僕のソーセージを食べてくれないか

そうです。私が下品なおじさんです。

これが料亭の味だ、みたいな記事はあまり参考にしないほうがいい。

先日、とある御礼にすこぶるよい牛肉を頂いた。

 

一目見ただけで「あ、これ高級な奴だ」と感じる類いのものである。

 

すき焼き用にスライスされていたが、一枚の肉がでかく分厚くしかし持ち上げると柔らかく、と、スタートラインに立った瞬間のウサイン・ボルトのように限界の見えない可能性を秘めた肉だった。

 

机の上に置かれたその肉を夫婦で眺めながら、かような高級肉を食せるのはげにありがたき。こんなものが我が家に存在するというこの瞬間ですらすでに日常を超越しておるがゆえ、これはもう割り下も市販のありきたりなものではなく、専門料理店のものにすべきではないかという議論が我が家で繰り広げられた。

 

当たり前だ。

 

折角ボルトに走ってもらうのだから、ユニフォームやスパイクに相当する調味料はきちんとしたものを選んであげたい。これを端折って、例えばボルトに和服や下駄を着せてしまうような自体になってしまうと走る邪魔になったりするだろうし(ボルトは難波走りができない)、塩こしょうといった最小限の調味料だけではボルトのボルトがブルンブルンしてしまう恐れがある(ボルトのボルトは多分大きい)。

 

なのできちんとしたユニフォームとスパイクを揃え、彼がなんの不備もなく走れる様に整えてこそ、ボルトの本領が発揮されると考えたのだ。

 

そうはいっても通販や店舗で老舗の割下を購入するしようとすると時間がかかりすぎ、到着するまでにボルトが老いてしまう懸念がなされたので、なけなしの折衷案としてインターネッツで調べた老舗のレシピを自家でつくろうではないかとの結論を得た。

 

そのレシピとは、東京の名店「今半」で使われている割下の配合バランスである。

しかもそれが実に簡単で、醤油200cc、みりん150cc、砂糖1/2カップ、水50ccを合わせるだけとのことだ。

 

それにならい、夜半からボルトの為の専用割下を用意し、肉に火が入り過ぎないように気をつけながら調理して食べたのだけれど、これが本当に美味しかった。世界陸上を見ている時の織田裕二の表情よりも、先日の食卓は精神的賑やかさに溢れて煌めきだっていた。

 

まるで風のように口の中を駆け抜けるボルトは「オイシイデショウ……。モットツヨクカミシメテモイイヨ……。」と言い、食道を拡げることなく流れ込むような柔らかさのボルトは「モウノミコンジャウノ……?ボク、マダココニイタイヨ……。」と囁いた。

 

胃の中に到達してもその幻影がスローモーションのように舌にまだ残り続けるボルトの横には美味しすぎたショックで髪の毛が抜けたアルシンドが並び立ち「アルシンドニ、ナッチャウヨ……。」といったかと思えば、そのまま身体の中を駆け巡り僕の口腔や胃腸壁を通りこえ直接脳内にまで語りかけてくる有様で、幸福すぎていつのまにかボビーのような口調になっていた。

 

「メチャメチャキモチイイデショ!オレモキモチイイヨ!アセモナミダモ、サキバシリモ、イッパイデチャウヨ!コレ、シオジャナイヨ!ナンダヨオマエ!ドコサワッテンダヨ!シバクゾ!」

 

 

ああ、ウサインボルトに抱かれると人はこんなにも幸せになれるのか、と脳内で幾多の光景を走馬灯のように駆け巡らせながら、窓の外の深い闇に向かって2人でうまいうまいと呟くこと30分。ほうけながら鍋に目をやると、いつの間にかあれだけいたボルトがいなくなっていた。

 

鍋に残っていたのはボルトの残した汗と少し汚れたユニフォームだけだったけれど、そのユニフォームですら愛おしく、ベッドに残る彼の体温を確かめる様に一口、また一口、とスプーンで汗と涙の結晶である煮汁を白米とともに口に運んでいった。

 

そのような、夏の夜の夢のように儚い時間を満喫したのだけれど、夢の残骸として自家製の今半バランスの割下だけがテーブルに残されていた。

 

常日頃から味付けさえきちんとしていれば料理は美味しいのだと考えている僕は、これほど美味しい割り下があればどのような肉でも美味しいのではと思い立ち、次の日にスーパーで安売りされていた牛肉を購入し、その割り下とこれもまた余っていた高級肉の牛脂を使い、同じ手順ですき焼きを作ったのだけれどこれがどうにもうまくない。

 

ボルトがいないので昨日の味の再現ができないのは当たり前なのだけれど、アルシンドやボビーはおろかエマニエル坊やすら出てこなかった。

 

なんというか、割り下の味が濃すぎたのだ。煮詰めすぎた訳でもなく、肉以外の具材には違いがない。となるとやはり肉の違いが如実にでているという結果になるのだけれど、ここで僕は1つの落とし穴に気がついた。

 

それは高級店のレシピは、同等の高級食材を使うから美味いのではないか、という穴だ。

 

いや、昨日のうちに気付いておくべきだった。

 

この割り下はいうなればボルト専用のユニフォームであり、それを着たからといって速く走れるわけではないのだ。

 

少しわかりにくいかもしれないので別の例えを出すと、XLサイズのコンドームを着けたからといってちんぽの大きさがXLになるのではないのだ。

 

なので料亭の味や高級店の味を家で再現しようと思ったら、やはりそれなりの食材を用意しなければバランスがとれないのだ。

 

またひとつ蛇足で書くと、調味料ひとつとっても家で使う物と店で使う物には差があることも覚えていなければならない。いくら高級料亭の人がテレビで「このバランスで作れば、うちの味が再現出来ますよ」と優しい顔で語っていても、それを鵜呑みにすると後悔することすらある。

 

三州三河本みりんとみりん風調味料はもちろん同じ味ではないし、醤油にしてもまた地域差や作る会社によっても違い、現在でも1500軒以上の醤油メーカーがあるらしいのでそれぞれに特色がある。

 

それが分かりにくければ、味噌で想像してもらえればわかりやすいだろう。赤、白、合わせ、麦味噌、米味噌、豆味噌などひとくくりに出来ない幅の広さがある。

 

そうなると選ぶ調味料によって甘みと塩味のバランスも崩れるだろうし、香りも違ってくるのだ。

 

なのでそもそも論ではあるけれど、僕がネット情報を鵜呑みにしてつくった割り下はあくまでも今半で使われる肉にとって抜群の相性を生み出すための割り下であり、ボルト専用だと思っていたのは大間違いで、ただ単に、たまたまボルトに体型や足のサイズの似た人用の割合だったから美味かったのだ。

 

スーパーで買ったアメリカ産の肩ロース薄切りは、赤身の味が比較的しっかりとしているけれど脂自体にうま味が少ないように感じられた。だからこそ、今半のしっかりした割り下を使うと脂の味が感じられなくなり、味が濃く感じる様になったのだろう。

 

このように、普段と少しちがう食材を使うとまた新たな発見が生み出されるので、料理は何とも面白い物だと痛感する。なのでネットで紹介されているレシピを再現する時には、あまりそのレシピに頼りすぎてはいけないよ、あくまでも指針として使うくらいがいいよ、という話でした。