうなるともう奇跡繋がりで僕はヘレン・ケラーと同等の扱いを受けてもいいとは思うのだけれど、しかし世間はなんとも世知辛く、またこのようなことを書くと「お前のような人間とヘレン・ケラーを同一視するな」「ヘレン・ケラーがけがれるのでやめてください」「サリバン先生」「W・A・T・E・R」などという罵詈雑言が浴びせられることは目に見えているのでこのSNS社会はマジ暴論。

 

でもまあバイト先の人に好きなバンドを伝えただけでも拒否られたような男と結婚してくれた妻には感謝しかないので、今年のクリスマスはもう盛大に祝おうと、これ以上ないくらいに祝おうと考えたのである。

 

だが僕はいわゆるブルジョワ階級に所属せず、産まれながらの労働者階級たる身であり、日常を小銭稼ぎに捧げているので大金が稼げず、出来る事と言えばオナニーと料理だけしかないので渾身の技術と経験とお小遣いをもってして妻をおもてなししたいと思う所存である。

 

その結果として、クリスマスにクリトリスをゲットできれば万々歳である。

 

そういえばよく駄洒落的な物言いで、メリークリスマスをもじってメリークリトリス、メリークリス松村やメリークリストファーウォーケンなどが聞かれるが、僕は断固としてメリークリスペプラーをプッシュしていきたい。

 

なぜならば、クリスペプラーに抱かれたい気がしているからだ。「君のTOKIOがHOTになってるよハンドレット」ってマイク越しにささやかれたいからだ。ペプラーのハンドでレットしたいからだ。というか、ラジオを聴いている間は抱かれていると言っても過言ではないかもしれない。というか、レットするってなんだ。

 

ペプラーは君島ゆかりと結婚したけど、ペプラー61歳でゆかりが38歳、その差が23歳だけど、でもひと言だけいわしてもらうが僕の方が若いから。僕は今年で35歳(口臭過多)だから。年齢だけなら負けてないから。

 

ペプラーからのお便り、待ってます。

 

さて、そんなこんなで僕が妻に提供できる技術と経験となると、日々精進している料理しかないのであるが、ではこのブログにて度々書いているソーセージはいかがかなと思ったのもつかの間、先月作ったばかりでもあるしまたいつもと同じ食事になってしまうのも芸がないと思い返し、ここはもう本当に頑張ってフランス料理のフルコースでもつくっちゃう?みたいな感じで、個人的に決着がついた。

 

そんな感じで3連休の殆どを料理の買い出し、下準備、調理にあてた結果、自分でも驚くほどにきちんとしたものが出来たので、自慢がてらメニューを書いておきたい。これで僕もモテ街道一直線、そのままベッドに一直線、出会って4秒で合体となるのも夢ではない。

 

まず前菜として、マグロのセビーチェ、フォアグラに梨のソース、ボイルした海老とカリフラワーにわさび卵黄ソースをかけたものを出し、続いてキノコのポタージュ、さらに温かい前菜として二色の茹でアスパラガスに半熟卵をのせてトビコのブールブランソースをかけたものを提供し、メインの魚はヒラマサのバターソテーで肉は鴨肉のローストにリンゴとフェンネルのサラダを添えて、また料理に合わせたワインはドイツの甘口白ワインのバイケン(肉用の赤はテーブルワインですましてもらった)を用意し、もうこれ以上はどれだけ搾り取られても精子は少し出るかもしれないけれど財布と肛門からはもう何も出ないですよというものであった。

 

元来料理好きなので普段は使わない食材を調理するのが実に楽しく、スライスしたカリフラワーのおもしろい食感に感動したり鴨はフライパンに付きっきりでアロゼをしたりしていると、楽しさのあまり「あれ?もしかしてこれ、俺の方がプレゼントもらってない?」などと考えたりもしたのでもうお互いに大満足の3連休であった。ただし材料費は自分のお小遣いからなので壮大な勘違いである事は間違いない。

 

メリークリスペプラー。

 

少し話は変わるが、ここからは好き嫌いの尺度について考えていきたい。何を突然、と思われるかも知れないが、あれだけ用意をしたのにクリトリスをゲットできなかったのだから、このくらい脱線しても別に許されると思ったんだ。な?いいじゃないか、もう少し付き合えよ。お願いします。付き合ってください。

 

さて、これだけお願いしたのだから、どれだけ下品なことを書こうが読んでもらえると思うので、始めさせてもらおう。

 

その好き嫌いの尺度の中でも特に考えたいものがあり、それはおしっこを飲ませて欲しいという欲望を持つ人間と、おしっこを飲ませたいという欲望を持つ人間のどちらが好まれるか、というものだ。

 

両方嫌われるなんて意見はいらない。そんなことは誰かに聞く前から存分に承知しているし、そもそも経験談として自分が一番よく知っている。生まれてこのかた、嫌われながら生きている。

 

ただ勘違いして欲しくないので、別にこれが原因でクリスマスのクリトリスをゲット出来なかったわけではなく、ただ互いに疲れていたことが原因だったとだけ言わせて欲しい。

 

本当に勘違いしないで頂きたいし、なぜならば僕が妻におしっこを飲ませてくれないかと頼むのは年に1度だけ、僕の誕生日だけであるし、それも今まで1度も達成されたことはないので全てにおいて関係ないはずだし、結婚という人生の一大決心を互いにしたのだからおしっこくらいは飲ませてくれてもいいのではないかとも思うし、親からは人の嫌がる事はしてはいけませんと昔から口をすっぱく言われていたけれど僕はおしっこを飲ませてと頼むのも飲んでと頼まれるのも嫌ではないしどちらかといえば好きな方であるし求めてもいるから親の教えにも背いていません。

 

さて、僕個人的な話になるのだけれど、僕は飲みたいという欲求はあるが飲ませたいという欲求はない。

 

これは僕の気質がM寄りのMだということが起因となっているのだけれど、ではSタイプの人であれば、飲んで欲しい、と思うのだろうかという疑問が湧き出る。そう、まるで尿道から溢れる出るおしっこのようにね。

 

しかしここでそういったことを考えるとこれは考察ではなく討論が必要となるので除外しなければならない。

 

また好きか嫌いかで判断するというのはいわば感情でもって判断することになり、感情論での議論は結論を出すのにはあまりむいていないのでそもそもこの話自体無駄というか意味がないというか必要ないとかもしれないが、しかしやはりこれをはっきりさせないとスッキリと新年を迎えられないのだ。そう、まるで排尿をしたあとなのに残尿感に悩まされている感じがして、スッキリとしないのだ。

 

これはもしかしたら、もっと一般的な内容であれば判断がつくかもしれない。

 

なのでおしっこを飲ませる飲ませないではなく、もっと一般的なことがらに例えてみた場合、どうなるだろう。まずおしっこを料理に変換してみる。

 

たとえば料理を食べたいと思う人間と、料理を食べて欲しいと思う人間。

 

これは前者が客であり、後者はコックである。ちなみにこのコックは料理をする人のことで、海外におけるちんぽのスラングではないことを理解していてほしい。そう、おしっこだけにね。

 

このように置き換えると、飲食店内において大概の人は客であり、料理人は少数であるので、変換を戻すとおしっこを飲みたい人間が多数で飲ませたい人間が少数派であるとなり、したがって僕のスタンスは多数派でありそうなるともうおしっこ飲みたい派がマジョリティであるがゆえに覇権を握ることは火を見るより明らかでありそれだけ広がっているのであれば世の中のほとんどの人はおしっこを飲みたいという欲望を抱えているとも言える。

 

しかしながら、ではおしっこを飲んだことがある人がどれだけいるのかといえばすぐに思い出せるのはさくらももこ飲尿健康法をしていたことしか思い出せず、またこれは自らのものを飲むというものであるからして、それをまた料理に例えると自炊派ということになり飲食店におけるスタンスとは少し趣が異なるので置いておこう。

 

だがマジョリティが飲みたい派で締められているからといって、 ではそのマジョリティが好まれているかどうかは別問題である。それは「売れているからといって、それが美味しいからだとは限らない。でないと世界で一番美味しいラーメンはカップラーメンになる」みたいな話で、大多数がおしっこを飲む側に所属しているとはいえ、これは誰も彼もがおしっこを飲みたがっているというのではなく、その殆どの人達は美味しいおしっこを飲みたいと思っているから飲食店にいくのであり、ではそこで最重要事項となるのは美味しいおしっことはいったいなんなのだ、という疑問の解消である。

 

そしてこの答えはまた料理によく使われる言葉からの引用になるのだけれど、

 

「愛情が一番の調味料」

 

であるが故に、この世の中で一番美味しいおしっことは、大好きな人のおしっこということになり、こうなるとはやり結婚した僕にとっての一番好ましいものは妻のものであるとなり、せっかくクリスマスなので僕はサンタさんに「この世で一番美味しいもの」をお願いしようかなあ、なんて考えています。

 

みたいなことを漠然と思念していましたところ、妻からはクリスマスプレゼントに僕が欲しかった結構高い料理の本をもらったばかりではなく、手作りでケーキも作ってもらえました。

 

こんな状態では「あの、折角のクリスマスなんでできればでいいんですが、大好きなあなたのおしっこを飲ませてくれませんか」なんていうのは、口が裂けても言えません。ここで空気を読まずさようなお願いをしてしまうと、さらにクリトリスが遠くへ行ってしまいかねないので。

 

よしんばそれを言ったしても「なんで?」としか返しようがないだろうし、こちらとしても好きだからとしか答えようがなく、ましてやそう答えられたとしても結局意味が分からず「?」としか浮かばないだろう。そう、はてなブログだけにね。

 

こんなことが日常的にあるのだから、本当に僕から好きと言われてしまうことに申し訳なさを感じてしまう。けれどまあ、僕自身は幸せなので別にどうでもいいのだけれど。