僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

「我が輩は猫である」が「僕は猫だよ」になると、誰も読まない気がする。

昔の小説家の本を読んでいると、例えば今の時代に川端康成がいたら「伊豆の踊子」をどう書いたのだろうか、などど思う時がある。

 

それと同じ様に、今の時代に夏目漱石が「我が輩は猫である」を書いて発表したらどうなるか、というのも考えてみたりするんだけれど、なんとなくだけど最初の方だけを読んで発狂する人が多いのではないだろうか、と思う。

 

今時だから、きっとプロモーションもツイッターがメイン。

 

夏目漱石☆新刊『我が輩は猫である』発売決定!☆

 「皆様のおかげで拙ブログ、我が輩は猫であるの書籍化が決まりました!今は編集の方(本当にいい人で感謝しかない!)と最終チェック中です!!大幅に加筆修正しているので、ブログを読んでくださっている方でも楽しめる出来になっているのではないでしょうか!!ょろしくね! 」

 

みたいなツイートに対し、

 

「猫に名前をつけないのは虐待ではないでしょうか」

「そもそも猫は自分の事を我が輩だなんていわないと思います」

「薄暗いジメジメしたところにいた、と書かれていますが、それはその状況を見ていた、ということですよね。そのまま放置していたのはなぜですか」

「僕は犬が好きなのですが、主人公を猫にするのは犬差別だと思います」

「石が偉そうに文章を書くな」

 

なんてことをツイッターで書かれ、そのストレスで夏目漱石胃潰瘍が酷くなったりするかもしれない。

 

なので彼の胃腸を刺激しないようにする為「我が輩は猫である」の序文を今の時代に合わせて出来る限り書き直してみたい気持ちに駆られたので、書いてみようと思う。

 

はじめに。

 

この文章は「夏目漱石」という名前で書いており、名前に石と入ってはいるけれど石ではないのでご容赦ください。私は人です。「木の実ナナ」が芸名でありまた実際の木の実ではないように、夏目漱石も実際の石ではなく本名は金之助って言うんだけど特定はホント勘弁してください!

 

ちなみにだけど、漱石って名前は敬愛するブロガーの正岡子規さんからもらったハンドルネームです。子規さんには、この場を借りてお礼申し上げます(^o^)

 

あ、子規さんのブログは月間100万PVを越えるモンスターブログで、どの記事もしっかり笑えるものばかりなので(ちなみに一番のおすすめ記事は『今行くべきは法隆寺!柿あり鐘ありの大満足スポットにいかないなんて損してる!』です)皆さんも是非参考にしてみてくださいね。マジ面白いんで!

 

ついでに拡散希望!子規さんのブログ

 

http://sikihaku.lesp.co.jp/

  

ではこれからお話を書いていくけどあくまでも嘘のお話なので、真に受けないでくださいね。

 

■『僕は猫だよ』

(「猫である我が輩が異世界転生して人の言葉を話しちゃう件」より改題した「我が輩は猫である」よりさらに改題)

 

こんにちは!僕は猫だよ。

 

あ、なぜ犬じゃなくて猫なのかっていうと、犬は犬で可愛いんだけど猫にした方がなんとなく自由に書けるんじゃないかって思ったからだよ。それに犬にしちゃうと名前を付けるのが当たり前になって「名前はまだ無い」って書けなくなってしまうから。だってさ『我が輩は犬。名前はぽち。今日も散歩に連れて行ってもらった。ご飯食べた。終わり』ってなっちゃうと1ページも埋まらないじゃん。ね、ごめんね。だから別に犬を差別しているわけじゃないよ。

 

じゃあもう一回始めるね。

 

こんにちは!僕は猫だよ。名前はまだないの。

 

だけどこれは虐待じゃなくって名前を付けてしまうと飼い猫のイメージが強くなってしまうし、もしそうなると室内で飼われてるって印象が強くなってのちのち家の外の世界の話とかも書きたいから仕方なく野良猫っぽく見せる為の手段だよ。だから本当は名前もあるし色々お世話もしてもらってるけど、それを書いてしまうと話が広がらなくなってしまうから仕方ないんだ。だから虐待じゃないよ。本当は室内飼いなんだよ。大家さんにもきちんと飼育許可を取っていて、去勢手術、混合ワクチン(5種)もしてるよ。ノミの予防だってしてもらってる。首の後ろにポチッてするだけで回虫まで駆除出来るレボリューション最高!でもマダニが気になるって人はレボリューションじゃなくてフロントラインの方がいいかも!一度獣医師さんに確認してね。で、これはアフィブログじゃないから商品紹介は入れないよ。安心して読んでね。

 

さて、僕が生まれたのはあんまりきちんと覚えていないんだけれど、気がついたときには家の下の所で、にゃーにゃー鳴いてたよ。なんだかジメジメしているところだったのは覚えていて、そこで初めて人間を見たんだ(でもこれはあくまでもナチュラルボーン(野良のことね)を表現する為の過剰な表現で、本当は毛布や段ボールとかも置いててくれたし、風通しがいい場所でとっても快適だったよ。鳴いてたらミルクとかもくれたし、それも牛乳ではなくてきちんと子猫用のミルクだったみたい。優しいよね)。

 

あとで聞いた話なんだけど、その人は書生っていって今で言うニート、人間の中でもとっても悪い種類の人みたい。ニートは僕たちみたいな猫を捉まえて料理して食べちゃうんだって。でも僕はその時そんなこと知らなかったから、別に怖くなかったよ。そっと持ち上げられたことがあったんだけど、なんだかフワフワとした感じだった。ニートにも良いところがあるから、ニートを差別しないでよね。

 

で、その不思議な感じは今も覚えてるんだ。手のひらにのったままそのニートの顔をみたんだけど、本当なら顔に毛が生えているはずなのに毛が生えてないし、なんだかティファールのケトルみたいにツルツルしてたよ。色んな猫にあったことがあるけどこんな変な顔(本当は片輪(かたわ)って書きたかったけど、それは差別用語だからダメ!絶対!って怒られちゃった)をしているのは見たことがないくらい。別にこれは禿げている人を揶揄している訳じゃないから怒らないでね。

 

で、これもティファールのケトルみたいに顔の真ん中がすんごいとんがっていて、とんがったところにある穴から煙を出すの。すんごい煙たかった。あ、煙草かな、虐待かなって思ったでしょ。でもこれは煙草の煙じゃなくてアイコスで、水蒸気だから大丈夫。あえて猫に煙を吐きかけたりするような虐待じゃないから通報しないでね。

 

 

 

と、こんな感じで延々と続くのだろうけれど、もし本当に夏目漱石がこんなものを書かざるを得なくなったらそれこそストレスで胃潰瘍が発症しかねないと思うのでこのあたりでやめておこう。

 

しかしまあ、なんとも恐ろしい時代になったものだと思う。

 

僕が読書をするようになった切っ掛けに町田康という作家がいるのだけれど、彼の書く時代小説も本当に支離滅裂で時代考証などもあったものではない。

 

最近ツイッターで色々な事に正論をかざして苦言を呈しているような人々が散見されるけれども、そんな人達が彼の小説、例えば「パンク侍、斬られて候」なんかを読んだら、「なんだこれはけしからんあの時代にはイマジンなんて曲は発表されてなかったしプーさんなんて持っての他で腹ふり党なんて宗教は存在しなかった」といい、「というか腹ふり党に入りたくても腹を振れない人だっているんですよ、そういう人達の気持ちを考えた事があるのですか」なんてことも言うだろうし、きっとそう言う人達は凄い粘着質なのでまた別の本を読んだり彼の作っていたINU時代の音楽を引っ張りだしてきて、「『飯食うな』なんてアナーキーなことを叫んだりする人が書いた本なんて人を悪い方に煽動する愚書です」なんて言ったり「ハイカラうどんに天かすを入れないとそれはハイカラではありません」だとか愚痴愚痴言った後、個人個人が勝手にスッキリして次のターゲットを探すんだろう。

 

普段はあまりイライラしないように心がけているにも関わらずこんな気持ちになったのは、もうこれは本当に休日の愚痴を発散する為でしかない。もうごめんなさい。でも仕方ない。イライラはどこかで発散しなければ溜まってしまうのでここで吐き出す。

 

そのイライラの原因は、こちらにはずっとなんの連絡もよこしてこない状態であったにも関わらず「いや、俺は間違いなく週末にお前ん所の人手がこっちに来る様に段取りをしていた」と発狂してコールセンターに電話してきたクライアントと、「あの、なんかクライアントさんめっちゃ怒ってるんですけど、もしかして社内連絡忘れてたとかなんかミスしませんでした?」とイライラしながら連絡してきた現場社員との板挟みになっていたからである。

 

しかしそもそもそんな約束はしておらず、僕が直接クライアントに電話をして「いつ頃の約束で、誰と約束されましたか。担当窓口は僕だけなのですが、御社からそういった連絡はお受けしてません」と誠心誠意平身低頭説得し、今度は作業員に「あのクライアントさん、なんか勘違いしはってたみたいよ。今度缶コーヒーおごるからごめんチョ」と納得してもらいことなきを得たのだけれど、問題が解決しても休日を邪魔されたストレスはなかなか消えない。

 

ゲームをして気分を晴らそうにもスーパーメトロイドゼルダの伝説スーパーマリオワールドは既にクリアしており、超魔界村スターフォックスは余計なストレスがかかてしまうという賢明な判断をくだしたのでゲームは却下。

 

そんな時、そういえば僕はツタヤディスカスで借りっ放しになっていたDVDがあるではないか、と思い出してDVDのディスクをプレーヤーにセットした。借りていたDVDは2本、その内1本は既に視聴済みで「神様の思し召し」というイタリアのコメディだった。

 

この映画は本当によく出来ていて腹を抱えて笑ったのだけれど、その中には若干表現的にグレーゾーンなネタが散見され、今後はこう言った笑いも少なくなっていくのだなあ、とちょっと悲しくなったりもした。

 

しかし笑いも言葉も時代とともに移り変わるものなのでそれは仕方がない。

 

夏目漱石だってもし今の時代に生きていたら「こころ」なんてタイトルをつけずに「TO♡ HAERT」にしたかもしれないし、川端康成も「雪国」なんて言葉は古いっつって「気分はまるで雪の女王!〜アナになりたい貴方に送る感動温泉ストーリー〜」みたいになって、これはもう現代であり移動も新幹線であろうからトンネルを抜けても雪を見る間もなく到着しちゃうし国境とかもよく分からないから「東京から上越新幹線で二時間ちょっと、トンネル抜けたと思ったら、もう駅だったし」みたいになるし、今の時代に芸者じゃダメだなってなって駒子は女子高生の設定に変更、主人公はフランス文学の翻訳家ってなると感情移入がしにくいから新進気鋭ネットで大活躍のラノベ作家で、いつの間にか異世界に入り込んでて駒子は手の先から雪が出ちゃうしなぜか隕石が近づいてきて島村と駒子が「私たち、入れ替わってるぅーーーー?!」となるかもしれない。最後は駒子と入れ替わった島村が隕石をなんだかよくわからないチートパワーでぶっ壊して、

 

「いけーーーー!ズゴーーーーーーン!ドガガガガ!!!!俺は、いえ、アタシは、やった!」

 

つって、その後温泉でラッキースケベに遭遇してハーレムエンド、バスタオルで身体を隠した登場人物が皆でダンスを踊ってそのダンスが大流行になり(米どころの新潟だから米ダンス?)、もちろんポロリもあって川端康成は秒速で億を稼ぐ男となりメディアに引っ張りだこになるだろう。

 

「まあアニメ化するなら主題歌はラッドかな。まあ別にコトリンゴでもいいんだけど、それはプロデューサーに任せます」とかいいながら「じゃあ僕は疲れたんでこれで。ちょっとアレ吸ってきます」みたいにガスの代わりにハッパ吸っていれば今後も安泰。

 

まあそんな乱れた時代に生まれた僕たちはもっと過去から学ばなければならない、みたいな高尚な事を過去の僕は考えたのだろう。借りていたDVDのうち未視聴のもう1本の映画はアメリカの南北戦争の話で、米国初の黒人兵部隊であった第54部隊をテーマにした「グローリー」という映画だった。

 

これはこれでとてもいい映画だったのだけれど、やはり戦争映画であり感情移入していた人達が沢山死んでしまったので、見終わったあとになんとも言えない陰鬱とした空気になってしまった。

 

同じ部屋で別の作業をしていた妻に「なんか陰鬱とした気分になった」と伝えると彼女は「そうやね」とパソコンを見続けながら言った。そして彼女も僕と同様に、仕事の締め切りが目前に迫っていて陰鬱だった。澱んだ沼のような空気をお互いに発しながら、無言の時間が過ぎた。その後、妻はパソコンから手を離したかと思うとグラスを手に取った。

 

その手に持たれたグラスは空であり、その行く先は彼女の口元ではなく僕に差し出された。

 

妻の心情を見事に汲み取った僕は台所に向かい、妻のグラスと自分のグラスにハイボールを注ぎ、猫がオシッコをするので布団をかけていない、かつては炬燵と呼ばれていたにも関わらず今ではただの重たい机に格下げになったテーブルにハイボールを持っていった。

 

お皿に残っていたアーモンドを食べながらハイボールを飲んでいると治療中の歯にアーモンドのカスが挟まってなかなか取れなくなり、余計に陰鬱な気持ちになった。

 

そんな休日を過ごしているとなんとなく古い時代の本が読みたくなったので、僕が昔よく遊んでいた尼崎の出屋敷が舞台になった「赤目四十八滝心中未遂」という車谷長吉の本を読んでいたのだけれど、これは開高健の「日本三文オペラ」と同じ様にホルモンが物凄く食べたくなる小説だなあなんて思いながら、そういえば今通っている歯医者に「この歯が治るまでガムやグミなどは控えて下さい」と言われた時にポイフルはいいかどうかは聞いたけれど(ダメですとの事)ホルモンのミノはどうなのかを聞くのを忘れたと思い出し、結局食べたい物も食べられないので、ずっと陰鬱なままの週末だった。

 

でもこんな日常をツイッターに投稿しても「結婚出来ない人もいるんですよ」だとか「猫がいるだけで幸せですよ。飼いたくても飼えない人がいるんです」だとか「映画見てる自慢ですか」だとか「読書しているから偉いって言われたいんですか」だとか「ハイボールは神戸スタイルですか。私は氷を入れる方が好きです」だとか「いい歳をしてポイフルを食べるな」だとかの有り難い意見が飛び交うんだろうな、なんてことを考えてしまうけれど、実際問題として現在僕のツイッターアカウントはフォロー数286フォロワー数45、そのフォロワーのうち25人は何かのbotか副業おすすめアカウントなので、結局のところ何を投稿してもなんの反応もないことも目に見えている。

 

もうそれが悲しい。陰鬱。

 

最近また手荒れが酷くなってきているので、ソーセージは作っていない。

 

もうそろそろ治って欲しい。おいしいソーセージが食べたい。良く冷えたビールが美味しく感じる季節になって欲しい。寒い。陰鬱。

 

ああ、でももし杉田玄白がインスタグラマーやユーチューバーだったら、みたいなことを考えたら少し明るい気持ちになるかもしれないけれど、面倒くさいので、終わり。

 

♯作ってみた ♯エレキテル ♯電気ヤバい