僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

口の中でサッチー(野村幸代)とミッチー(浅香光代)がエッチー(濃密な絡み)になるレシピ。

マジでいきなり勝手に料理の話をする。

 

これは単純に適当に作ってみたら美味かった系の物なので詳細というか詳しい分量は書かないし書けないしもともと無精なので写真とかとってないしそもそも適当に作ってみたら美味かった系の料理なので写真なんて撮る予定すらなかったしこれからも別にないのだけれど、まあ一度やってみてもらいたい。

 

まず肉は豚バラ肉、この豚バラ肉っていうのは僕にとってはもう僕個人のフェイバリット肉であり牛肉のシャトーブリアンが高くて美味いだとか名古屋コーチンのせせりが希少でヤバいだとかもうそう言ったことはまったく気にしないし気にしないのは気にしたとしてもどうせ買えないからであり、例えば道ばたで奥様方が「あなたご存知?大仁田厚が電流爆破を商標登録申請したらしいわよ?」みたいな話をしていたとしてこの奥様方は大仁田が商標登録しようがしまいが電流爆破というものに対して訴えられるような懸念なんてものはサラサラ無いはずでありそもそも大仁田に興味もないだろうしもしあるとしたら家庭内電流爆破を日常的にこなしている家庭に限定されそれはそれとして見たい気持ちはあるけれどどうせ家庭内を見せてもらえるならば奥さんと旦那さんとのベッドでのデスマッチが見たいのが本音であるがそもそもの奥様方が大仁田厚を語っている状況に興味がないのと同じ感じ。

 

それに引き換えバラ肉はなんとも素晴らしく何に使っても美味しいし何より安い。こうなると僕にとってはバラ肉は薔薇肉でありこれはもう次に僕が妻に結婚を申し込むなら10本のバラではなく10kgの薔薇肉をもって告白したいくらいに好き。

 

そう、そのバラ肉を取り合えず塊で買ってきてその全面を熱々のフライパンで焼いて焦げ目をつけておく。で、焼けたら深めの鍋にその豚肉を入れて肉がかぶるくらいの水を入れて煮て欲しい。これはもう弱火で煮たらいい。弱火がどれくらいかって分からない人向けに書いておくけれど、ちんこを舐めてもらう気持ちよさを10と据え置くと乳首は5になるしディープキスは3、指を舐めてもらうのが2くらいなので指をなめてもらう時くらいの火の強さであれば完璧。IHだから火加減がわからないって人がいたらそれはもう説明書読め。そもそも僕はIHを信用していないしIHに関しては女心と同じくらいよく分からない。とりあえずこれも女性と同じで絶対に沸騰させてはいけない。セックスで興奮しすぎて頭が沸騰しちゃうというのはエロ本でしか起こりえない虚構だ。覚えておけ。弱火で一時間ぐらいしたらもうそれで下茹ではいいから肉を取り出して軽く鍋を洗えばいい。

 

そしたら次は同じ鍋に赤ワインを入れて欲しいんだけれどこれはもう「え、こんなに入れんの?」ってくらい、つまりは500mlくらい入れても差し支えなく、女の子の「こんな大きいので初めて。。入んないかも」っていうのはバファリンと同じくらいの優しさだろうし自分のちんこがどれだけ小さいかは自分が1番よく知ってる。傷つくから嘘はつかないで。で、そこに包茎と同じように皮が付いたままでいいんだけど半分にカットしたニンニク5〜6片とショウガも皮が付いたままでいいから3mm程度にカットしたもの10枚くらい、あとはネギの青い部分を2本分くらいいれてとりあえず火にかけておき、余った赤ワインは胃に流し込むべきだ。頭がぽわぽわしてきてチョットした事でも敏感に感じるしそのままちんこを舐められでもしたら気持ちよすぎて頭が沸騰しちゃうけれども興奮しすぎて脳みそが沸騰しちゃっても火から目を離してはいけない。頭と同じ様に鍋が沸騰してきたらしばらく様子をみて味を見ろ。

 

赤ワインはある程度煮ると酸味が飛ぶ。酸味が飛んだら旨味と深みに変わっていくからそこで醤油と水を砂糖を入れて混ぜて、味を見てから好みの濃さにしたらいいんだけれど、舐めてみてちょうどいいくらいがやっぱりベストだから自分の舌を信用しろ。塩分濃度でいえば愛液よりも少し濃いくらい。この濃いがあの恋に繋がってもう肉汁と書いてラブジュースかなって思う。そうなると作ってる方も先走り汁がドバドバでよだれも止まらないんだけれど個人的にあのよだれ鶏ってネーミングは苦手。なんか汚く感じてしまう。どの口が言うんだって思われるかもしれないから先に答えておくと下のお口です。下の口はいつでもビショビショですょ。

 

で、さっき下茹でした豚肉をその愛液に突っ込んで落としぶたして1時間くらい弱火で煮たら出来上がり。マジで簡単。出会って4秒で合体。あとはもう怒張した肉棒をむさぼる様にチャーシューをも貪ればいいんだけれど、でもホントに美味しい状態を食べたいっていうんなら一旦冷ました方がいいのは明白でこれはまさにポリネシアンセックスと一緒で我慢すればするほど快楽っていうのは高まるからチャーシューに対する快楽も我慢に我慢を重ねて冷まして味を染み込ませたほうがマジで味は高まる。

 

で、少し時間を置いておくと、まるでベッドに広がる潮吹きの後のシーツのように赤ワインダレの味が染み込んだチャーシューが目の前にあるはずだ。その染みに染みたチャーシューは食べる前にもう一度弱火で温めなおしてほしいんだけれど、その時にその煮込み汁を別の小鍋に取りだして半分くらいの量になるように煮詰めてもらうとなお良い。2回目のオナニーで出てくる精子くらいのサラサラ感になったらちょうどソースとしていい濃度になってるから。

 

で、もちろんこのまま食べても美味しいんだけど、僕はこれをサラダに載せて食べたんだけどそのサラダっていうのがパクチーと春菊をざく切りにして和えたもの。他に味はいらない。赤ワインソースとチャーシューから出る脂が最高のスパイス。でもどうして他の味が欲しい、やっぱり他人の男根を求めたいし2穴責めされたいっていうんなら、一番合うと僕が思うのはフライドオニオンと少量のごま油と粗挽きのブラックペッパー。それこそがベストフレンド。

 

まるで野村幸代と浅香光代の濃厚な絡み。口の中でサッチーとミッチーがエッチーな感じになる。

 

そんな感じを味わいたければ、一度赤ワインで煮たチャーシューを食べてみればいい。

 

そんだけ。

 

そろそろ吉本新喜劇を勧めるおじさんになりたいし、免許更新センターのカメラはクソだし、僕は間もなく家なき子。

車の免許更新に行き、写真に写った自分の顔の老け具合にビビった。

 

毎日の飲酒により浮腫んだ輪郭と、お酒とは五木ひろしとコロッケのように切っても切れない関係の喫煙によりくすんだ皮膚、その飲酒結果により予定時間に起きれず寝起きすぐ更新センターへ向かった為に腫れぼったくなった目がそうさせたのだ、と思いたい。

 

それに後押しして、そう、おっさんという名の崖キワッキワに僕を追いやったのは、ひとえに更新センターに設置されているカメラの性能である。

 

僕自身のアイデンティティを守る為に最後の砦としてかけていた眼鏡が、砦の役割を果たせなかったのだ。なので砦というよりかは錆びついてグラグラになっている柵。その様相、まるでヤリマンの使う貞操という単語のごとく存在感がなく。

 

仰々しく書いたけれど単に光の反射がひどかったので取らされただけなのだが、僕が考えるにそろそろ眼鏡のレンズが反射しないカメラが生まれたっていいはずなのだ。

 

人は月にだっていけるのに、深海1万メートルに潜れるような科学力だってあるのに、なぜ僕は反射するという理由だけで更新センターの中で眼鏡を取らなければならないのだ。

 

僕が眼鏡をかけるようになって20年以上が経つ。

 

なのでそれはもう顔の一部であり、例えば女性はスッピンを見られることが恥ずかしいというけれど僕にとっての眼鏡はそれ以上、さっきもかいたように顔の一部であるからして眼鏡を取った後に見られているのは顔の表面だけではなく身体の内部、いうなれば内臓を見られているようなものであるからして、眼鏡を取るということは始めての夜を迎える乙女の様に恥ずかしい出来事で、さらに言うと裸を見られる恥ずかしさというよりはクンニにおいて秘部という内臓を見られる恥ずかしさにとても近しいのであるが、そうなると僕ははからずも更新センターのおっさんに秘部を見せたということでもあり、そうなると単に恥ずかしいというかどちらかといえば気持ちいい寄りの恥ずかしいだったのかもしれない。

 

眼鏡を取ることによってもたらされる快楽。

 

そんなこんなで更新センターで撮った写真にはなんだか見慣れない上に快楽に耽っているおっさんが写っていたのだけれど、受け取りの際に他人の目で確認されたらやはりそれは僕の顔だったようだ。

 

見た目は大人、ちんこは子供。永遠のオールドボーイ。それが僕。気持ちわりい。


そういえば先日精神年齢が若いと老けにくいらしいのだと妻に言われたので、僕個人的にはオナニーを覚えたての頃と同じ精神年齢を維持しているつもりであり、またその頃と同じ様に最低一日二回はオナニーをするようにしているけれど、やはり打ち寄せる年齢の波には勝てないらしい。そうなると僕にできることはといえば、吉本新喜劇を進めるおじさんになるしか道はない。

 

突然のことだけれど、僕はあの「吉本新喜劇を勧めるおじさん」にいたく憧れているのだ。

 

ほら、親戚の集まりでちょけた子供に「自分おもろいな、自分やったら吉本新喜劇に入れるで!さっきのもっかいやってみ、ほらめっちゃおもろいやん」とむやみやたらに少年を褒めて吉本新喜劇に勧めるおっさんいたでしょ。それです。だいたい酔っぱらってて、他の親戚からは「あのおじちゃんとあんまり喋ったらあかんよ」と言われるようなタイプのおっさんである。

 

この吉本新喜劇を勧めるおっさんになりたいという気持ちは年頃の女子がアイドルになりたいと思う気持ちとほぼおなじようなものであり、これはもう女子が自分の可愛さを世界に広めたいというのと同様にこの老けたおっさん具合を世界に知らしめたいという感情がそうさせるのであるが、かといって世界に広められてもそれはそれで困る。

 

世の中には飢えて死にかけている子供達が沢山いて、もしそんな死ぬか生きるかの子供達に「君たちは面白いなあ、吉本新喜劇に行くべきやで」なんて言おうものならこれはあのハゲタカに狙われている子供を写真で撮って袋叩きにあって自殺してしまった写真家と同じ運命をたどることになる。

 

彼は名声と引き換えに命を差し出す結果になってしまったけれど、かたや僕は名声どころか罵声と引き換えに命を差し出す事になり、これはあり得ないくらいにハイリスクノーリターン。別にピューリッツァー賞は欲しくない。僕が欲しいのは効率的なxvideoの検索ワードとテンガとローションと部屋とワイシャツと私。

 

 なのでやはり世界に対して吉本新喜劇を勧めるおじさんではなく、近所の少年に対して吉本新喜劇を勧めるおじさんになりたいのだけれど、先日も書いた様に我が家は取り壊しにかかる立ち退きの憂き目にあっており、もう僕の家以外の人達は立ち退いてしまった後なので僕の周囲には年頃の少年はおらずまた引っ越す先の家も見つからないので僕は面白い子を見つける前に家なき子になってしまう懸念しかなく、このような状態で吉本新喜劇を勧めるおっさんになったとしても、「君おもろいな、吉本新喜劇にいったらどうや」と言ったところで当の僕は浮浪者であり、人に吉本新喜劇を勧める時間があるならば家を探せと少年の親やその少年本人に言われてしまうことは目に見えているが、こう見えてぼくだってね、一生懸命家を探しているんですよ、インターネットを駆使したり大家さんに頭をさげたり不動産屋さんと相談したりしているんですよ、ローンだって考えているんですよ、それでもなかなかいい家が見つからないんですよと言い訳を重ねたりしてるのだけれどもし僕が銀行員だったとしてこんなブログを書いてる人間にはお金を貸したいとはこれぽっちも思わないですよ。返ってくる見込みがないですよ。吉本新喜劇をすすめる暇があったら少しでも働いて頭金を溜めろと言いたくもなりますよ。

 

そんな状態であるにも関わらず僕がこんなにも吉本新喜劇をすすめるおじさんになりたいのはやはり過去の体験がそうさせ、その体験とは僕と僕のおじとの蜜月である。

 

僕の母親の弟、その言葉通りのおじこそが僕にとっての「吉本新喜劇を勧めるおじさん」であり、いわば私の足長おじさんでだった。お金はくれないけれど、笑いをくれるステキなおじさんだった。風呂あがりにちんこを股にはさんで笑っているような、無邪気なおじさんだった。母親があまり子供に与えたくないもの、例えば蒲焼さん太郎やスプライトの味を僕に教え、社会に適応できなくしたりもする、諸刃のおっさんだった。

 

「だった」と意味ありげに書いたが、今も普通に生きている。元気に生きているよ。

 

その足長おじさんは僕の人生においてとても重要な位置を占めていたのであり、それに憧れる気持ちはバームクーヘンのごとく年齢を重ねるごとに大きくなっているが、僕のちんこは股に挟めるほどに立派ではないが年齢はそのころのおじさんに到達しようとしており、その焦りがまた僕を吉本新喜劇を勧めるおじさんへと導くのであるが、さっきもかいたように僕の周囲には面白い子がいないし、ましてや面白くない子すらもおらずさらに言うと隣人もおらず、いるのはお腹を空かせた猫のみである。

 

しかるに我が家の猫は我が家の人間よりも良いご飯を食べており、それ相応にご飯にもお金がかかりなぜ人は業務スーパーのフライドポテトやまとめ売りの格安肉ばかりを貪っているのに猫たちはグルテンフリーの高級フードを食べているのだと妻に問うと「猫は可愛いしあの中の1人が穀物アレルギーだからだよ、そしてあの子だけのご飯を変えても他の子のご飯を食べてしまうから全部変えざるをえないのよ、しかもあなたは可愛くないし私もあなたもポテトフライが好きだから別にいいでしょう。そして安い肉を美味しくするのがあなたの腕の見せ所でしょ」と答えたのでなるほどそれはそうだと深く納得。どれだけ頑張っても、ポテトフライは作れても、美味しい豚肉料理は作れても、可愛いは作れないのだ。そう思いながら、ナチュラルボーンカワイイの猫達をみて微笑んでいた。

 

そのように猫たちはいつも僕を笑顔にさせてくれるのであるが、そこで突然僕の心の中に居を構えているマリー・アントワネットがこう囁くではないか。

 

「少年がいなければ、猫を吉本新喜劇に勧めればいいじゃない」

 

と。

 

マリーにそそのかされた僕はとりあえず目の前にいた猫(雌猫9才バリ可愛い)に「君めっちゃおもろいな。吉本新喜劇にいったらどうや」と問うてみたのであるが、尻尾をバシバシと叩いたかと思ったらすぐに立ち去り、トイレに入って立派なうんこをひりだしていた。

 

そもそもなんの面識もないマリー・アントワネットに従うなんて馬鹿げていた。こちらが全精力を傾けて居住地探しをしているのに僕の中に無許可無遠慮無支払いで住まうような人間に、耳を傾けてはいけないのだ。いっそのこと断頭台に送ってしまえ。

 

そう言えば昔に親から「知らない大人のいうことを聞いてはいけないよ、呼ばれたからってついて行ってはいけないよ」と言われていたのを思い出した。やはり親の言う事は偉大だな、それに引き換えマリー・アントワネットは本当に役に立たないしな、なんてことを思い、彼女の無責任な言動に従って猫に無視されるくらいならばなら最近ハマっている携帯のゲームを立ち上げてプレイに興じていたほうがマシだと息巻き、ゲームを立ち上げて落ちゆくボールを操作しながら画面を眺めていたのだけれど、ここで一つの重大な事実に気がついた。

 

その事実とは、僕は吉本新喜劇に勧められるほど面白い子供であったはずなのに、今この時を猫に無視され携帯のゲームに興じるような、全く何も全然ほんのぽっちも極悪的に面白くない人生を歩んでいるという、純然たる事実である。

 

そうなるとゲームにうつつを抜かしている場合では全くなく、あの時僕に吉本新喜劇を勧めてくれたおじに恥じることない人生を全うすべきだと気がつき、やおら立ち上がり1番身近にいる観客である妻に対してかつて少年だったころの僕がこれ以上ないくらい面白いと感じていた、ちんこを股に挟んでから足を開くとちんこが元の位置に戻るというギャグ、「あれ、ビックリしておちんちんが飛び出してきちゃった!」を披露したのであるが、これが本当にびっくりするぐらい受けず、僕の中には一つの感情が産み落とされたのである。

 

その感情とはひとえに虚無であるが、ここで虚無を掘り下げたとて発見できるのはさらなる虚無とトラウマだけであるのでもうこの話はおしまい。

 

 

またそこで勝手に僕に住み着いているパラサイトシングルであるマリー・アントワネットが僕にいった。

 

「家がなければ、お城に住んだらいいじゃない」と。

 

その瞬間僕の心に浮かんだ言葉は「殺すぞ」のワンセンテンスだけ。

 

そもそも日本において住めるお城なんていうのはほぼほぼなく関西で有名なお城である大阪城に至っては上沼恵美子個人の所有物であるし、しかし1番近い城はそこしかなくではその巨大な城に住めというのは勝手な居座りであり、ましてやその無許可な違法行為を裁くのは上沼恵美子と法律という二大権力であり裁かれるのは子猫よりも無力なこの僕、家もなく金もなく吉本新喜劇を勧める少年すらも満足に探せないこの僕である。これはもうなんていうか「渚のシンドバット」と「勝手にシンドバット」という二大シンドバット曲が既に存在しているにも関わらず今更「渚でシンドバットが勝手に」みたいな歌を出してしまうようなものである。

 

渚でシンドバットが勝手に

作詞:ゲロ・サリバンショウ

 

今日も浜辺で開けごま

明日も浜辺で開けごま

たとえ扉が開いても

あの娘の股は開かないまま

いいえ僕ではありません

渚でシンドバッドが勝手に

渚でシンドバッドが勝手に

 

お姉さん今何時かな

なんて言って

僕が長針で君が短針

今日すれ違う運命だったんだ

だからこのまま

貞淑すててアラビアンナイト

だけど結局

顰蹙かってだらしない態度

 

今日も浜辺で開けごま

明日も浜辺で開けごま

たとえ扉が開いても

あの娘の股は開かないまま

いいえ僕ではありません

渚でシンドバッドが勝手に

渚でシンドバッドが勝手に

 

お前さあ今俺の女に

なんかいった?

俺が強靭でお前ひん死

もうひざまずく運命だったんだ

だからこのまま

プライド捨てて謝っとかないと?

だけど結局

1発貰って情けない態度

 

 

今日も浜辺で開けごま

明日は1人で冷やすタマ

たとえ扉が開いても

あの娘の股は開かないまま

いいえ僕ではありません

渚でシンドバッドが勝手に

渚でシンドバッドが勝手に

 

 

 

こんな歌詞しか書けないのに、そもそもサザンにもピンクレディにも上沼恵美子にも法律にも勝てるわけがない。

 

それすら知らずにをさも簡単に家がなければ城に住めなんていうマリー・アントワネットは常識知らずの権化たる存在であるが、しかしそのマリー・アントワネットの生みの親は何を隠そうこの僕であり、これは壮大なマッチポンプなの?

 

マッチが僕でポンプも僕?ということはすなわち、ポンプが僕でマッチも僕?

 

あれ?僕(私)達、入れ替わってる〜〜〜〜〜〜〜〜????

 

なんて本当にくだらなくかつ時代遅れなことを言っている間に立ち退きの期限は今月末に迫っている。

 

君の名はとか聞かれる前に、君の家はと言われてもきちんと答えられるようにしなければならないけれど、もうそんなこと考える体力すらないし、なぜこんなブログを書いているのかと問われればもう完璧に現実逃避でしかないのだけれど、これはこれでまあ現実から目を背けるための捌け口があるというのはなんとも幸せであるしなあ、と思っている次第です。

 

 

同情するなら家をください。

 

 

最後に一応かいておきますけれど、マリー・アントワネットが言った「パンが無ければ〜」のくだりの真意がどうだ、とかいうコメントはいりません。あなた方の知っているマリー・アントワネットと僕の中に住んでいるマリー・アントワネットは別人なので。そもそもパラサイトシングルのマリー・アントワネットっていないはずだし更に書いておくと、例えば現実世界の佐々木望は渡部と結婚しましたが、僕の世界の佐々木望は僕と勝手にシンドバッドしていますから、渚で開けごましてますから。

蛸のキモは出てくるけれど、この話にキモはない。

物の価格に対しての価値観は人それぞれであるが、例えば僕は服飾に関して「無頓着ではないが執着心があまりないのに偏屈であるからめんどくさい」と妻に言われる。

 

例えば外着を買うようなイベントがあったりすると、そもそも僕はブランドに興味がないので高い服は欲しがらないけれどユニクロは余り好きではなく、ではH&MZARAがどうかと言われると「えー、そんな服着れるような年齢、通り越しちゃったしな〜」みたいな三十路OLのごとき事を言ってしまう(僕はおっさん)。

 

そうなると「ではどこで買うか、前に行ったアメ村の古着屋にいくか」などの優しい言葉をかけてくれるので「うん!」と明確に答えて向かったはいいが、結局満足のいくものがなかったなーといいながら380円のTシャツのみを買ったはいいけれど本来の目的物であるアウター(使いかたが正しいかどうかは分からないけど外着のこと)は買えずじまいとなったりもする。

 

こうなると行ける店はライトオンかシマムラしかないのだぞ、と問われれば「じゃあシマムラで!」と答えたはいいが結局店に行っても欲しい服を決めきれず「やっぱ今日はいいのがないからやめとこうかな」なんて事をいうと「しかしあなたのお気に入りの服はもうホツれがえぐい。補修しきれない」と妻がいうので、「じゃあ同じようなものがメルカリとかにないかなあ」と呟いたあたりで妻がめんどくさくなっている。

 

その結果として「ほんなら自分で探しや」と携帯を渡してくれるのだけれど、僕はその妻の携帯を借りてもすぐにはメルカリアプリをひらかず(あ、写真フォルダにヤラシイ写真がないかなあ)なんて思いながら探したりして結局そんな写真はないので諦めて僕の顔写真を連続で撮って保存したりするのが忙しいのでメルカリで服を探すことができなくなり、めんどくさくなって妻に携帯を返して怒られる、なんてことがよくある。

 

結局そういったやり取りの後、妻がメルカリやフリルでいい感じの服(つまりは普段僕が好んで着ているような服)を見つけてくれて僕に確認。「あ、いい感じやんそれ」と答えたのち、いつの間にか携帯ゲームを始めてしまって熱中している僕の背中のサイズを測ったりして買ってくれるのであるが、しかしてもうそんな妻との付き合いも15年以上が経過しているなかで今でもこのように面倒をみてくれていて本当に感謝しかないし、僕は妻からのお願いは何でも聞こうと思っているのでクンニでもなんでもいつでも依頼して欲しい。マジで本腰いれて舐める。

 

そんな感じで僕は気に入った服を延々と着続け、それが着られなくなったら新しい服を買う、みたいな感じなのであるが、そのため見た目だけでなく機能性もしっかりとしているものを選ぶのだけれど、例えば今の時期、え、それってどういう意味があるのですか?というアイテムを見かける事がある。

 

それは、こう(書きながら上手いこと説明できないので手をうやむやに動かしたりして表現しようとしているのだけれどそれすら上手くいかない)、太い毛糸でざっくり過ぎるくらいにざっくりと編んだ、マフラーみたいなだけどマフラーではなく膝掛けみたいだけれど肩に掛けてるし上着かと思うけれど上着の上からかけてるしやっぱりマフラーなのかなと思うけれど防寒になっているとは思えないからマフラーではないのかもしれない、みたいな布なのだけれど、調べようと思ってもそれがそもそもなんなのか分からないから調べる事もできない布アイテム。

 

オシャレに対して鈍感でありまた女性物の服の名称が覚えられない僕には到底辿り着くことの出来ないアイテムである。ストール?スヌード?シミーズ?何?

 

というか僕は服の名称、特にユニセックスという単語で興奮してしまうし、それはユニークなセックスつまりは普段行わないような不埒なセックスを連想したりして困っちゃうからなのだけれど、そのため種類別で表示されるインターネットサイトでの買物すら満足に出来ない。

 

きっとこれは僕だけではないはずなので「ユニセックスという単語で興奮する会」みたいなものをそろそろ立ち上げたい気もするけれど、誰も入らない気もするのでまあ、立ち上げない。

 

そういった僕には到底理解出来ないような服が存在するので、世の中はなんとも広いな、とよく分からない事で感心したりもするのだけれど、ということは逆に考えれば僕が着ている服に対しても「理解が出来ない」と思われていることもあったり、普段から行っているような行動も同様に「理解が出来ない」と思われているかもしれない、ということでもある。

 

 

先日、最近気に入っているスーパーに足を伸ばしたところ、何も調理されていない、いわば死んでそのままの蛸が半額になっていた。

 

元々の価格が1.2kgで2200円でありそれでもまあ最近の相場に比べれば安めであり、その半額なので1,000円ちょっとでその大きさの蛸が手に入ったことになる。これはなんとも奇跡的であり誠に有り難い出来事であるが、先に書いた様に興味の無い人からすればこの有り難みがまったくもって分かりにくいことかもしれないと思うので簡単に例えてみると、

 

・適当な居酒屋で酔っぱらってしまい隣の男と意気投合、気がつくとよく分からない場末のホテル(天王寺茶臼山あたりだとなお良い)で、隣の男はといえば実はディーン・フジオカだった、みたいな。

 

で、起こしたあとなんとなく気まずくて、とりあえず2人の間の気まずい雰囲気を和らげるためにホテルに据え付けてあるカラオケで「Let it snow!」をデュエットしてみたらお互い笑い合う事が出来た。

 

そんな感じである。

ほんとにすげえ事よ。

 

もちろんそんなことが実際に起こったら、ディーンとは一晩限りの関係ではもったいない、というかやっぱり継続して抱かれたいと思うし、「後生やから、この日の you&I にさよならなんて言わんといて」ってシーツで胸を隠しながら言うだろうし、「軽い微熱で踊り出したい冬やねんで」と畳み掛けて襲いにかかるだろう。

 

酔っていない状態でセックスをしたという既成事実をつくるために。

 

でもきっとディーンはそんなこと言われても、しらふで行為をした後であっても、

 

「what is happiness?」(幸せって、なんなんだろうね)

 

とかいって、適当に濁してどっかにいっちゃうんだろうなあ。

 

 

「でもね、別にわてはそれでもかめへん。

何がアンタの幸せなんか、わてにはわからん。

わからんけど、わてはわての幸せは知ってるつもりや。

あんたのためやったら、待つ事すらも楽しみやねんで!

浪花の女を舐めたらあかんで。

 

浪花の女をなめたら、あかんねんで!

 

そうや!

 

わては、

 

わては、

 

わては港や!

 

いつまでも船の帰りを待つ、港なんやで!!

 

フジオカ丸の帰港、ずっとまってるさかいね!!!」

 

みたいなことを言いたくもある。

 

 

さて、話は港から戻って現世である。

 

普段スーパーなどで良く見かける蛸の多くは下処理済みの蛸、つまりは茹で蛸であり、カットすればそのまま食べられるようになっている。そのまま大きめに切ってタコブツにして食べても美味しいし、薄く切ってワカメときゅうりで酢の物にしてもよし、オリーブオイルでニンニクと煮てアヒージョなんていうのも捨てがたい、みたいに、なんやかんですぐに楽しめる優れものである。

 

しかし茹でた蛸を買うことはあっても、生のものを買うことは少ないだろう。また、それゆえにあの茹でた状態にするのにはとても手間がかかることはあまり知られていない。 

 

蛸を美味しく茹でるには下準備が必要である。

 

その下準備は手間がかかるがその作業自体はとても単純で、内臓を引き抜いたらあとはひたすら揉んでぬめりをとり、また揉んでぬめりを取りを繰り返すのみである。で、ある程度取れたら次は塩を使ってまた揉むのだ。

 

揉み続けると泡が出てきて、その後まるで石鹸で洗った後の髪の毛のようにキュッキュッとなる。そこまでいけたら、あとは沸騰したお湯で茹でるのみだ。

 

しかしこう行った作業は、めんどくさいといえばめんどくさい。が、僕はこういった作業を楽しめる人間こそ、一緒に生活を共にすべきではないかとも思っている。なぜならば、このような作業に喜びを見出せる人間は夜の営みも隅から隅まで楽しめる人だと考えているからだ。

 

蛸の下処理は、性行為に似ている。

 

突然何を言うのかと思われるかもしれないけれど、大体において、どんな適当なことでも言い切られてしまうとなんとなく説得力を持つから不思議だ。適当に思いついた単語でも言い切られるとなんとなく分かる様な気がしてしまう(そもそも全然違うのだけれど)。

 

例えば、

 

・アマゾンでの買物は、デリヘルに似ている。

 

と言われれば「ああ、選んだ物を配達してくれるもんな」と勝手に共通点を探るだろうし、

 

・バナナは、おちんちんに似ている。

 

と言われれば「形が一緒だもんな」と思うだろう。

 

しかし、よくよく考えれば、アマゾンとデリヘルは全然違うし、おちんちんとバナナも全然違う。

 

アマゾンではいくらプライム会員であっても女性は送られてこないし、それどころか女性を物扱いするな、みたいなクレームが送られてきてしまう。けれど、デリヘルでアマゾネスが送られてくることはままあることはご理解いただきたい。

 

また、バナナとおちんちんを混同している人達がいたとしたら既に東京バナナが発禁扱いになっているだろうから多分混同している人はいないだろうし、そもそもおちんちんは黄色くない。

 

ただセブンイレブンとかがエロ本の販売停止を決めたので、もう少ししたら歩きバナナが卑猥を理由に禁止されるかもしれない。歩きながらバナナが食べられなくなるなんてなんとも恐るべき時代だと考えたけれど、思い返すと別に歩きバナナなんてしたことないし歩きバナナを禁止されても困らないから、別に恐るべきでもなんでもない。

 

話を戻す。

 

例えばセックスにおいて「服を脱がすまでが楽しいという人」と「挿入にのみ楽しみを見いだす人」がいる。

 

この区分けで言えば、前者の人は蛸の下処理に向いているし、後者はすでに茹でられた蛸を買うが良い。しかし、ここは強調させていただくけれど、後者のそれはファストセックスである。

 

それが悪いかどうかはもうとてもセンシティブなことなので当事者に任すしかないけれど、やはりどのように口説くか、どのように相手の心を開くか、どの順番で服を脱がすかもしくは自分が脱ぐか、こういった細部を楽しめる人こそがセックスを楽しめるのだ、とほぼほぼ童貞の僕は思っている。

 

さて、僕は個人的にこのヌルヌルをとったり塩で揉んだり内臓を捌いたりすることにこそ、セックスにおける口説き及び前戯と同じ様な楽しみがあると思っているのだけれど、しかしこれは確かに面倒くさいものである。

 

「女なんて入れればオッケー」みたいな価値観の人には到底理解されないくらいのめんどくささなのだけれど(都合30分ぐらい蛸を揉む事になる)、これがあるからこそ蛸に愛情も芽生えるし(食べちゃいたいくらいに可愛くなる)、またそれだけの苦労が報われる瞬間も訪れる(可愛いけど食べちゃう)。

 

またアンコウの肝、いわゆるアンキモやフォアグラに代表されるように肝というものは珍味としてすこぶる美味しいものであるが、実は蛸にも肝があり、これは生の蛸をさばく事でしか手に入らない。

 

蛸の内臓の中には一際でかい袋状の内臓があり、そのなかに薄茶色の半液体(半固体?)のものが入っているのだけれど、それこそが蛸の肝である。

 

 これは肝単体で湯がいて食べても美味しいのだけれど、肝で作った肝醤油(煮きったみりんに肝を入れて一煮立ちさせ、醤油を加えて混ぜたもの。滋味深い)が本当に美味しい。

 

表面だけ軽く火を通した半生の蛸の身に、その肝醤油を和えて食べると「ああ、蛸の本質とはこういうものだったのか」と深く納得してしまうような味であるが、しかしでは実際に蛸の本質とはなんですかと聞かれたら困るので聞かないでくださいお願いします。

 

このように、めんどくさい工程を経るからこそ出来る経験および発見というのはなんとも素晴らしいものである。

 

これは例えて言うならば、ちょっと気の強そうな素敵な女性とバーやなんやで出会い、もう紆余曲折を経てホテルに到着、ゆっくりと服を脱がしていくと、

 

「あんな、今日こんなつもりやなかったから、下着のな、上と下の色とか柄がちゃうねん」みたいなことをちょっと恥ずかしがって言われるようなものであり、

 

「全然ええんやで。そうやって恥ずかしがってる姿もめっちゃcawaiiんやで?」

 

と返すと、

 

「ええ、ほんまに?嬉しい」

 

なんていうから優しく下着を脱がしてみたら、

 

あれ!?毛の処理完璧じゃない?パイパン

 

みたいな感じで、もう、ね、そのギャップで脳みそがバグって口から勝手に「ああああ!」つって、ため息とも吐息ともいえないような嬌声が漏れてしまったりしてね。

 

でね、そうなると当然のように挿入する前から即悶絶で入れもせずに即射精。であればおのずと即色即是空で即諸行無常。その結果として「あかん、可愛過ぎる、もうかんにんや。足腰たたへん」みたいな骨抜き状態に陥り、まるでこちらが性感帯を責め続けられた乙女みたいになってしまうのだ。

 

それくらい、蛸の肝醤油は美味しい(実際には個人差があるとは思うし、僕もここまでではない。「あ、これ美味いな」くらいだった)。

 

けれど、これがファストセックス愛好家であると肝の味など知る由もなく、湯がいた蛸を食べるだけなので、セフレを電話で手軽に呼び出してもうすぐに服を脱がして挿入し、「あ、あ、出るわ。出たわ」で終わりとなり「もう帰ってええで」みたいな冷たい態度。

 

もう本当に物悲しく、これは本当に楽しみを享受しているのか、とまで勘繰ってしまう。

 

そんなことでよしんば自分が気持ちよかったとしても相手が気持ちよくなることは少なく、それでは本当にセックスという行為を楽しんだのか怪しいものである。

 

かといって先に書いたようにギャップにやられてばかりいる僕の様な人間が正しいのかと問われると、せっかくホテルに言っているのに服を脱がせただけで射精してしまうという失態を演じているので女性においては生殺しとなり、また歳なので連射も効かずそうなるとその女性は興ざめであり、本当に男として始末が悪いしましてやセックスという行為に至っていないという意味ではこちらのほうがたちが悪くもある。

 

 

なので、今回の話のまとめとしては、ギャップのある女性はなんとも素敵ですね、あと、早漏というだけで相手の女性に迷惑をかけてしまうので気をつけましょう。ということです。

 

最後になりますが、蛸の話がどこに言ったとか、なぜディーンが出てきたとか、服のくだりとかは一体なんだったのだ、この話の本質は一体なんなのだ、とかはもし頭の中で思ったとしても、聞かないでください。

 

僕にも分かっていないので。